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ギリシャ語・ラテン語のながい母音のあつかい

古代ギリシャ・ローマのひととか土地の名まえをカタカナでかくとき、ギリシャ語・ラテン語のながい母音を無視してるのをよくみかける。「ホメーロス」じゃなくて「ホメロス」、「ヘーラー」じゃなくて「ヘラ」、「ミュケーナイ」じゃなくて「ミュケナイ」っていうふうに。でも、なんでわざわざこんなことするんだろ。

おんなじ出版社でもまちまちだったりする。たとえば岩波文庫をみると、『ホメロス イリアス』、『四つのギリシャ神話 ~『ホメーロス讃歌』より~』、『ヘシオドス 神統記』、『ヘーシオドス 仕事と日』、『ソポクレス コロノスのオイディプス』、『ソポクレース アンティゴネー』、『アリストテレス 形而上学』、『アリストテレース 詩学 ホラーティウス 詩論』……。
文庫じゃないほうをみると、『プラトン全集』、『アリストテレス全集』はタイトルのとおりながい母音は無視(ただし「アリストテレス詩学」だけは翻訳者がガンバってながい母音をのこしてる)。だけど、『キケロー選集』はタイトルどおりだし、『セネカ哲学全集』もながい母音をかいてる。それから、『ギリシア悲劇全集』もちゃんと「ソポクレース」「エウリーピデース」っていうふうになってる。
京都大学学術出版会の「西洋古典叢書」は、最初のカタログだと『アエネイス』になってたのに、実際にでたのをみると『アエネーイス』でなかみもタイトルどおりながい母音を無視してない。翻訳者のいい分がとおったのかな。

ちがう分野をみると、インドとかイスラーム関係のものは、サンスクリット語とかアラビア語とかの名まえでながい母音がたくさんでてきても、たいていちゃんとそのまんまにしてる。アーラーラ・カーラーマ、ナーガールジュナ、ラーマーヌジャ、ミーラー・バーイー、ハールーン・アッ・ラシード、ジャラールッ・ディーン・ルーミー、バーヤジード・バスターミー、ムハンマド・ラーヒージー、……なんて感じで。

それに、英語の名まえにだってながい母音をつかってる(いちいち例をあげるまでもないだろう)。でも、英語のながい母音とみじかい母音の区別はじつはあいまいで、それにくらべて古代のギリシャ語とラテン語のながい母音とみじかい母音の区別ははっきりしてるんだから、はっきりしてないほうを区別してるのっていうのもヘンなはなしだ。

かりに、ながい母音を無視したかたちで 定着 してる有名な名まえはそのまんまにしとくとしても、ほかの(とくに有名でもない)名まえまでそれにあわせることはないだろう。ちょっと例はちがうかもしれないけど、英語よみの「シーザー」がいくら有名だからって、ほかのものもそれにあわせて英語よみしてるわけじゃない。それに、その「シーザー」だって「カエサル」になってきてる。さらにいうと、英語からきた「シーザー」には「ー」がふたつもある。このことからしても、「ヘラ」じゃなくて「ヘーラー」でいいじゃないか。

ギリシャ・ローマの名まえのながい母音はそのまんまのこしたほうがいいっていう理由はただひとつ。

外国語の名まえをカタカナでかくとき、日本語の発音として区別があるものは区別すればいいし、区別がないものは区別しない(っていうか、できない)。

たとえば、「L」と「R」の区別とか、古代ギリシャ語・サンスクリット語・朝鮮語・ペキン語なんかにある「有気音」([kʰ, pʰ, tʰ…])と「無気音」([k, p, t…])の区別は日本語にはないから(区別がないだけで、どっちかの音だけしかないってわけじゃない)、こういうものはカタカナでかきわけることはできない。でも、ながい母音とみじかい母音は日本語でも区別があるんだから、そのとおり区別してかけばいいとおもう。

日本語にある母音のながさの区別をわざわざ無視して外国語の名まえをかくっていうのは、ほかの例でいえば、日本語に清音と濁音(無声音と有声音)の区別があるのに、それを無視するようなもんだろう。たとえば、日本語にはタ行とダ行の区別があるっていうのに、[t]と[d]を区別しないで全部タ行でかいちゃうようなもんだ。

