« 「ギリシャ」という名まえ | トップページ | 「アイ」は「エ」になる。「イア」は? »

「アテネ」はなに語から?

日本語の「ギリシャ」のもとがポルトガル語だっていうのは問題ないとおもうけど(「ギリシャ」という名まえ」)、「アテネ」のほうがどうもはっきりしない。

『日本国語大辞典』(小学館)にはラテン語の Athenæ からきてるってかいてある。『広辞苑』(岩波書店)は「Athene; Athenae ラテン」なんてかいてあって、Athene のほうがなに語だかわかんない。これもラテン語だってことなのかな。ほかに、『言泉』(小学館)も『大辞泉』(小学館)も『大辞林』(三省堂)もラテン語の Athenae ってことになってる。

ラテン語の Athenae は、古典式の発音なら[アテーナエ]だけど、あとの時代なら[アテーネ]って感じになった。だから、中世式っていうか、ヨーロッパのどっかの国の伝統的なラテン語の発音がもとになってるんなら、ラテン語の Athenae が日本語の「アテネ」になってもおかしくはない。でも、ラテン語からはいったっていうのがどうも納得できない。いったいいつのはなしなんだ? ラテン語から直接日本語にはいるかなあ。

そうおもってたら、『例解新国語辞典』(三省堂)に、イタリア語の Atene [アテーネ]がもとだってかいてあった。さらにしらべてみると、『コンサイス カタカナ語辞典』(三省堂)、『コンサイス 外来語辞典』(三省堂)、『日本語になった 外国語辞典』(集英社)にもイタリア語っていうのがのってる。こうしてみると、ちょっと出版社によってかたよりがある感じもするけど、それはそれとして、イタリア語っていうのもなんかおかしくないかなあ。むかしの外来語でイタリア語からはいったのってそんなにあったっけ。「アテネ」って発音にちかいヨーロッパ語をさがしだしてきただけなんじゃ…。

イタリア語はロマンス語のひとつで、ロマンス語はラテン語が変化したものだ。まえにもかいたことあるけど、ロマンス語の名詞はラテン語の対格形(目的格、~を)がのこったものだから、アテネのばあいもそうなってるはず。ラテン語の Athenae の対格形は Athenas [アテーナース]で、ロマンス語をみてみると、スペイン語とポルトガル語が Atenas [アテナス]、フランス語が Athènes [アテーヌ]だから、やっぱりこの対格形がのこってるんだろう。イタリア語だけはちがってるみたいにみえるけど、ラテン語の Athenas が 中世の俗語表現で Athenes になって、さらに -s がとれて、イタリア語のかたちになった。

英語の Athens [アセンズ]はフランス語の Athènes がもとで、この英語からきたいいかたも日本でつかわれてたことがある。ただし「アゼンス」とかいって、にごるとこが逆になってた。th が有声音になるのは the とか this とかの基本的な、もとから英語の単語だけなのに、おもわず有声音の[ð]ってよんじゃったんだな。Athens は外来語なんだから、ほかのギリシャ語起源の単語とおんなじで無声音の[θ]になる。最後の s が有声音の[z]なのに「ス」になってるのは、たとえば「タイガース」みたいに、複数形の s が有声音のばあいでも日本語で「ス」になってるのとおんなじで、よくあることだ(英語の複数形・三単現・所有格の「s」の発音―― 無声音と有声音」)。

で、はなしをもどすと、『基本外来語辞典』(東京堂出版)をみたら、これもラテン語の Athenae だってことにはなってたけど、「使用普及時代」が江戸時代ってかいてあった。江戸時代に日本と関係あったといえば、オランダだ。で、オランダ語でなんていうかしらべてみたら、これが Athene [アテーネ]だった。ってことは、日本語の「アテネ」のもとは、オランダ語なんじゃないのかな。

ラテン語からはいったとすれば、江戸時代よりまえに宣教師からつたわったってこともかんがえられるとおもうけど、アイソーポス(イソップ)をイエズス会がローマ字の日本語に訳した天草本『ESOPO NO FABVLAS(エソポのハブラス)』(1593)をみると、アテネは Athenas になってる。これはポルトガル語かスペイン語のふるいつづりだとおもうけど、この翻訳は「Latinuo vaxite Nippon no cuchito nasu mono nari.」つまりラテン語から日本語に訳したって表紙にかいてあるのに、アテネはラテン語のかたちじゃないわけだ。これをみてもアテネのもとがラテン語だっていうのはやっぱりあやしいとおもう。この Athenas がラテン語の対格だったとしても、おんなじことだ。Athenas から日本語の「アテネ」にはならないだろう。

