古代ギリシャ語版ハリー・ポッター
ギリシャ語訳のハリー・ポッターっていっても、ギリシャででてる翻訳ならとくになんてこともない。世界中で翻訳がでてる作品なんだから。現代ギリシャ語訳じゃなくて、古代ギリシャ語訳がでるっていうはなしがなん年かまえからあって、とうとう最近それがでた。ただし、現代語訳はいままでのシリーズ全部がでてるけど、古代語訳は最初の『賢者の石』だけ(UK ISBN 0-7475-6897-9/US ISBN 1-58234-826-X)。
ちょっとみてすぐ気がつくのは、ひとの名まえのあつかいだろう。現代語訳と古代語訳のタイトルをくらべてみるとちがいがよくわかる。現代語訳は "Ο Χάρι Πότερ και η Φιλοσοφική Λίθος"(ハーリ・ポーテルと賢者の石)、古代語訳は "Ἅρειος Ποτὴρ καὶ ἡ τοῦ φιλοσόφου λίθος"(ハレイオス・ポテールと賢者の石)で、賢者の石のいいかたがちがうのはともかくとして、ハリー・ポッターの名まえがちがってる。現代語訳は、日本語で「ハリー・ポッター」っていってるのとおんなじようなもんで、発音をそのままうつしたものになってるけど、古代語訳は、ギリシャ語っぽくなおしてある。古代ギリシャ人は外国語の名まえを忠実にうつさなくて、ギリシャ語にあわせたかたちにしてるから、それにならったのかな。
ただ、主格の「Ποτήρ」のアクセントに疑問がある。最初のほうじゃ、「η」に鋭アクセントがついてて(文のなかだともちろん重アクセント)、もともとギリシャ語にある「ποτήρ」(さかずき)とおんなじだし、それがただしいとおもうんだけど、途中からは曲アクセントにかわっちゃって、それがしばらくつづいてる。もしかしたら手がきの重アクセントを曲アクセントにみまちがえたんじゃないかとおもうんだけど、とにかく主格のアクセントとしては曲アクセントじゃないはず。もっとも、ふつうの名詞がひとの名まえになると、アクセントがまえに移動したりするから、このばあいだって「Πότηρ」でもよかったんじゃないかな。
原書(もちろんイギリス版)の表紙には、ハリーと汽車の絵がかいてあって、汽車には「HOGWARTS EXPRESS」って看板がついてるんだけど、翻訳のほうもその絵をつかってる。古代語訳のほうはこの看板の名まえも訳してあって、「ΩΚΥΠΟΡΟΣ ΥΟΓΟΗΤΙΚΗ」になってる。「ΩΚΥΠΟΡΟΣ」は「はやくはしる(のりもの)」、「ΥΟΓΟΗΤΙΚΗ」は直訳すれば「ブタ魔術の」。……「ブタ魔術」? こんなことばは古典にないみたいだから、翻訳者がつくったんだろうけど、なんでブタなのかとおもったら、ホグワーツの「hog」ってブタだったんだ。「wart」はイボだから、ホグワーツはブタのイボねえ。ちょっと魔術的な感じもしないでもないけど。で、イボのほうはつかわないで、ブタだけいかして、ブタ魔術って訳したってことか。「ΥΟΓΟΗΤΙΚΗ」全体で、発音のほうもある程度「Hogwarts」ににせてるんだろうな。ちなみに、本文のなかだと、単独でいうときには「Ὑογοήτου」。
現代語訳のほうは、表紙の絵の看板は英語のままで、本文のほうでは、ホグワーツの発音をそのままうつして「Χόγκουαρτς」にしてる。
クィディッチってスポーツの名まえもちがってて、現代語訳はそのまま「κουίντιτς」だけど、古代語訳のほうは翻訳してて「ἰκαροσφαιρική」、つまり「イーカロスの球技」になってる。人間が空をとぶってことで、ギリシャ神話のイーカロスか。
この作品は、原書を直訳すると、「プリベット通り4番地のダーズリー夫妻は…」ではじまる。古代ギリシャ語訳のばあい、最初の文章を直訳するとこうなってる。「ドゥールスレイオスとその妻はギンバイカの道の4番目の家にすんでいた」。ここでもダーズリーって名まえが古代ギリシャ語ふうの「Δούρσλειος」になおしてある。それから、「プリベット通り(Privet Drive)」っていうのは、かしら文字が大文字になってるように、通りの名まえだから、固有名詞だとおもうんだけど、日本語訳はそのまま「プリベット通り」なのに、古代ギリシャ語訳はこれも訳してる。それも、固有名詞としての通りの名まえにはしてない感じだ。それに、「privet」はイボタノキで、ギンバイカじゃないんだよな…。白い花がさくとこは にてるけど、花のかたちはちがうし。イボタノキは(古代)ギリシャにはないんだっけ? だからギンバイカにかえたのかな。ギンバイカ(ミルテ/マートル/ミルタス)は地中海沿岸から南西ヨーロッパ原産で、ビーナスの木ともいわれてるけど、そういうイメージも関係あるのかな。
それから、途中にいくつか詩がでてくるけど、これはちゃんと詩として訳してて、古代の韻律をつかってる。
最後に、おもな名まえの古代ギリシャ語訳をあげて、気がついたことをかいておくことにする。現代語訳のほうは基本的に発音をそのまんまうつしただけのものだから省略。
ハリー・ポッター Ἅρειος Ποτήρ
「Ἄρειος」(たたかいの神アレースの、たたかいの)の「ア」を「ハ」にかえてハリーににせたものだろう。
「Ποτήρ」(さかずき)はポッターとにてるからこれをつかったんだろう。
ロン〔ロナルド〕・ウィーズリー Ῥοὼν〔Ῥόναλδος〕 Εὐισήλιος
