« セラーフィームの複数形 | トップページ | ギリシャ語のなぞなぞ »

《メサイア》の「incorruptible」

ヘンデルのオラトリオ《メサイア》の第3部に「The trumpet shall sound」ってアリアがあって、そのなかに incorruptible ってことばがでてくるんだけど、この単語のアクセントは in- と -rup- のとこにあるのに、ヘンデルは -cor- と -ti- にアクセントがあるように作曲してる(incorruptible のつづりのわけかたは in-cor-rupt-i-ble だけど、それは英語のつづりの規則として単語のつくりにそったものになってるだけのことだから、ここでは発音に即して -rup- と -ti- にした)。ドイツ語に、外来語の形容詞で -ibel におわるのがあるけど、この -i- にアクセントがあるから、それにひきずられたのかな。それとも、イタリア語の incorruttibile が -ti- にアクセントがあるから、そのせい? これをただしいアクセントにあわせて、なおしてうたってる録音がおおいけど、古楽の原典尊重のかんがえから、もとのまんまでうたってるのもある。歌詞をあげると、

The trumpet shall sound, and the dead shall be rais'd incorruptible, and we shall be chang'd. For this corruptible must put on incorruption, and this mortal must put on immortality.

ラッパが鳴ると、死者は復活して朽ちない者とされ、わたしたちは変えられます。この朽ちるべきものが朽ちないものを着、この死ぬべきものが死なないものを必ず着ることになります。(新共同訳)

これは新約聖書の『コリントの信徒への手紙一』15章52、53節で、最後の審判のことをいってる。で、おもしろいことに、この後半にでてくる corruptible と incorruption にはただしいアクセントでメロディーがついてるんだけど…。

そういえば、《メサイア》でアクセントがおかしいとこはほかにもいくつかあったっけ(おんなじようになおせるとこはなおしてる録音がおおい)。

ちなみにヘンデルの英語についてはこういうふうにいわれてる。

おそらくドイツ語風のアクセントではあったろうし、時折文法上の誤りはあっただろうが、彼が流暢に話したことは当時の記述から明らかである。また、書くという点では完璧だった。彼の書いた手紙は上品な十八世紀英語の良い手本である。そしてわずかなアクセント付けの失敗はあるものの、ヘンデルが英語に美しく音楽を付したことは、誰もが同意するところである。
(ドナルド・バロウズ編〔藤江効子・小林裕子・三ヶ尻正訳〕『ヘンデル―― 創造のダイナミズム』春秋社)

2005.12.25 kakikomi; 2011.09.01 kakitasi

|

« セラーフィームの複数形 | トップページ | ギリシャ語のなぞなぞ »

コメント

raisを強調して、rais' d incorruptibleとリエゾンしてフレージングを活かしてますね。するとin-ではなく-cor-にアクセントが来てしまったのでしょう。

中間部分は楽想が変わるので、余計にここが強調されたのでしょうか。ヘンデルの英語力やドイツ語英語よりも、フランス語の影響を些か感じましたが、如何でしょう?

確かに古い録音は、ここのアクセントに拘って、全体のフレージングがつまらなくなって仕舞っていますね。

投稿: pfaelzerwein | 2006.01.10 09:52

文章全体からすると、ただしいアクセントのほうがリズムにあっているようにおもえます。つまり、「The trumpet shall sound, and the dead shall be rais'd incorruptible」は、「弱強弱弱強弱弱強弱弱強弱弱強弱弱」とすれば、ちょうど「-rup-」のところにアクセントがきます(「in-」は第2アクセントなので弱でいいことにして)。

《メサイア》の合唱曲にはヘンデル自身のイタリア語の作品の転用がいくつかあります。それに、ヘンデルの声楽曲はイタリア語と英語の曲が大部分で、フランス語では10曲ほどの歌曲があるだけです。影響をうけるほどフランス語とかかわりがあったのかどうか疑問なのですが…。

投稿: yumiya | 2006.01.11 07:01

興味ありますので、もう一言。該当の箇所ですが、矢張りトランペットの装飾的な一鎖に対して、歌も装飾的に対応させてますね。この時最後のcor-rupt-ibleに基本のタタ・ター音形が出て切れます。もしこれを弱強拍にすると冒頭の変形されたトランペットの上昇音形と如何しても似通って来て先ずは一部では意味を成しません。

またその前のraisで装飾して上げて、d'inで落とさなければいけませんので、reised incorruptibleで無い限りは他に方法は余り無いかと思います。

更に気が付いたのですが、冒頭のThe trumpetは聖書では前にForが付いているので、それを補う感じがもあるようです。

ご存知のようにこの曲には大分と様々な版がある様で、編曲までを含めると、同じ楽譜を前にしないと不確かな感じです。

ヘンデルの英語力の問題は興味深いのですが、結局はアーテキュレーションの問題よりもフレージングにより多く影響しているのではないでしょうか。つまり、韻を踏んでいるものとか、グレゴリアン聖歌関連で無いと、音節の問題は自国語でも頻繁に起こる問題(重いコンダラ現象)ではないかと。

投稿: pfaelzerwein | 2006.01.17 04:14

「incorruptible」に「タタ・ター」の音型がでてくるというのがよくわからないのですが…。スコアをみてもそういうところはないようです。「incorruptible」とうたわれるところでは(ダ・カーポによるくりかえしはのぞいて)5か所ともそのようにはなっていません。アクセントにあわせてなおしてうたっている録音だと「-ruptible」が「タタ・ター」みたいになっていますから、もしかして、原典のままのほうではなくて、なおしてうたっている録音のほうのことをおっしゃっているのではないでしょうか。

なおしてうたっている録音の指揮者をあげてみると、アーノンクール(1982年録音)、ガーディナー、コープマン、ピノック、クリスティ、クレオベリー、ミンコフスキなどです。これに対して、原典のままうたっているのは、ホグウッド、パロット、マギーガン、マクリーシュ、アーノンクール(2004年録音)などです。

それから、「rais'd」とのつながりをいわれていますが、「rais'd」と直接つながっているのは「incorruptible」がでてくる最初の1回だけで、あとはすべて「incorruptible」の前後がきりはなされて単独でうたわれます。これも、なおしてうたっている録音では「(be) rais'd incorruptible」にかえてあります。

それから、歌詞を聖書にさかのぼってかんがえる必要があるのでしょうか。むしろ、聖書の「For」をわざわざなくして歌詞としてふさわしくしたのではないでしょうか。それを、音楽としておぎなう必要があったのかどうか。英語訳の聖書には「For」がけっこうでてきますけど、これは結局翻訳調のような気がします。ギリシャ語の原文だとこういう接続詞がないと不自然なのですが、英語のばあい、接続詞なしで文をならべるのはけっこうふつうです。「For」をなくしたのには、そういうこともあるのではないでしょうか。だいたい、ここには後半に「For」があるので、最初に「For」があるとしつこすぎるのでは。

《メサイア》はたしかにいろんな版がありますが、この曲は、音域をかえた別バージョンなどがあるわけでもなく、どの版でも特別かわりはないようです。

《メサイア》はヘンデルがなくなるまで自分で指揮をして何度も演奏していますし、そのあいだイギリス人の歌手もうたっているのに、とくにこの部分が訂正されたわけでもない、ということからすると、とくに問題ということもないのかもしれませんね。それでも、なおしてうたっている録音がおおいわけで、おかしいとかんがえるひとはやっぱりいるのでしょう。

投稿: yumiya | 2006.01.18 01:00

この記事へのコメントは終了しました。

« セラーフィームの複数形 | トップページ | ギリシャ語のなぞなぞ »