作詞家の自己満足?
歌の歌詞で、たとえば「女」ってかいて「ひと」ってよませたり、「時代」ってかいて「とき」ってよよませたりするようなのがよくあるけど、あれってなんの意味があるんだ?
歌詞っていうのはよむもんじゃなくて、きくもんだろう。それなのに、漢字にふりがなふってべつのよみかたさせるっていうのは、どういうつもりなのかな。きいてわかるようなもんじゃなきゃ歌詞として意味がないとおもうんだけど。
よむ詩なら、こういうふうにかくのもまだわかる(っていってもこういうかきかたはやっぱりどうかとおもうけど)。でも、歌詞のばあい意味あるかなあ。歌の歌詞なのにかきかたのほう工夫してどうするんだろ。いちいち歌詞カードでもみながらきけっていうのかな。
こんなの、けっきょく作詞家の自己満足なんじゃないの? そうまでいわないとしたら、かきことばのこの手の習慣にとらわれてて、作詞するときもそれがでちゃうってことか?
2005.03.22 kakikomi
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