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古典ギリシャ語と日本語のにてるところ

英語、ドイツ語、フランス語みたいな近代ヨーロッパ語とちがって、古典ギリシャ語にはいろいろ日本語ににてるとこがあってしたしみがもてる。

まずはアクセント。むかしのギリシャ語のアクセントは、英語みたいなつよさアクセントじゃなくて、日本語みたいなたかさアクセントだった。もちろんまったくおんなじってわけじゃないだろうけど、古代のギリシャ語のアクセントをくわしく論じた本にはさかんに日本語のことがでてくる(A. M. Devine/Laurence D. Stephens “The Prosody of Greek Speech” Oxford University Press)。それによると、古代ギリシャ語のアクセントは、アクセントのある母音にむかってだんだんたかくなってって、そのあと急にさがるっていうものだったらしい(古典ギリシャ語のアクセントの発音」)。だから日本語でいうと名古屋弁ににてるとかかいてある。でもこれが現代ギリシャ語になると、ほかの近代ヨーロッパ語とおんなじで、つよさアクセントになっちゃってるんだけど。

もうひとつアクセントについていうと、ふつうの単語がひとの名まえになるときアクセントがかわるとこもにてる(以下、アンダーラインのとこがアクセントで、たかくよむ)。「谷」ってことばは「タ」(taní)っていうふうに「ニ」にアクセントがあるけど、名字になると「ニ」(Táni)であたまにアクセントがうつる。ギリシャ語でもにたようなことがあって、φαιδρός [pʰaidrós](かがやく)っていう形容詞のアクセントは「パイドス」だけど、ひとの名まえになると「イドロス」(Φαῖδρος [pʰâidros])っていうふうにアクセントが最初にくる。

「所有をあらわす」いいかたもおんなじだ。「わたしにはきょうだいがいる」っていうのを英語なんかだったら「わたしはきょうだいをもっている」っていうけど、古典ギリシャ語は日本語とおんなじいいかたをする。だから、日本語のはなし手にとってはこんなこと、とくに文法としてとりあげなくてもいいんだけど、いまの西洋人にとっては説明が必要だから、参考書にはわざわざ「所有をあらわす与格」なんていうふうにかいてある。「与格」っていうのは英語の文法なら間接目的格っていうけど、「わたしに」っていうのにあたる格のことだ。

それから、数のかぞえかたもにてるとこがある(古典ギリシャ語の数詞」)。英語だと「千」(thousand)のつぎは「百万」(million)にとんじゃって、「万」は「十千 」(ten thousand)ってことになっちゃうけど、古典ギリシャ語には日本語とおんなじ「万」(μύριοι [my̌ːrioi ミュリオイ]、μυριάς [myːriás ミューリス])がある。それにそのさきも日本語の「十万」っていうのとおんなじ「十倍の万」(δεκακισμύριοι [dekakizmy̌ːrioi デカキズミュリオイ]、δέκα μυριάδες [déka myːriádes カ ミューリデス])っていいかたをする。

そのうえ、「万」は「よろず」ともよんで「たくさん」って意味もあるけど、ギリシャ語の「万」も「たくさん」って意味がある(っていうか、こっちがもともとの意味だろうけど)。ただし、この意味だとアクセントがちがって μυρίοι [myːríoi ミューオイ]だって文法家はいってる(これも、こっちがもともとのアクセント)。でも、実際の写本にはそんな区別はないらしい。それに、格変化したかたちだと、どっちの意味でもアクセントはおんなじになっちゃうばあいがおおいし。

で、これがまた現代ギリシャ語になると、ほかの近代ヨーロッパ語とおんなじで、「万」がなくなって「百万」がでてくる。ただし、この「百万」(εκατομμύριο [ɛkatɔˈmirjɔ エカトミーリオ])ってことばは「百」(εκατό(ν) [ɛkaˈtɔ(n) エカト(ン)])と「万」(μύριοι [ˈmirii ミーリイ])があわさってできてるから、そこに古代のなごりがある。現代語にもこの「万」(μύριοι)があることはあるけど、数詞としてはふつう英語なんかとおんなじ「十千」(δέκα χιλιάδες [ˈðɛka çiˈljaðɛs ゼーカ ヒリャーゼス])っていいかたになる。

古典ギリシャ語:古代ギリシャ語。

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2004.10.19 kakikomi; 2010.09.12 kakitasi

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