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あたりまえの疑問にこたえようとしなくなった学問

いまの言語学じゃどうも言語の起源を論じるのはタブーになってるみたいで、まあ、それなりに理由もあるんだろう。19世紀あたりまで、みんな勝手なことばっかりいいあって、ちゃんとした学問的論議にはならないってことになったのかもしれない。

そうはいっても、言語の起源っていうのは、ごくあたりまえにいだく疑問なんじゃないのかな。それなのに、こういうあたりまえの疑問にこたえようとしない学問っていうのはいったいなんなんだろ。言語学は、人文学のなかじゃいちばん科学的だっておもってるみたいだけど、そのへんのことも関係あるのかも。言語の起源は科学にならないって感じなんだろう。

でも、自然科学はちゃんと宇宙の起源にとりくんでるじゃないか。結果としてどうかってことはともかくとして、とにかく、あたりまえの疑問にこたえようとしてる。いまは科学の時代なんていわれてるけど、時代をつくってるような学問は、この点はやっぱりまともだとおもう。

それにくらべて人文学のほうは、そういうのをなんだかんだいってさけてるとこがある感じがする。それに、自然科学はしっかり事実をあつかってるのに(そうおもってるだけってはなしもあるけど)、人文学のほうは、自然科学の「事実」に対して「真実」なんてことばをつかって事実の問題をごまかしてる。哲学だって宗教だってもともとは事実の問題なのに、自然科学があつかうような「事実」とはちがって人間の「真実」だとかいってるわけだ。でも、そんなごまかしなんていつまでもつづくもんじゃないだろう。そんなことしてるうちに、ますます自然科学においてかれちゃうんじゃないのかな。いわゆる「現代思想」はずいぶんいい気になってるみたいだけど……。

2005.07.10 kakikomi; 2010.09.07 kakinaosi

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