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現代の呪文

呪文なんてものは、いまじゃ ものがたりのなかだけのものだっておもわれてるかもしれないけど、実際にはある種の “呪文” はよくつかわれてる。

世界的には、「科学的」ってことばがいちばん活躍してる呪文だとおもう。日本だと、「日本的」ってことばかな。「科学的」だとか「日本的」だとかいえば、そこで思考停止をおこさせる効果がある。批判をゆるさないともいえる。

文化的な分野でも政治・経済でも、「日本的」ってことをもちだせば、そこではなしがおわっちゃうみたいなことがよくある。「日本的」だってことは事実かもしれないけど、はなしはそこでおわらないはずだ。「日本的」っていうだけじゃ、いいともわるいともいえないし、要するに、「日本的」だからって、それがどうした、ってことだ。

むかしの「国体」(国民体育大会じゃなくて)みたいなことについても、「日本独自のもの」だとか、「日本はそういう国なんだ」とかいって、「日本的」ってことで有無をいわせない方向にもってったりするけど、それもおんなじことだ。わざっとそういうふうにしてるっていうより、本人がまずはこの手の呪文、この手のかんがえかたにとらわれてるんだろうけど。

現代の科学信仰(科学主義っていわれることもある)をカサにきて、「科学的」ってことばをふりまわす現代の《祭司》、現代の《神学者》もたくさんいる。ちゃんとした科学者はそんなことはないにしても、科学信仰の《祭司》たちは、学校教育やらマスコミやらを利用してさかんに布教活動にいそしんでるわけで、そのために、この呪文が世間にあふれかえることになってる。科学の時代になって、かえってべつの迷信がうまれたっていえるのかもしれない。

2005.05.19 kakikomi; 2010.09.07 kakinaosi

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