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金剛ニェムマって?

チベット仏教の本には、百字真言(金剛サッタの百字真言」)をとなえながら瞑想する金剛サッタ(金剛薩埵 वज्रसत्त्व Vajrasattva [ヴァッジュラサットワ])の浄化法のことがよくでてくる。日本の密教の本ではみかけない行法だけど。

この瞑想法の本尊には2種類ある。ひとつは金剛サッタひとりだけのもので、もうひとつは明妃みょうひをともなってふたりでだきあってるかたちのもの。この明妃の名まえが「金剛ニェムマ」っていうんだけど、「ニェムマ」はチベット語だから、チベット独自の仏さまなのかな。

snyems_maしらべてみると、「ニェムマ」(sñems ma。右の画像はチベット文字のつづり)って名まえは漢文の経典なら「慢女まんにょ」とでもなることばで、それなら日本の密教にもいるじゃないか。金剛慢女(慢金剛女)なら金剛界マンダラとか理趣経のマンダラにでてくる。ただし、どれも4人の明妃のなかのひとりにすぎない。

理趣経関係の経典に金剛サッタの百八名讃っていうのがでてくるんだけど(『理趣経』の百八名讃」)、その部分は漢文には訳してなくてサンスクリット語のまんまを漢字にうつしてある(梵字がかいてあるものもある)。そのなかに「वज्रगर्वापते Vajragarvāpate [ヴァッジュラガルワーパテー]」っていうのがあって、訳せば「金剛慢女(ヴァッジュラガルワー)の夫よ」ってことになるけど、これは金剛サッタのことだから、ここだとはっきり金剛サッタの明妃は金剛慢女になってるわけだ。マンダラには明妃が4人いるのに、この百八名讃だと明妃は慢女だけだ。浄化法でもそうだけど、なんで慢女なんだろ。

金剛慢っていうのはもともと金剛サッタのポーズ(いん印契いんげい)の名まえだ。この金剛慢の印として左手のポーズであらわされてるものが、明妃としても表現されるようになったんじゃないのかな。だいたい वज्रगर्वा vajragarvā [ヴァッジュラガルワー]っていう女性名詞はそのまんまで「金剛慢の印」って意味にも「金剛慢女」って意味にもなるし、印っていう意味のサンスクリット語 मुद्रा mudrā [ムッドラー]だって明妃の意味にもつかわれるんだから。

そうだとすれば、日本のマンダラには4人の明妃がいるにしても、とくに金剛サッタとむすびつきがつよいのは慢女だってことになるし、それなら、百八名讃にしてもチベットの浄化法にしても、明妃が金剛慢女なのはふしぎじゃない。

ちなみに、「ニェマ」ってかくより「ニェマ」のほうがよくないかな。日本語の「ン」は「マ」のまえだと自然に[m]になるんだから。

ヴァッジュラサットワ:ヴァジュラサットヴァ。 マンダラ:曼荼羅。 ムッドラー:ムドラー。

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 ・金剛サッタの百字真言
 ・『理趣経』の百八名讃

2005.07.07 kakikomi; 2011.01.05 kakinaosi

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