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金八先生の一面的な授業

また「金八先生」がはじまるらしいけど、いままで「金八先生」をみてきたなかでちょっと気になってることがある。

金八先生は説教するとき、ことば……っていうより漢字をひきあいにだしてはなしをすることがよくある。有名な「人という字は…」なんていうのがそうだ。役がらが国語の先生だし、武田鉄矢さんの漢字のウンチクはすごいらしいから(まあ、漢字のウンチクってものはクイズにはちょうといいんだろうけど…)、すぐそういうはなしになるのは当然だろう。

でも、どうも一面的な感じがする。説教の題材としてはそれでいいにしても、ことばの説明としてはどうなんだろ。国語の教師なんだから、それだけでおわってほしくない。

いくら漢字の説明をしたからって、ことばそのものの説明にはなってないじゃないか。あとからあてがった漢字とはべつに、日本語のことばとしてのつくりとか語源とかがある。それをまったく無視してる。

「木」「林」「森」っていう漢字がある。武田さんはすぐこのはなしをするけど、なるほどこの3つの文字の関係はそれなりにおもしろい。でも「き」「はやし」「もり」ってことばのほうはおいてきぼりだ。それぞれのことばについてもちゃんと説明してもらいたい(林と森のちがい」)。

これはなにも金八先生にかぎったことじゃなくて、むかしからこういうとこがあるんだろうけどね。だいたい漢字の研究よりおくれてるんだろうな、日本語のことばの研究は。それだって、漢字がわかればそれでことたりるってかんがえてるからってこともあるにちがいない。

それに、最近じゃコミュニケーション能力なんていうのもよくいわれてるけど、国語教育として、漢字にかたよってちゃ、そういう方面の国語力にはつながらないんじゃないの? 漢字をおしえただけじゃ、文章教育にもなってないし。

ただし、このまえの第6シリーズだったとおもうけど、1回だけ、漢字じゃなくてことばそのものの説明からはなしをはじめてたことがあった。脚本家のアイデアなのか武田さんの提案なのかわかんないけど。

とにかく、金八先生には、漢字だけじゃなくてもっと日本語のことばそのものをだいじにしてもらいたい。シャカに説法かな。まあ、 このドラマ全体からすればどうでもいいことだっていわれるかもしれないけど。

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2004.09.20 kakikomi

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