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ローマ教皇の役わり

ヨハネ・パウロ2世がなくなってからベネディクト16世がきまるまで、ローマ教皇関係のニュースがいろいろ報道されてたけど、さきの教皇の死になみだしたり、あたらしい教皇がきまってないてるひとたちのすがたがうつってた。イタリアには「教皇がしんでも べつのひとがなる」(Morto un papa se ne fa un altro.=どんなひとにもかならずかわりがいる)とかいうようなことわざがあるぐらいだから、つきはなしてみてるひともいたとはおもうけど(教皇だけじゃなくて、首相だろうが王様だろうが、しんだら べつのひとがなるだけのはなしだもんね)。

教皇はカトリック信者にとっては父親みたいな存在だともいわれてる。カトリックのばあい、聖職者に「神父」ってことばをつかうし、これを英語ならたんに Father っていってるから、まさしく父親だ。その父親の総もとじめが教皇なわけで、英語で pope っていうけど、the Holy Father ともいう。pope じたいも「パパ」と関係あることばだ。そのもとはラテン語の papa [パーパ]で、赤ちゃんことばの「パパ」。それに「司祭、主教、教皇」っていう意味もある(ことわざにもでてきてるイタリア語の papa [パーパ]はこれの直系の子孫)。さらにそのもとはギリシャ語の πάπ(π)ας [páp(p)as パ(ッ)パス]で、やっぱり赤ちゃんことばの「パパ」だった。

でも…、「パパ」っていえば、まずは父なる神なんじゃないの? キリスト自身が神のことを「パパ」っていってるんだから。『マルコによる福音書』14章36節にはキリストが神に「アッバ、父よ」(新共同訳)ってよびかける場面がでてくる。「父よ」は「パパ」って感じじゃないけど、ここの原文は ἀββὰ ὁ πατήρ [abbǎː hopatɛ̌ːr アッバー ホ・パテール](発音はとりあえず古典式)で、「アッバー」はアラム語でもともと赤ちゃんことばの「パパ」だった。それが、おとなになった むすこと むすめもつかうようになった。ところが、これが強調したかたちだって勘ちがいされて、ギリシャ語で「ホ・パテール」(父よ)って訳されたらしい。だからここで重要なのは「父よ」のほうじゃなくて「アッバ」のほうだ。それから、『ローマの信徒への手紙』8章15節には、信者は神の子になって「アッバ、父よ」っていうようになるってかいてある。つまり、キリストだけじゃなくて信者にとっても神は「パパ」だってことになる。

教皇は神の代理人とかいうけど、どうも、もともと父なる神とキリストにむけられるはずの信仰をよこどりしてる感じがする。まるで、信者と神のあいだに教皇がはいってジャマしてるみたいだ。教皇の役わりは信者を直接キリストにちかづけないようにすることだっていったひとがいるけど、教皇に対するカトリック信者の態度をみてると、こういうことをいうひとがいるのもうなずける気がする。

ローマ教皇:ローマ法王。

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 ・ローマ教皇のツイッター

2005.05.15 kakikomi; 2009.05.07 kakinaosi

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