日本語の名まえにもながい母音はけっこうでてくる。たとえば「東京/とうきょう」は漢字でもひらがなでも一見ながい母音がわかりにくいけど、「トーキョー」って発音なんだから、ながい母音がふたつつづいてるわけだ(この「トーキョー」からしても「ヘーラー」っていうのはおかしくない)。こういうふうにながい母音が漢字とかなづかいにかくされてるのはおおい。

『独習者のための楽しく学ぶラテン語』(小林標[こばやし こずえ]著、大学書林)には、「母音の長短を区別する言語を持つ日本人は,同じ特徴を持つラテン語を欧米人よりは正確に読めるのである」ってかいてあるけど、このはなしを逆にもできる。母音のながさを区別するラテン語の名まえを(もちろん古代ギリシャ語も)、おんなじ特徴がある日本語にうつすとき、近代の西洋のことばより正確にうつせる。それをやらないのは、西洋のサルまねってことにもなるんじゃないかとおもう。

ラテン文字(ローマ字)は、それだけだとながい母音とみじかい母音の区別をあらわせないし、西ヨーロッパの近代語は、この区別がなくなったものがおおい(イタリア語とかはアクセントがある母音をながめに発音するけど、これはながい母音とみじかい母音の区別があるっていうのとはちがう)。だから、古代のギリシャ語とラテン語の名まえが近代ヨーロッパ語を経由して日本につたわると、もともとのながい母音がなくなっちゃうんだろう。でも、いまは日本人にも直接ギリシャ語・ラテン語をよんでるひとがいて、そこからじかにとりいれればいいんだから、西洋のまねをすることはないんじゃないかな。

西洋のまねは母音だけじゃなくて、子音にもある。「ペロポンネーソス(Πελοπόννησος [pelopónnε:sos])」っていうのは、ながい母音を無視するだけなら「ペロポンネソス」になるはずだし、こうかいてあるのもあるけど、「ペロポネソス」っていうのもよく目にする。なんで n をふたつ分よまないんだ。それから「ヒッポクラテース(Ἱπποκράτης [hippokrátε:s])もそうだ。ながい母音を省略するだけの「ヒッポクラテス」もあるけど、かさね子音まで無視した「ヒポクラテス」なんてのがある。子音字がふたつあるとイタリア語ならふたつ分よむけど、ほかのメジャーな西洋語だとひとつ分しかよまないから、その影響だろう。こういうふうにカタカナがきするのはもろに西洋のサルまねだとおもう。

英語からきた「マホメット」が、いまじゃニュースでもアラビア語をうつした「ムハンマド」になったみたいに、古代ギリシャ・ローマの名まえも、ヨーロッパ経由、西洋のサルまねをやめて、日本語にある区別をふつうにつかったかきかたにすればいいとおもう。

ついでにいうと、いまのギリシャ語は古代にあったおおきな特徴がなくなってる。ひとつは日本語みたいなたかさアクセントで(古典ギリシャ語と日本語のにてるところ」)、もうひとつはながい母音とかさね子音だ。現代ギリシャ語とくらべても、母音のながさの区別とかさね子音は古代ギリシャ語のおおきな特徴なんだから、おんなじ区別がある日本語でカタカナがきするときも、その特徴をのこしておきたい。

そういえば、『古代ギリシア科学史の旅』(高野義郎著、丸善ブックス)って本にはこんなことがかいてあったっけ。

もし私たちが、古代ギリシア人のように考えるだけでなく、感性においても古代ギリシア人に近づこうとするならば、当時彼らが使っていたと思われる言葉の響き、それも大切にしなければならないものの一つではあるまいか。

こういって、このひとはちゃんとながい母音をのこしてカタカナがきしてる。この著者のサイトもあって、そのなかには引用したのとおんなじことがかいてあるページ(「古典ギリシア語の発音について」)もある。

ながい母音:長母音。 みじかい母音:短母音。

関連記事
 ・ながい母音と「ン」
 ・『改訂版 羅和辞典』のラテン語の母音のながさ
 ・ハンガリー語にみる古代ギリシャの名まえ
 ・古典式発音と日本語的発音
 ・古典ギリシャ語と日本語のにてるところ
 ・ながい母音を無視する(?)ドイツ語のカタカナがき

