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旧かなづかい派への疑問

けっこうまえのことだけど、ある掲示板にローマ字の話題がでて、いつも旧かなづかいでかいてるひとが、旧かな式ローマ字をかいてたことがあって、おもしろいことに、旧かな式ローマ字はほんとうにむずかしい、なんて本人がかきこんでた。自分がかいたローマ字のつづりがまちがってたのを訂正したときのコメントだった。

現代文のローマ字なのに旧かな式っていうのがまずおどろいたけど、それより、ふだん旧かなで文章をかいてるらしいひとが、ローマ字になるとむずかしいなんていってるのがおかしかった。旧かな式ローマ字なんて要するに旧かなづかいをそのまんまローマ字にしてるだけのことなんだから、いつも旧かなでかいてるひとにとって一体なにがむずかしいっていうんだろ。

で、かんがえてみると、ローマ字にするとまちがえたってことは、じつはそのひとが旧かなづかいでちゃんとかけてなかったってことじゃないか。つまり、旧かな式ローマ字がむずかしいんじゃなくて、旧かなづかいそのものがむずかしくて旧かな派のひと自身がかけてないってことだろう。

こういうひとが旧かなづかいをつかえるのは、結局は漢字のおかけなんじゃないかな。漢字かなまじり文だからこそ旧かなづかいなんてものをちゃんとつかってる気分になれるんだろう。じっさい、漢字かなまじり文なら、せいぜいおくりがなの部分だけ旧かなづかいにすればすむわけで、それなら特別むずかしくはないだろう。そういえば、福田恒存〔恆存〕の『私の国語教室〔國語敎室〕』にもそんなこと かいてあったっけ。この本は旧かな旧漢字になってて、旧かなはそんなにむずかしくないよ~っていいたいみたいなんだけど、そのカラクリは漢字にある。それに、旧かなづかいは漢字かなまじり文が前提だとか、字音かなづかい(漢字の音よみのふりがな)は現代かなづかいにするとか、都合のいいこといってた作家もいたっけ(いまでもそうなのかな?)。

漢字をつかわないとすると、用言(動詞・形容詞とか)の語幹の部分も、それから名詞とかも、ひとつひとつの単語についていちいちかなづかいをおぼえなくちゃいけない。それに漢語をひらがなでかくとなったらさらにむずかしい。旧かな式ローマ字でつづりをまちがえたってことは、結局その単語のかなづかいをおぼえてなかったわけだ。

旧かなづかいは、平安時代はじめのころの発音がもとになってるけど、その時代をもとにするっていうんなら、平安文学の文字づかいはなんでマネしないんだろ。平安文学は、基本的にひらがなでかいてあって、かなでかけない漢語だけ漢字でかいてた。当時はまだ漢語はもとの中国の発音にちかくて、かなじゃかけないものもあったからだ(子音でおわってるのとか)。だから、平安初期のかなづかいをもとにするんなら(このころはほんとは「かなづかい」なんてもんじゃないけど)、漢語は漢字でいいとして、やまとことばはひらがなでかけばいいとおもうんだけど、でも、そうすると、旧かなづかいでかくなんてことはむずかしくてできないとか?

だいたい、平安時代はじめのころの発音がもとになってるくせに、かなの区別としては、院政期にできたらしい「いろは歌」の47文字と「ん」しかない。そのうえ、中世以来の和漢混淆文のかきかたをしてて、もとになってる時代がバラバラだ。それに、なんで平安時代のはじめの発音がもとになるのかもわかんない。変体がななんかもつかって、上代の発音をもとにしてもいいんじゃないの?

といっても、いまさら日本語のかなづかいが旧かなにもどることはないだろうから、べつに問題にすることもないか。

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2005.06.22 kakikomi; 2010.12.20 kakinaosi

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