« ニーチェの『ツァラトゥストラ』のギリシャ語の題名 | トップページ | むかしの外来語 »

平安時代のわかちがき

ひらがながつかわれはじめたころ、つまり平安時代に、わかちがきみたいなことをしてたことがあった。ただし、ローマ字文とかで、スペースをあけるっていう意味のわかちがきとはちがう。

ひらがながつかわれるようになるまえっていったら、万葉がながあったけど、そのころ散文をかいたものっていうのはない。5・7・5みたいなくぎりがない散文だと、どこでことばがきれるかわかんないから、万葉がなで散文はかけなかったんだろうっていわれてる。

これがひらがなとなると、ひらがなっていうのはもともと漢字の草書からきてるから、楷書とちがってつづけがき(連綿)ができる。ことばのきれ目は、このつづけがきをやめて、ちょっときれ目をつくればいい。こうやってことばのくぎりをしめせるようになったから、ひらがなだけで散文が自由にかけるようになった。平安時代にかな文学がうまれたのにはいろんな背景があるだろうけど、ひらがなのこういう特徴がおおきいってはなしだ。

実際の写本(の写真とか影印本)をみてみると、「文節」でくぎってる感じになってる。たとえば『古今和歌集』の仮名序の最初のとこを例にとれば、つづけがきがきれてるとこをスペースにおきかえると、こういうふうになってる。

やまとうたは ひとの こころを たねとして よろづの ことのはとぞ なれりける

このきりかたは偶然とはいえないだろう。せっかくこんな感じで一種のわかちがきをしてたんだけど、つづけがきのきれ目なんて微妙だし、おまけに、文章そのものの意味もあとの時代のひとにはわかりにくくなってったもんだから、意味がよくわかんないまんま、くぎりをまちがって写本をうつしてくことになったりして、結局このやりかたはわすれられてくことになった。

そういえば、かな書道で文字をつづけるか きるかは単語とか意味とかには関係なくて、あくまで みた目のうつしさのためだったりする。そういう みた目重視の姿勢は、かな文字がいまみたいに1音にひとつじゃなくて、変体がながたくさんあったことにもあらわれてる。明治時代になって合理的に かな文字を1音にひとつだけにしたのとちがって、おんなじ音をあらわす かながいくつもあると、いろいろ みた目がかえられるから、そっちのほうがよかったんだろう。書道の作品っていうんじゃなくても、むかしのかきものは みた目のうつくしさを重視して変体がなをつかいわけてたし、おんなじ理由で文字をつなげたり きったりしてたから、これはもう、単語とか文節とかのわかちがきとは全然ちがう。

わかちがき:分かち書き、分ち書き。

関連記事
 ・古文のわかちがき
 ・古文のわかちがきの実例(1) 『古事記』
 ・古文のわかちがきの実例(2) 『百人一首』
 ・古文のわかちがきの実例(3) 『平家物語』
 ・わかちがきに関する誤解
 ・わかちがきのための単語のみわけかた

2005.08.11 kakikomi; 2009.12.18 kakitasi

|

« ニーチェの『ツァラトゥストラ』のギリシャ語の題名 | トップページ | むかしの外来語 »