2005.06.04 kakikomi; 2010.12.23 kakinaosi

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コメント

どうも、お久しぶりです。
古典ギリシャ語の授業、なんとかついっています。
まだ文の構造がわからなかったり、
活用、変化を覚えてなかったりしてますが。

授業では文を声に出して読む事もあるのですが、
どの場合も「-」を頭に描いて発音しようとすると
違和感を感じます。
というのも古典ギリシャ語の発音は
鋭、重、曲アクセントとあるからだと思います。
鋭アクセントが長母音のところにあれば
「-」と表記するのが良いかも知れない。
けれど重、曲アクセントであれば
「ァ」や「ェ」など小さい母音をおいて
発音した方がいいと思います。

例えばαγαθος(良い、形容詞)で
女性形、単数主格はαγαθηで
これは「アガテー」とし、
単数属格はαγαθηςで
これは「アガテェス」とするみたいに。
主格でも後ろに語が来れば
重アクセントに変わるから「アガテェ」と。
昔の人の本当の発音はわからないから
結局はどうしようもないけど
どれも「-」として執拗に伸ばすと
文としてのまとまりに欠ける気がします。

日本語も古典ギリシャ語も強アクセントではなく
鋭アクセントなので
変に意識する事はないと思うけど
「ソクラテス」と
「ソークラテース」と
「ソォクラテェス」は
普通に発音しても違う風に感じるではないでしょうか?
どうでしょうかね?

投稿: Dice+K | 2005.06.05 00:52

おひさしぶりです。

どうも「ー」とかくのと「ァ、ィ、ゥ、ェ、ォ」とかくばあいの発音のちがいがわかりません。おなじことだとおもうんですけど。「テー」と「テェ」はちがいがあるんでしょうか。みなれないかきかたのばあい、ひろいよみをすることになって、その結果よみかたの感じもかわってしまうということでしょうか。

アクセントのちがいだとしても、たとえば「ホームページ」ということばのアクセントをかんがえてみると、「ホー」は「ホ」がひくくて「ー」でたかくなるしりあがり(または「ホー」全体がたかい)、そして「ぺー」は「ペ」がたかくて「ー」でひくくなるしりさがりになっています。つまり「ー」でもたかくなるのとひくくなるのがあるわけで、ギリシャ語でいえば鋭アクセントにも曲アクセントにもなるということです。

それに、ギリシャ語のアクセントと対応させるとしても、日本語にしたらアクセントはかわってしまうわけで、日本語のとしてのカナがきで、ギリシャ語のアクセントを区別する必要はないとおもいますし、できないとおもいます。

日本語の表記の問題としては、「ソォクラテェス」みたいなのはどうなんでしょう。ちいさい「ァ、ィ、ゥ、ェ、ォ」は、ちいさい「ャ、ュ、ョ」とおなじように、まえのカナといっしょになって1拍として発音するということでちいさくなっているのであって、「テ」のあとに「ェ」をつづけるというようにおなじ母音のカナにつづけるのなら、ちいさい「ァ、ィ、ゥ、ェ、ォ」である意味はないとおもいます。「テェ」と「テエ」の発音のちがいがわかりません。おなじなら、ちいさい「ェ」をつかう必要はないとおもいます。基本的に、おなじ母音のあとにちいさい「ァ、ィ、ゥ、ェ、ォ」をつかうのは、日本語の単語の表記としてよくないとかんがえています。

それから、むかしは「ベエトオベン」なんてかいていたのがいまでは「ベートーベン」になったわけで、これはたんなるかきかたのちがいです。ですから、「ソークラテース」と「ソオクラテエス」はおなじことでしょう。ただ「ソオクラテエス」とかいたらふるくさい感じになるから、さすがにいまではつかわないにしても。

もしかして、文末の「ねえ」みたいなもののかきかたからかんがえているということなのでしょうか。こういうのは「ねー」とか「ね~」とか「ねえ」とか「ねぇ」とかかいたりして、みための印象のちがいで実際のいいかたのニュアンスをあらわそうとしているんだとおもいますけど、これは特殊なばあいというか、外国語の名前のかきかたにはあてはまらないんじゃないでしょうか。

