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文語の現代短歌

新聞にのってた短歌をみてちょっとおもったことがある。現代のものでもあいかわらず文語の短歌があるわけで、なかみはいいのかもしれないけど、ことばとしてはどうもぎこちないっていうか不自然な印象をうける。古典の和歌とちがってことばが自然にながれてない。漢語と外来語がはいってるせいもあるかもしれないけど。

不自然な感じがするのはおもに文末で、用言でおわるような末尾なんかが、なんとも尻きれトンボというか全体をささえきれてなくて、きまってない。

そもそもが現代語の発想の文章なのに、それをムリやり文語にしてるから、こういうことになるんじゃないのかな。明治のころの短歌はさすがにこんなことはないけど、いまにいたってもまだ文語をつかってるのはやっぱりムリがあるとおもう。

それぞれの単語は、それだけで独立してるわけじゃなくて、ことば全体とつながりがある。そういう現代の単語を文語のなかにおしこむのはおかしいし、現代語をただ文語になおしてもしょせんはそれこそ翻訳調みたいな感じのものになるだけじゃないのかな。

かりに短歌が文語でしかつくれないものだとしたら、要するに短歌は過去のものってことで、そんなもの、ほろびたっていい。でも、実際には口語の短歌もあるんだから、短歌はまだまだ過去のものにはなってないんだろう。

2005.01.06 kakikomi

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