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ことばのバリアフリー

田中克彦さんの「差別としての文字」(『ことばのエコロジー』ちくま学芸文庫)にこんなことがかいてあった。

私は、漢字は日本語という肉体に深く突きささったとげであると感じている。このとげを抜こうとすると肉体そのものも出血多量で死んでしまいかねないほど、それは急所の奥深くまで入りこんでいる。そのようにしてしまったのは、日本の知識人が、基本的に、ことばは自分だけのものだと考えて、文字の知識をふりまわす差別者だったからだと思う。日本の書きことばには、さまざまな選択の道があり得たが、結局はいまのような形をとってしまった。そして、文字の知識という最も基本的なところで差別したことばは、それによって復しゅうを受けているのである。文章を書く人は、せめてこの差別をひろげないようにし、イロハ文字やアルファベート文字で書いても、よくわかるような書きことばを作り出す方向に加勢してほしいと思う。

最後のとこなんかは自分でもつねづねおもってることだけど、これはきいてわかることばっていってもおんなじことだ。

差別のことはべつにしても、きいただけじゃ区別できない単語がたくさんあるのはことばとしてまともじゃない。文脈でわかるっていったって限度ってものがあるだろう。それに前後関係にたよらなくても区別できるほうがいいにきまってる。

日本語のこの病気が、せめてこれ以上ひどくならないでほしい。たとえば、カタカナの外来語を2文字の漢語でいいかえるのはやめてほしい。おんなじ発音の単語がふえるぐらいならカタカナのまんまのほうがよっぽどマシだ。翻訳語をつくるとき、漢字の意味ばっかりかんがえて、どうしてこれほどまでよみのほうは無視するんだろ。漢語で訳すにしても、ほかの単語とよみがかさならないようにすこしはかんがえたらよさそうなもんなのに。

もっとも、国立国語研究所がときどき外来語のいいかえを発表してるけど、それをみると2文字の漢語がへって、3文字4文字のものがおおくなってるし、漢語じゃないものもあるから、すこしはかんがえてるのかも?

テレビなんかはきいてわかることばっていうのをもともとはこころがけてたみたいだけど、最近じゃ画面に漢字をうつしてごまかしてるようなこともよくやってる。
ここんとこ よく耳にしたことばとして、「台風一過」っていうのがあったけど、これなんか最初にきいたときは「台風の家族」かなんかだっておもわなかったかな。もちろんそうだとするとおかしな意味のなるからヘンだとおもったけど、こんなことばを平気で放送につかってるなんて……。
ニュースでけっこうきくことばとして、「必至」っていうのもある。これも最初は「必死」にしてはおかしいっておもったけど、こんなことばをどうしてもつかわなきゃいけないもんかなあ。

ところで、こういうことは、ことばとしてまともじゃないってことからずっとかんがえてきたけど、いまのまんまだと田中さんがいってる差別とはべつの差別にもつながってるようにおもう。

ある機会に点字のことをちょっとしらべたことがあった。それまでは全然しらなかったけど、点字っていうのは全部かなでかいてあるのとおんなじようなものだった。ってことは、「イロハ文字やアルファベート文字」でかくとわかりづらい、きいただけじゃ区別がつかないようなことばは点字にしてもわかりづらいってことだ。だから、かきことばを、きいただけでもわかりやすい文章にするっていうのは、《ことばのバリアフリー》にもつながるっていえるだろう。

文章をそういうものにすることは、いまのまんまのかきかただって、できないってことはないはず。それができないんなら、結局は漢字をうまくつかってないってことになる。まあ、知識人ほど漢字につかわれてるから……。

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2004.10.08 kakikomi

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2004.10.15 kakikomi

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コメント

こんにちわ、はじめまして。あべといいます。

日本語について、ゆみやさんと おなじような問題意識をもっています。いまさら ながら、このブログをみつけまして、はずかしい おもいです。記事をいくつか拝見し、またまた はずかしい おもいです。いろいろ べんきょうさせて いただきます。

[投稿日時:2005年4月12日 午前 12時38分]

投稿: hituzinosanpo | 2008.01.10 14:19

あべさん、はじめまして。

こんなブログをみつけてくださって、ありがとうございます。そちらのサイトをざっとよませていただきました。とても勉強になります。「ことばリンク」にくわえさせていただきました。

それにしても、点字に対して(善意であるにしても)漢字のおしつけのようなことがおこなわれていたとは、ちょっとおどろきました。

[投稿日時:2005年4月12日 午後 05時55分]

