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コンピューターと漢字

新聞の文化欄に、「中国文字文化史」が専門の学者の文章がのってたことがある。むかしは漢字を機械であつかえなかったもんだから、昭和40年代には、ビジネス界を中心に漢字廃止論があったけど、いまは「技術者たちの努力によってコンピューターで大量の漢字が使えるようになり、それとともに漢字廃止論の前提はあっさりくずれさった」っていうのからはなしがはじまってたけど、ほんとにそうかなあ。

そもそも「漢字廃止論の前提」はこんなもんだけ? 情報処理で漢字があると不利だからほかの先進国にまけちゃうとか心配して、ビジネス界を中心にそんなはなしがあったみたいだけど、どうせビジネス界のはなしだもんね。ビジネスっていうとなんかちゃんとしたものみたいにきこえるけど、しょせんはただの金もうけじゃないか。金もうけのさまたげになるっておもえば、問題だってさわぐけど、そうじゃなくなれば、手のひらをかえして逆のことだって平気でいうのがビジネス界だろう。問題はそんな金もうけのことじゃない。金もうけしかあたまにない連中が日本語のことに口をだすなっていいたい。

漢字が機械であつかえるようになったからって、じつはなんにもかわってない。逆に、梅棹忠夫氏がいうみたいに状況はかえってわるくなったのかもしれない。ヘンな漢字をたくさんつかうようになったりしてるし。タモリなんかも、自分がかける漢字をつかうんならいいけど、みたいなこといってたっけ。それとか、わか手の作家の漢字のつかいかたをみたら、パソコンで変換したのとおんなじだったってあきれてた編集者もいるし。

コンピューターで漢字をあつかえるようになったからって、漢字をみなきゃ区別できないようなことばはあいかわらずあふれてるし、漢字のつかいかたのおかしさもかわりがない。日本語としてはおんなじ単語なのに漢字の意味のちがい、つまり外国語の意味の区別で文字をかきわけてみたり、べつの単語なのにおんなじ漢字でかいてみたり、日本語の単語のつくりとは無関係の漢字でかくもんだから、単語と単語の関連がわかんなくなってたり……。だいたい「漢字仮名混じり文」じゃ正書法すらきめられない。

ただ意味をとるっていうんじゃなくて《よむ》っていう点でも、いまのまんまじゃ日本語はちゃんとは《よめない》。「私」ってかいてあるばあい、意味はわかっても、「わたし」ってよむのか「わたくし」ってよむのかは、たとえ前後関係があっても、きめられるとはかぎらない。目の不自由なひと用に本を朗読して録音する作業をしてるひとが、どうよんだらいいのかきめられないことばにでくわすこともよくあることらしい。なにしろ大学教授クラスでも、いまの日本語文を完全には《よめない》っていうんだから。

それに、コンピューターで「漢字仮名まじり文」がかけるからって、英語とかとおんなじようになったわけでもない。英語なら、ただ文字を入力すればそれですむ。でも、日本語は漢字変換しなきゃなんないし、どの漢字をつかうかをいちいち画面でたしかめなきゃいけない。これだけでもぜんぜん効率がちがう。だいたい、正書法がないから、100パーセントただしく変換することなんてありえない。それに、金もうけのはなしにしたって、変換システムにかかるコストをかんがえたらどうなんだろう。

まあ、このひとのばあい、専門が「中国文字文化史」だから、最初っからいうことはきまってるようなもんかな。漢字の問題がなくなったら、このひとが国語審議会の委員としてよばれることもなくなっちゃうし。

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2005.02.10 kakikomi; 2010.12.22 kakinaosi

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