日本語の複合動詞
日本語にはたくさん複合動詞ってものがある。「もちあげる」「はこびだす」「まちくたびれる」「たべはじめる」「よみおわる」……。こういうものはふたつの動詞がむすびついて(これも複合動詞!)全体でひとつの単語になってるんだけど、古文になるとちょっとはなしがちがってくる。
ふたつの単語らしきものが、じっさいにそれぞれ独立した単語かどうかを判断するには、そのふたつのあいだにべつの単語が自由にはいりこめるかっていうのをみてみればいい(→「わかちがきのための単語のみわけかた」「古文のわかちがき」)。で、古文の複合動詞の例をみてみると、
いとかう思ひな入りたまひそ (源氏物語・若紫)
花なき里に住みや慣らへる (古今集・春上)
っていうふうに、ふたつの動詞のあいだに「な」とか「や」とかがはいるから、それぞれ独立したべつの単語ってことがわかる。ただし、なかにはひとつの単語になりきってるものもあるだろう。それについては、それぞれのばあいで判断するしかない。
接頭辞っていわれる「うち」も、「うつ」っていう動詞の連用形がついたものとして複合動詞とおんなじようにかんがえられる。
よしなしごと言ひてうちも笑ひぬ (徒然草30)
よひよひごとにうちも寝ななむ (伊勢物語5)
っていうふうに、「うち」と動詞のあいだに「も」がはいることがあるからだ。
それとか、動詞の連用形につづく「かぬ」も動詞じゃないみたいにあつかわれることもあるけど、複合動詞とかわりがない。
月をあはれと忌みぞかねつる (後撰集・恋2)
おんなじように動詞の連用形について、助動詞とも補助動詞ともいわれることがある敬語の「たまふ」「たてまつる」「きこゆ」「まうす」「はべり」「さぶらふ」も複合動詞とかわりがない。っていうか、複合動詞だろう。意味によって、本動詞にしたり補助動詞とか助動詞にしたりする必要があるのかな。すくなくとも、形式としては複合動詞とかわりないし、
照りやたまはぬ (万葉集892)
っていうふうに「や」なんかがあいだにはいることがある。だから、このばあいの「たまふ」とかも独立した単語ってことだ。おもしろいことに、こういう敬語が複合動詞のあいだにはいりこむこともある。
みずからはえなむ思ひたまへ立つまじき (源氏物語・桐壺)
見たてまつり送る (源氏物語・賢木)
これじたい、複合動詞がそれぞれ独立した単語だっていうことの例文になってる。それと、「たてまつる」はもともとは複合動詞だけど、平安時代からあとはひとつの単語ってかんがえていいだろう。
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2005.07.03 kakikomi
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