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仏教は霊魂を否定してるのか

仏教っていうと、どうも霊魂の存在を否定してるってことになってるみたいだけど、でも、なんかおかしくないかな。おかしいっていうか、《したごころ》があるみたいな…。

この手のことは禅宗関係のひとがよくいってるみたいだけど、仏教ってひとくちにいっても、宗派によってずいぶんなかみはちがうし、仏教の歴史をみても、いろんな思想があったはずだ。

うまれかわりをとくくせに霊魂はないなんていうもんだから、業[ごう](कर्म karma [カルマ])だけがひきつがれるとかくるしい説明をしてみたかとおもうと、「プドガラ(पुद्गल pudgala)」(身体、霊魂、ひと、自我)とかいう霊魂みたいなものをいいだしてみたり、ヒンドゥー教に対抗して「アートマン(आत्मन् ātman)」(いちおう霊魂みたいなもの)を否定してみたかとおもうと、大乗の『涅槃経[ねはんぎょう]』じゃ「アートマン」をみとめてみたりって、いろいろいそがしい。

そういうことはもちろん専門家ならしってるから、如来蔵[にょらいぞう]とか本覚[ほんがく]思想とか密教みたいな都合のわるいものは「仏教ではない」とかいって きりすてたり、霊魂とかうまれかわりは民間信仰をとりいれただけの方便だなんていってる。でも、そういう解釈だったらなんとでもいえるんじゃ…。だいたい葬式をやってるのはなんで?

初期仏教の説明によると、うまれかわりの主体っていえる実体はなくて、ロウソクの火がべつのロウソクにもえうつるみたいに業がひきつがれて、来世にはべつの名色[みょうしき]がうまれる、ってことらしい。この名色っていうのはこのばあい、かんたんにいえば こころとからだのことで、要するに来世にはべつの人格がうまれるつてことになる。

うまれかわりについては、仏教以外のものでも、来世がべつの人格だっていうのはおんなじことで、その点は共通してるっていえるだろう。でも、仏教のばあいはその次元だけをみてて、そのもとにあるものは無視してるってことになるだろう。幽体にあたるような中有[ちゅうう]の五蘊[ごうん]にもふれてるけど、さらにもとにあるものは無視して、業だけがうけつがれるっていってるわけだ。だから、霊魂はないつていってるにしても、それはある次元をみてるだけのことだろう。そうだとすれば、この件に関する仏教の主張は、とくに問題にするようなもんじゃないともいえる。

霊魂を否定するのに空[くう]をもちだすばあいもある。でも、すべてが空で、その空が「存在しない」っていう意味だとしたら、いまの《常識》がみとめてるこの世のもの、つまり物質だって空なんだから、物質も存在しないっていうんじゃなきゃおかしい。逆に、空であるはずの物質が《常識》的には存在してるってことからすれば、霊魂も《常識》的な意味じゃ存在してるとしてもおかしくないし、空ってことに反するわけでもない。それから、空が「存在しない」って意味じゃないとしても、それならそれで霊魂も存在しないことにはならない。だから、空ってことから、物質は存在してるけど霊魂は存在してないなんて結論はでてこないはずだ。

空に関しては、仏教は永遠の実体をみとめないから霊魂もみとめられない、なんていういいかたもあるけど、これにも疑問がある。ふつうにいわれてる霊魂を永遠の実体だってきめつける理由はどこにあるんだろ。永遠の実体じゃない霊魂なら、空と矛盾しないじゃないか。だいたい、仏教がいってる中有の五蘊なんて霊魂みたいなもんだ。永遠の実体じゃないけど、ふつうにいわれてるような霊魂とかわりない。こんなものをいっておきながら、一方で霊魂はないなんていうのは矛盾してる。

それから、霊魂とかあの世のことをとくのは、しぬのがコワくないようにするためだとか、すぐにそういう《人間的》なはなしにもってっちゃうことも、仏教にかぎらず、おおい。でも、事実としてあるかないかを問題にしてるときに、そんなこと いうのは、はなしをそらしてるだけだ。どうもそういう《文科系》的なはなしのすすめかたは、ちがうんじゃないかとおもう。

仏教関係者に霊魂について質問したある雑誌のインタビューで、この件について いいこたえをみつけた。たしか浄土宗のお坊さんだったけど、宗祖がなにもいってないのでわたしたちにはわかりません、っていうこたえだった。これはすごくまともで正直なこたえだとおもう。たいていのお坊さんは宗派の教義をこたえるのがせいぜいで、事実として霊魂があるかないかなんてしらないだろうから。

ただし、この記事には、こういうまともなこたえとならんで、おかしなこたえもあった。なぜかあの物理学者にも質問してて、仏教は霊魂をみとめてないなんて“物理学者”がこたえてた。

ところで、最初にふれた《したごころ》についていうと、仏教はほかの宗教とちがって現代的だとでもいいたいんじゃないのかな。霊魂なんていう迷信はもとからみとめてないから、現代にも通用するおしえなんだ、とでもいうように。でも、そんなふうに、一時的なものにすぎない現代の《常識》に調子をあわせるっていうのはどうなんだろ。そんなことしていると、その《常識》がひっくりかえったときには……。

このことにかぎらないけど、どうも仏教関係者のなかにはいわゆる「現代思想」を気どりたいひとがいるみたいだ。ときどきマスコミでもとりあげられる「現代思想」なんて哲学の“なれのはて”なのに。

ただ、けっきょくは仏教思想がなにをいってても、べつに問題じゃないともいえる。仏教がどういってるかなんてことよりも事実のほうが重要だろう。仏教思想が霊魂をみとめてたら、それで霊魂があることになるってわけでもないし、仏教が霊魂を否定してたら、それで霊魂は存在しないってことになるわけでもない。それに、仏教が霊魂を否定してたとしても、実際には霊魂が存在するんだとしたら、そのばあいはただ仏教がまちがってるってことになるだけだし。

だいたいシャカはこの件に関してはこたえなかっただけで、仏教の基本的な姿勢は、そういう事実の問題を追及するんじゃなくて、そんなことにはかかわらないで修行しろ、ってことだったとおもう。その仏教が、積極的に事実の問題に関して、霊魂は存在しない、とか主張するのはおかしいんじゃないのかな。たしかそういうのは「断見」とかいって、シャカのおしえはそういうことをいましめて、「無記」ってことをいってたはずだけど。ただし、そういう事実の問題には直接むきあわないのが仏教なら、仏教はそれこそ現代的じゃない、現代には通用しないもの、ってことにもなるだろうけど。

だから、もともとの仏教の姿勢からすれば、それがそのまんま現代に通用するとはいいにくいし、そこにとどまらないで、霊魂っていうものはないって主張するなら、それはそれで事実の問題としてどうなんだろ、って疑問がある。それに、そう主張するなら、現代文明の問題をうみだしているかんがえかたに仏教がかえって手をかすことになるんじゃないかな。

2004.11.14 kakikomi; 2010.09.07 kakinaosi

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