ただし、日本語表記としてではなく、発音記号のかわりにギリシャ語の発音をあらわす手段としてなら、「アガテー」と「アガテェ」をアクセントによってかきわけるというのは、ありえることだとおもいます(といっても、3種類の区別がほしいところですけど)。ただそれは、外国語のなまえを日本語としてカタカナがきするのとはべつのことです。

カタカナ表記については、たとえば、ゲルマン神話の英雄「ジークフリート」をこういうふうにかいているのに、「ソークラテース」じゃおかしいというのは、ちがうんじゃないかとおもうだけです。もちろん、ふだん「ソクラテス」といっているひとが「ソークラテース」というのは当然ヘンな感じがするでしょう。でも、それはなれの問題で、日本語としておかしいということではないとおもうのです。

ところで、アクセントについてはどういうふうにならいましたか。ながい母音の鋭アクセントは「テーブル」の「テー」みたいなしりあがり、曲アクセントは「ゴール」の「ゴー」みたいなしりさがり、というふうな説明になっているとおもうんですけど、重アクセントにはいくつか説があります。アクセントをうしなうのか、鋭アクセントよりすこし(半分ぐらい?)さがるだけなのか、かきかたがちがうだけで発音自体の変化はないのか。実用的にはどの説でもいいようなもんですけど、授業でどういう説明をしているのかちょっと興味があります。

投稿: ゆみや | 2005.06.05 19:03

すいません、返事が遅くなりました。
少し説明不足のところがあったようです。
僕は「-」のところにアクセントがあれば
音の高低を表す必要があるという事ではなく
(日本語はやはりアクセント記号をつけませんしね)
音の長さが違ってくるのではないかなと思ったわけです。
だからアクセントがあるところでは「テー」は
二拍で発音して
ないところは一拍で発音した方がいいかなと思いました。
という事で浅はかにも「テー」と「テェ」で
その違いを表せるかなと思ってしまったわけです。

そしてたぶん普段は英語がカナ書きで書いてあったとしても
頭の中ではアルファベットになおして考えているので
文字に左右されないのですが、
ギリシャ語だとカナ書きに沿って発音しようとしているので
でてきた音に違和感を感じたのかも知れません。
といっても古代ギリシャ語では英語の様に
一部分がわかって後は短縮しても大丈夫な様な
発音ではなかったかも知れないので
まずはそこから間違っているんじゃないかといえますけど。
仰る様に慣れですね。

学校でのアクセントの説明ですが、
基本は以下のテキストに沿っていて
「古典ギリシア語初歩」水谷智洋著 岩波書店
付け加えとしてなんかしら言ってました。
鋭も重も曲も鋭アクセントで説明できると。
重は単純に上がらない、つまりはない。
曲は鋭して重すると。上げて下げると。
単純ですな。
ただ一つ面白い事は
どうやら古代ギリシャ語を研究している学者によると
鋭アクセントというのは楽譜で見ると
1オクターブ下のラ(?)からミへの上げ幅と
同じであるという結果がでたと話していました。
日本語だと堂なのでしょうね?
比べてみてみたいです。

投稿: Dice+K | 2005.06.08 23:54

なるほど…、アクセントによって母音のながさがちがってくるというはなしだったんですね。アクセントがあると母音がながくなるのは現代ギリシャ語ですよね。おなじようなことは、イタリア語・スペイン語・ロシア語とかにもありますけど、みんな現代ギリシャ語みたいにつよさアクセントです。古代のギリシャ語はたかさアクセントなので、母音のながさに影響をあたえません。むしろ、母音のながさによってアクセントの位置と種類がきまってくるわけで、アクセント以前に母音のながさはきまっています。韻文のことをかんがえても、英語とか現代ギリシャ語の詩のリズムは強弱のアクセントによるものですけど、ギリシャ・ローマの古典の詩のリズムは、アクセントに関係なく、音節のながさのくみあわせです。こんなところにも、現代と古代のギリシャ語のアクセントの性質のちがいがあらわれているとおもいます。