ラテン語の Athenae は、古代ギリシャ語の Ἀθῆναι [atʰɛ̂ːnai アテーナイ]をうつしたものだ。現代ギリシャ語でも文語なら、これをこのまま現代の発音でよんだ Αθήναι [aˈθinɛ アスィーネ]だけど、口語なら Αθήνα [aˈθina アスィーナ]になる。

関連記事
 ・アテネとギリシャの漢字
 ・「ギリシャ」という名まえ
 ・英語の複数形・三単現・所有格の「s」の発音―― 無声音と有声音
 ・『イーリアス』と『イリアッド』
 ・オデュッセウスとユリシーズ
 ・ゼウスとジュピター
 ・ガンガーとガンジス
 ・ゾロアスターとツァラトゥストラ

2005.08.25 kakikomi; 2013.12.24 kakinaosi

|

« 「ギリシャ」という名まえ | トップページ | 「アイ」は「エ」になる。「イア」は? »

コメント

母音の重なりで違う発音になることがギリシャ語でたくさんあります。オイディプスもイディポスになるし、英語はエディプスになっているし…。
phの発音はfなのに、いろいろゴチャゴチャになってヨーロッパ語に混ざっています。

日本語のギリシャ古典の翻訳を読んだら混乱がひどくなっています。やはり古代ギリシャ語は現代ギリシャ語とは違うと言ってもラテン語よりは近いです。

私はギリシャ語を日本語にする時ギリシャ人の知らない発音の名前で良いのかなぁ?と疑問に思います。
でもギリシャ研究権威の先生方の何語かまったく分からぬ名前の付け方には驚くことがあります。

投稿: lemonodasos | 2005.09.01 04:54

古代ギリシャ語と現代ギリシャ語のちがいは、ラテン語とイタリア語(あるいはスペイン語など)のちがいぐらいあるとおもいます。イタリア語・スペイン語などはラテン語が変化したもので、ラテン語はこうしたことばの古文です。逆にいうと、イタリア語などは現代ラテン語です。

ギリシャ語は一見古代とかわらないようにみえることばもたくさんありますが、これは、現代語が、必要としなくなった気息記号とふたつのアクセント記号を廃止したとはいっても、つづりそのものはほとんどむかしのままだからでしょう。でも、実際の発音はけっこうかわっているわけで、いまのギリシャ語が発音にそったつづりになったなら、ラテン語とイタリア語ぐらいのちがいが目にもはっきりわかるんじゃないでしょうか。また、逆からいうと、古典語を現代の発音でよんでいるために現代語とそんなにちがわない感じがする、ということにもなっているんじゃないでしょうか。なまえについていえば、現代語のよみよりラテン語のほうが古典ギリシャ語にちかいというばあいもあるでしょう。

さらに、発音に関していえば、重要な特徴の変化があります。それはアクセントの性質がかわったことですが、これとともにおおきな変化がおきました。それにくらべると、日本語の発音は、重要な特徴はかわっていません。古代ギリシャ語のほうがずっとふるいので、当然ですけど。

日本人がいまの発音で万葉集をよんでも、詩の形式がなくなることはありませんが、現代ギリシャ語の発音で古典の詩をよむと、詩の形式がなくなってしまいます。いまのギリシャ人は、日本人とおなじように、古典を現代の発音でよんでいるわけですが、詩のばあいは、詩の形式は無視しているんでしょうか。まえから、それがふしぎです。もしかしたら、詩の形式を意識するばあいは、わざわざ形式にあわせて母音をながくよんでいるのでは、ともおもっているのですが……。

それから、歴史的にも、ギリシャの古典は、日本の古典とはちがって、ギリシャ一国の古典ではありませんでした。それは、ギリシャ人にとって名誉なことではあっても、わるいことではないでしょう。

それにしても、ゼウスをディアスとでもしなければいけないものでしょうか。ユーリウス・カエサルのことを、直系の子孫であるイタリア人がジューリオ・チェーザレといっているからといって、そっちにあわせなければいけないということはないとおもうんですけど。

「ギリシャ語を日本語にする時ギリシャ人の知らない発音の名前で良いのか」というのは、現代ギリシャ語のなまえについてはこうかんがえるのは当然ですが、古代についてはあてはまらないとおもいます。それに古代の発音をいまのギリシャ人がまったくしらないわけでもないでしょう。

それにしても、「ギリシャ研究権威の先生方の何語かまったく分からぬ名前の付け方」というのはわざとらしい いいかたですねえ…。

投稿: ゆみや | 2005.09.01 19:05

この記事へのコメントは終了しました。

« 「ギリシャ」という名まえ | トップページ | 「アイ」は「エ」になる。「イア」は? »