« テレビ・ニュースの「おさつ」 | トップページ | 金剛サッタの百字真言 »

現代的意義?

たとえばプラトーンの『国家』っていう作品は、そのときどきの政治状況なんかと関連してゲンキンな評価をされたりしてて、そういうときに「現代的意義」とかいうはなしにもなる。でも、そういうばあいの「現代的意義」っていうのは、なんだか うわっつらの はなしなんじゃないかな。

よくいう「現代的意義」っていうやつは、要するに現代に通じる内容があるってことだろう。でも、ほんとは逆のような気がする。現代的な内容を、なんでわざわざ むかしのものからさがしてこなきゃいけないんだろ。そんなものは いまのものでいいじゃないか。現代には うしなわれたこと、いまの世のなかには ないことを むかしのものから よみとるほうが よっぽど意味があるとおもう。だから、「現代的意義」がないもののほうが現代的意義があるっていいたい。

となると、プラトーンの『国家』には現代的意義がないってことになるかっていえば、そんなことはない。この作品は、現代の政治にかかわるようなことがかいてあるとかそんな理由じゃなくて、いまの表むきの常識とはちがう内容だからこそ、かえって現代的意義があるとおもう。

ただし、タイトルが『国家』だからって、国家論として意味があるだけじゃない。実際によめばわかるけど、ここにでてくる「国家」っていうのは、たましいのたとえなんだから。国家論とか政治論のつもりでよむばあいは、この作品の全体の枠ぐみとか、最後のほうの「エールの神話」なんかは無視することになりがちだろう。でも、そういう勝手なよみかたはかえって現代的意義をそこなうことになるんじゃないかな。

おんなじプラトーンの『ティーマイオス』もそうだ。いまは自然科学の時代だから、こういうむかしの自然学なんて意味がなさそうだけど、そうじゃないかもしれない。これも 現代的 じゃないからこそ よむ意味があるとおもう。もっとも、この作品のなかの登場人物が、ここで はなしてることは ひとつの説明にすぎない、みたいなことをいってるから、それほどまともにうけとめるような内容でもないってかんがえることもできる。でも、そういうことをいうなら、いまの自然科学だってやっぱり ひとつの 説明なんだから、そういう意味じゃおんなじようなもんだろう。

プラトーン:プラトン。 エール:エル。 ティーマイオス:ティマイオス。

2004.12.19 kakikomi; 2011.01.05 kakinaosi

|

« テレビ・ニュースの「おさつ」 | トップページ | 金剛サッタの百字真言 »