« モーツァルトの《魔笛》の脚韻 | トップページ | 日本語入力の進歩? »

ラップの脚韻(ライム)

ルードルフ・シュタイナーによると、脚韻には南ヨーロッパからおこった「悟性的たましい」の文化が表現されてるらしい。

シュタイナーがいう「悟性的たましい」の文化っていうのは、ギリシャ・ラテン文化期ともいって、紀元前747年から紀元1413年にかけて発展した文化のことだけど、これに対して現代はそのつぎの「意識的たましい」の時代だから、脚韻は現代にはふさわしくないってことになる。

脚韻っていえば、「悟性的たましい」の文化がおこったっていう古代ギリシャ・ローマにはまだなかった(古代中国にはあったけど)。ラテン語の詩は中世になって脚韻をつかうようになった。

これじゃはなしがちがうじゃないかってことにもなりかねないけど、それぞれの時代にはぐくまれる文化ははじめからできあがってるわけじゃなくて、だんだん発展してくものだから、とうぜん時代区分とはズレがある。だから脚韻もギリシャ・ラテン文化期の最初からあったわけじゃなくて、しばらくしてあらわれて、この文化期がおわったあともしばらくつづいてた。こうかんがえればいいとおもう。

で、いまはたしかにそういう詩はなくなったから……。っていいたいとこだけど、おもしろいとこから脚韻が復活した。ラップってものが脚韻のある詩をつかってる。あたらしそうにみえて、いまの文化期にはあわないはずのむかしのものがよみがえったのは、どういうことなんだろう(もちろんシュタイナーがまちがってるっていえばはなしはかんたんだけど)。

ラップには全然くわしくないから、どうしてだかさっぱりわからないけど、ついでにいうと、日本語のラップの脚韻はなんかダジャレにきこえちゃう。韻をふむために文体としてはふつりあいな漢語をさかんにつかったりもしてる。

日本語のラップはたぶんちゃんとした脚韻をつかってるわけじゃないだろう。ちょっときいただけだけど、母音以下をあわせるんじゃなくて、そのまえの子音からおんなじにしてたりするから(そういう脚韻もあることはあるけど)、ますますダジャレっぽくなる。それに英語みたいなアクセントがあるわけでもないから、アクセントのある母音から韻をふむってかたちにもならない。

まあでも、明治時代に脚韻のこころみがあったけど、それをいまこういうかたちでやってるっていうのはちょっとおもしろい。

でも現代のアメリカにこういうのがあらわれたのは、やっぱり……なんで?

ルードルフ・シュタイナー:ルドルフ・シュタイナー。

2004.09.25 kakikomi; 2009.03.29 kakikae

|

« モーツァルトの《魔笛》の脚韻 | トップページ | 日本語入力の進歩? »