投稿: ゆみや | 2008.01.10 14:23

リンク、ありがとうございました。わたしのほうからもリンクしておきますね。

さきほど「わたしの たちば」をサイトに かいておきましたので、よかったら ご覧ください。

[投稿日時:2005年4月13日 午前 04時18分]

投稿: ひつじ | 2008.01.10 14:24

あべさんとゆみやさんの一連の意見交換、興味深く読ませていただきました。

「いろは文字やアルファベートで書いて分かることば」=「聞いて分かることば」を書く、というときの「ことば」は単語ではなくて文章という意味だと思うのですが、そうだとするとこれは結局のところ、同音異義語が出てきても誤解を生まないような巧みな文脈を備えた文章を書け、ということであり、漢字の表意機能に依存しない文章をかけ、と言っていることになるかと思います。

この見解自体は「文章作法のイロハ」としても尊重すべきだと思います。しかしながら一方で漢字を使うこと、あるいは漢字自体を「邪魔者」あるいはせいぜい「必要悪」のように言うことが果たして適当なのだろうか、という思いも私の中には沸いてきます。

確かに差別を助長する、とか、知識のひけらかしでいたずらに、あるいは安易に漢語表現を使いたがるようになる、といったデメリットもあるでしょうが、漢字のもつ豊かなコノテーションを情報伝達に活用できるというメリットは、そうしたデメリットを前にしてなみされてしまうような、小さなものではないのではなかろうか、と私は感じています。だからこそ、「漢字かな混じり文」という特異な形態がずっと今日まで続いてきているのだと思いますし。

色々な問題も、漢字自体が悪いのではなく、使い手側の意識の問題に還元できるのではないかと思います。結局、漢字はある意味「諸刃の剣」のようなところがある、ということなのかもしれません。

おそらくもっと根の深い問題なのでしょうが・・・。前段階の議論を踏まえずに、こちらの記事をざっと読んだだけの印象で書きました。門外漢のつぶやきとして、お聞き流しください・・・。

[投稿日時:2005年4月15日 午後 06時28分]

投稿: BuSuKu | 2008.01.10 14:26

このことに関しては当然さまざまな意見があるでしょう。こちらのかんがえについては、いままでもかいてきましたし、これからもかくとおもいますので、よろしかったらどうぞご覧ください。

ちょっとつけくわえますが、「ことば」という単語の意味は「単語」でも「文章」でもあるのに、どうして一方だけのことになってしまうのでしょうか。それに、「漢字自体が悪いのではなく」ということですが、漢字のよさと、漢字をつかって日本語をかくばあいの問題点とは、べつのことだとかんがえています。ですから、漢字そのものがいいとかわるいとかいっているつもりはありません。

[投稿日時:2005年4月15日 午後 10時29分]

投稿: ゆみや | 2008.01.10 14:28

過去ログの「専門用語と専門家の文章」という記事を読んでみて、なんとなくですが、ゆみやさんたちの考えていらっしゃることの大枠が分かってきたような気がします。先のコメントで私が書いたことは、確かに日本語のあり方にあまりに無自覚で無反省な見方から出たものだったかもしれませんね。

それから、「いろは文字やアルファベートで」云々というのは、表音文字でかいて分かる(字形ではなくて音声と内容が一致する)「やまとことば」で書くように、ということだったんですね。この点については私のほうにちょっと誤解がありました。そのような意味でならば、たしかに単語でも文でもよくなりますね。

ところで、先ほどは私も漢字そのものの良し悪しではなく、漢字をつかって日本語を書くということのメリット・デメリットについて考え、その上で問題点(デメリット)ばかりではないのではないか、という趣旨で書いたつもりでしたが、これには「書き言葉については」という限定があったほうがよかったのかもしれません。ということは、純粋な「言文一致」を目指す際にはやはり不都合な点ばかり、ということになるのかもしれませんね。

いずれにしても、このテーマの議論に参加するには、私はいまだ不勉強にすぎるようです。もう少しこちらで勉強させていただいてから、また参加させていただこうと思います。お騒がせしました。

[投稿日時:2005年4月16日 午前 02時38分]

投稿: BuSuKu | 2008.01.10 14:32

「表音文字でかいて分かる」というのは、やまとことばだけではなくて、きいてわかる漢語でもかまわないわけですし、「言文一致」ということでもありません。「書き言葉については」という しばりがあったとしてもおなじことです。かきことばでつかわれる単語が、はなしことばでもつかわれることがあるのですから、かきことばということによりかかって、漢字をみなければ区別しにくい用語をつかうのはやはりどうかとおもいます。

[投稿日時:2005年4月16日 午後 07時49分]

投稿: ゆみや | 2008.01.10 14:39

この記事へのコメントは終了しました。

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