発音がにてる単語をさがして「Ῥοών」(ザクロ園)にしたんだろう。「Ῥόναλδος」は「ロナルド」をギリシャ語ふうにしたもの。
「Εὐισήλιος」は全体にウィーズリーに発音をにせたんだろうけど、このことばを分解するとたぶん「エウ+イソ+ヘーリオス」になるとおもう。そうだとすれば、「太陽みたいによくかがやく」「太陽みたいにすばらしい」っていう意味なのかな。
ハーマイオニー・グレンジャー Ἑρμιόνη Γέρανος
ハーマイオニーはもともとギリシャ語の名まえ「Ἑρμιόνη」の英語よみだから、もとにもどしただけ。
「Γέρανος」(ツル、サギ)の意味は「granger」(農夫)とは全然ちがうけど、いちおう発音がにてて、女の子ににあうようなことばをえらんだのかもしれない。
ドラコ・マルフォイ Δράκων Μάλθακος
ドラコ(ドレイコー)はもともとギリシャ語の名まえ(ラテン語経由で語尾の「n」がおちた)。
マルフォイの「マル」は「わるい」って意味の接頭辞だから、いかにも悪役の名まえだ。これに対して「Μάλθακος」(軟弱な、臆病な)は「マル」の音がおんなじなのと、わるい意味のことばだから、ちょうどいいとおもったんだろう。
ルビウス・ハグリッド Ῥούβεος Ἁγριώδης
ルビウス(ルベウス)はもともとラテン語の名まえで、それをギリシャ語のかたちにしたもの。
「ἀγριώδης」(野蛮な、粗野な、乱暴な)ってことばがあるから、この「ア」を「ハ」にかえてハグリッドににせたんだろう。
アルバス・ダンブルドア Ἄλβος Διμπλόδωρος
アルバス(アルブス)はラテン語で「白い」。それをギリシャ語のかたちになおしたもの。この名まえにしたのは白魔術師だからだろう。
「dumbledore」はマルハナバチまたはコフキコガネで、ギリシャ語訳の意味とは関係ない。「ディンプロ」の部分はダンブルににせただけだとおもうけど、ドアの部分をドーロスにしたのは、たとえば「Theodore」って名まえがギリシャ語の「テオドーロス」からきてるから、そういうのの「-dore」にならったんだろう。「dumbledore」の「-dore」は「dor」とおんなじで、ブンブンおとをたててとぶ虫のことだけど。
ミネルバ・マクゴナガル Ἀθηνᾶ Μαγονωγαλέα
ミネルバ(ミネルワ)はローマ神話の女神で、ギリシャ神話のアテーナーにあたる。
「Μαγονωγαλέα」は全体に発音をにせながらつくったことばで、分解すれば「マゴ+ノーガレアー」だろう。「マゴ(ス)」は「魔法つかい」で、「ノーガレアー」は「かがやいてる、あかるい、うれしい、すばらしい、うつくしい」。
セブルス・スネイプ Σεούερος Σίναπυς
セブルス(セウェールス)はラテン語の名まえで(意味としては「厳格な、過酷な」)、それをギリシャ語のかたちにしたもの。でも、古典に男性形の「Σευῆρος」、女性形の「Σεουῆρα」っていう例があるから、そっちのほうがいいとおもうんだけど。もっとも、このかたちの用例もあるのかもしれない。
「Σίναπυς」に完全に一致するかたちはないみたいだけど、「シナーピ」「シナーピュ」「シネーピ」「シネーピュ」(以上中性名詞)「シネーピュス」(男性名詞)「シナーピス」(女性名詞)っていうのがあって、「からし」って意味だ。スネイプに発音がにてて、イメージにあう単語をかんがえたんだろう。スネイプは男だから、一般的な「シナーピ」に男性名詞「シネーピュス」の語尾をつけたのかな。
ヴォルデモート Φολιδομορτός
ヴォルデモート(Voldemort)はフランス語の「vol de mort」(死の飛行)だろう。ギリシャ語訳のほうは、「ポリド」は「は虫類のウロコ」。「モルトス」は、フランス語の「mort」(死)と語源がおんなじで、「しぬ運命の」(英語の mortal)。それに、全体として発音をにせてる。ほかの名まえでも原文の「v」は「φ」([pʰ]または[f])でうつしてる。
ニコラス・フラメル Νικολᾶος Φλάμηλος
「Νικολᾶος」はもともとギリシャ語の名まえで、「Φλάμηλος」はフラメルをギリシャ語ふうにしたものだろう。
ヘドウィグ Ἡδυϊκτίν
ヘドウィグ(ヘートヴィヒ)はもともとドイツ語の女のひとの名まえで、もとの意味は「あらそい、たたかい」。ギリシャ語訳は発音をにせてあって、分解すると「ヘーデュ+イクティーン」で、「ヘーデュ(ス)」は「こころよい、あまい、たのしい、このましい」、「イクティーン」は「トビ、ハゲタカ、肉食鳥」。
スキャバーズ Σκάβρος
ギリシャ語ふうにしたもの。
フラッフィー Οὐλόθριξ
フラッフィー(fluffy)は「ふわふわした毛でおおわれた」、「Οὐλόθριξ」は「ちぢれ毛の」。
イーカロス:イカロス。 アレース:アレス。 アテーナー:アテナ。
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2005.02.01 kakikomi; 2009.05.07 kakinaosi
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