教室のテキストはその本ですか。ヨーロッパ・アメリカでは工夫をこらしたおもしろい、いいテキストがいろいろでてるんですけど、日本のはにたりよったりですね。でも、『古典ギリシア語初歩』は、練習問題に古典の文章をつかっていて(出典もちゃんとかいてあって)おもしろかったので、その部分では気にいっています。

で、たしかにアクセントというものは鋭アクセントしかないんですよね。曲アクセントは結局記号のなまえであって、ながい母音・二重母音の前半の拍に鋭アクセントがあるってことですから。それから、重アクセントは「ない」ということなんですね。まあ実用的な判断なのでしょう。有力な説はあるにしても、絶対ってこともないですからね。

くわしい研究によると、アクセント記号のあるところだけがたかくなるのではなくて、その母音にむかってだんだんたかくなっていって、それから急にさがるというようなことらしいんですけど…。重アクセントは、その単語自体としてはアクセントがなくなるわけではない(鋭アクセントよりは低い)けれども、つぎの単語に対してはアクセントがないようなもので、つづく単語はまえの重アクセントのたかさか、それよりすこしたかいところからはじまる、という説があります。文章全体としては、どの言語もおなじことで、だんだんさがってくるので、あとからでてくる単語の鋭アクセントはすこしずつまえの単語の鋭アクセントよりひくくなるらしいんですけど(意識してそうしなくても自然にそうなる)、途中重アクセントの単語があると、つぎの単語はおしあげられて、その鋭アクセントはまた最初の単語みたいなたかさにもどるということらしいです。この重アクセントの説は、日本語の平板型アクセントの現象とよくにているのでしたしみがもてます。平板型というのは、最後の拍までたかくて、つぎの助詞でもさがらないものです。たとえば「わたし」のアクセントがそうです。「わたしが」というと、「わ」がひくくて、そのあと「が」までずっとたかいですよね。このばあいの「わたし」のアクセントが重アクセントにちょっとにています。

ながい母音の鋭アクセントについては、よくあることなんですけど、ただその母音がたかいという説明だけだと、曲アクセントと区別がつかなくなってしまいがちです。古典ギリシャ語の音声教材をきいてみても、どうもアクセントの発音が不正確だとおもいます。

音程の差については、紀元前1世紀のハリカルナッソスのディオニューシオスが、会話のメロディーは5度(3全音と1半音)ではかることができて、それ以上にあがったりさがったりしない、とかいていますね(ただし解釈がわかれています)。5度というのは、したのラからミってことです(ドからソっていったほうがわかりやすいような…。ラは音名だとA、古代ギリシャでもアルファなので、ラからミっていう説明にになったのでしょう)。ある研究書には、この5度というのは、実際にたかさアクセントがある言語からかんがえて、ちょうどいい音程だとして、日本語のことがでてきます。そこにでている日本語の例は、5度から3度の音程差になっています。ただし、これは単語レベルのはなしで、文章全体となると、イントネーションなんかもありますし、ギリシャ語でも日本語でももっとはばがあるでしょう。この研究書には、さっきの重アクセントのこともふくめて、日本語のことがさかんにでてきます。

ついでに、古代ギリシャ語の発音についてのサイトを紹介しておきます。すべて「Commission for Ancient Literature & Latin Tradition」というサイトのなかのページなんですけど、まずは、「The Sound of Ancient Greek - Classical Pronunciation」。ここでは古典の朗読をきくことができます。ただし、西洋人の発音にありがちで、アクセントが不正確だとおもいます。ながい母音の鋭アクセントを曲アクセントみたいに発音しています。ドイツ語なまりもまじっています。それから、「Homeric Singing」。ここではホメーロスの朗唱を復元したものがきけます。このページのなかに参考文献としてあがっている「G. Danek / S. Hagel, Homer-Singen」(PDF版はこちら)には、アクセントを図にしたものがのっています。説明文はドイツ語なんですけど、説明はよまなくて図だけでも、みためでわかるとおもいます。とくに2つめの図がおもしろいです。3つめの図は、復元したメロディーの「楽譜」です。

投稿: ゆみや | 2005.06.09 19:54

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