« 「デヴァチャン」のカタカナがき | トップページ | ことばのバリアフリー »

熟字訓という暴力

熟字訓 って もの が ある。 ちょっと きき なれない ことば か も しれない けど。 それ に なんて いって も 「じゅくじくん」 って いう の は へんな 音 の つらなり だ。

熟語 って いう と けっこう みきき する ことば だ と おもう けど、 音よみ の ことば、 つまり 漢語 に ついて いえば、 この 熟語 と 熟字 は けっきょく は おんなじ こと だ。 熟語 は ふたつ 以上 の 単語 が むすびついた もの の こと だ けど、 熟字 は 漢字 に ついて いってる。

「今日」 「明日」 って かけば、 それぞれ 音よみ の 「こんにち」 「みょうにち」 の ほか に、 訓よみ の 「きょう」 「あす/あした」 が ある。 この 「きょう」 「あす/あした」 って いう 訓よみ の こと を 熟字訓 って いってる。 つまり 漢字 2 文字 以上 の ことば で、 ひとつ ひとつ の 漢字 の よみ に は 関係 なく、 その ことば 全体 に あてられた 訓よみ の こと だ。

「今日」 「明日」 みたい に むずかしく も なくて、 よく つかわれる もの に ついて は、 とくに なん と も おもわない ひと が おおい だろう。 でも 熟字訓 に は どうも ひっかかる もの が ある。

「松明」 って いう 熟字 の よみ を かんがえて みよう。 これ は 訓よみ と して は 「たいまつ」 って よむ。 「しょうめい」 って いう 音よみ も ある こと は ある。 まあ、 でて くる の は 古文 だろう けど。 で、 これ を 「たいまつ」 って よむ の は なん か 気もち わるく ない か な。 漢字 だと マツ は 前半 に ある の に、 「たいまつ」 って ことば と して は マツ は 後半 に ある。 なん か ずれてる よ なあ。 … こんな こと だれ も 気 に しない?

「たいまつ」 って ことば その もの に 漢字 を あてる なら 「焚松」 に なる はず。 これ に たいして 「松明」 って 熟字 は 「焚いた 松」 って いう の と は 発想 から して ちがう。 そんな もの を 無理やり あてはめて、 「たいまつ」 って ことば の つくり を 無視 してる。

「黄昏」 は 熟字訓 で 「たそがれ」 って よむ。 これ が また 「たそがれ」 って ことば と は ぜんぜん べつもの だ。 漢字 で かく と ことば の 由来 が よく わかる なんて いう ひと が いる けど、 それ なら 「たそがれ」 は 「誰そ彼」 って かかなきゃ。 くらく なって だれ が だれ だ か わかんなく なる 時間帯 の こと な ん だ から。

こう いう ふう に 熟字訓 は ことば その もの を 無視 してる。 熟字訓 は ニホン語 の ことば を それ こそ ちょっと 暴力 的 に あつかってる って いえなく も ない。 これ は 熟字訓 だけ に かぎらなくて、 やまと ことば の 複合語 に ひと文字 の 漢字 を あてる の だって やっぱり ことば の つくり を 無視 してる (「みずうみ」は「水海」」)。

そもそも 漢字 を 訓よみ する って こと から して 熟字訓 って もの が できる 余地 が あった わけ だ けど、 むかし は かなり 自由 に 熟字 を よんでて、 それ は それ で おもしろい あそび と も いえる。 いま じゃ 訓よみ だけ じゃ なくて カタカナ の 外来語 で よませてる の も よく ある し。

関連記事
 ・「薔薇」の読み
 ・「みずうみ」は「水海」

2004.10.08 kakikomi; 2012.09.05 kakinaosi

|

« 「デヴァチャン」のカタカナがき | トップページ | ことばのバリアフリー »