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アバター

ネットでつかわれる「アバター」ってことばを goo の辞書でみてみると(『デイリー新語辞典』三省堂)、

〔サンスクリット語で「地上に降りた神の化身」の意〕
インターネット上で,顔・髪形・服装・持ち物などを自由に選択してつくったオリジナルのキャラクター。自分の分身として,バーチャル-コミュニティーの中(ネットワーク-ゲームやチャット-ルーム,掲示板など)で利用する。

なんてかいてある。ネットのアバターの意味はいいんだけど、語源の説明がいまいち正確じゃない。日本語のアバターはサンスクリット語じゃなくて英語からはいったことばだ。だいたいサンスクリット語じゃ「アバター」じゃなくて「アバターラ」なんだし。まあ、この手の説明は「ユビキタス」がラテン語だとかいうのとおんなじで、よくあることだけど(ユビキタス」)。それとも、さかのぼればサンスクリット語だって意味でかいてあるのかな。でもそれだったら、〔「アバターラ」はサンスクリット語で「地上に降りた神の化身」の意〕とかかくんじゃないと…。

avatar [アヴァター]って英語を『ランダムハウス英和大辞典』(小学館)でひくと、

【1】〔インド神話〕(この世に現れた神の)化身,権化,応現.
【2】(原理・態度・人生観などの)具現,具体化;(実体の)一面,相.
【3】〔インターネット〕アバター:(仮想空間における自分の)化身.
[1784.<サンスクリット語 avatāra 下へ行くこと = ava 下へ + -tāra …を通過すること]

っていうふうにでてる。これだと今度は英語にはサンスクリット語からはいったみたいになってるけど(ほかの辞書でもそう)、これもちょっとちがうとおもう。もとがサンスクリット語なら、なんで avatara じゃなくて avatar なのかわかんない。

インドの地方語、つまりヒンディー語とかベンガル語とかネパール語(インドの公用語のひとつでもある)とかだと、もともとサンスクリット語の単語で最後が a でおわるものはこの a を発音しないことがおおい。英語で最後の a がないことをかんがえると、英語にはこういう地方語からはいったんじゃないのかな。もしかしたら、このことばをイギリス人におしえたひとは、サンスクリット語だっていいながら地方語の発音でいってたのかもしれないけど、そうだとしても、結局はおんなじことだろう。本人たちはサンスクリット語だっておもってたとしても、地方語の発音になってることにかわりはないんだから。で、そうだとすると、日本語までの道すじは、サンスクリット語 インドの地方語 英語 日本語ってことになる。

avatara『ランダムハウス』にもかいてあるみたいに、サンスクリット語の avatāra は「おりること、(神が地上に)くだること」から「神の化身[けしん]、権化[ごんげ]」っていう意味にもなった。画像のいちばん上は、いまサンスクリット語につかわれてるデーバナーガリー文字でかいた avatāra (अवतार)で、この文字はヨコ棒をつなげてかく(すぐ下のはひと文字ずつわけて発音記号をつけたもの)。ヒンディー語とかマラーティー語とかネパール語とかもこの文字をつかってて、サンスクリット語起源の単語は、発音はすこしちがっても、つづりはそのまんまだから、文字だけでいえばこのまんまでヒンディー語ともマラーティー語ともネパール語ともいえる。

その下にはほかのインド系の文字でかいたアバターラをいくつかあげてみた。梵字[ぼんじ](シッタン文字)は日本の仏教につたわってる梵語[ぼんご]つまりサンスクリット語の文字で、日本じゃタテがきしてるけど、もともとはヨコがきだった。法隆寺にある世界でいちばんふるい写本もちゃんとヨコがきだ。この法隆寺の写本は6世紀前半までにインド人がかいたものだってマックス・ミュラー(Friedrich Max Müller、ドイツうまれのイギリスのインド学者・言語学者、近代宗教学の始祖のひとり)が鑑定してる。

インドの神の化身っていうと、最高神のひとりビシュヌの化身が有名で、『バガバッド・ギーター』(4.7-8)でクリシュナが、

यदा यदा हि धर्मस्य ग्लानिर्भवति भारत ।
अभ्युत्थानमधर्मस्य तादात्मानं सृजाम्यहम् ॥ ७ ॥
परित्राणाय साधूनां विनाशाय च दुष्कृताम् ।
धर्मसंस्थापनार्थाय संभवामि युगे युगे ॥ ८ ॥

yadā yadā hi dharmasya glānir bhavati bhārata |
abhyutthānam adharmasya tadātmāna sjāmy aham ∥ 7 ∥
paritrāāya sādhūnā vināśāya ca duk
dharmasasthāpanārthāya sabhavāmi yuge yuge ∥ 8 ∥

実に、美徳ダルマ(正法)が衰え、不徳アダルマ(非法)が栄える時、私は自身を現わすのである。
善人を救うため、悪人を滅ぼすため、美徳を確立するために、私は世期ユガごとに出現する。
(上村勝彦訳、岩波文庫)

っていってる。『バガバッド・ギーター』はインドの叙事詩『マハーバーラタ』の一部で、代表的なヒンドゥー教の経典。それから、クリシュナっていうのはビシュヌの化身のひとりだけど、仏教の開祖ブッダもヒンドゥー教じゃビシュヌの化身のひとりになってる。でも、ちょっと屈折してて、仏教そのものをみとめてるわけじゃない。なにしろ仏教はインド思想のなかの最大の異端とかいわれるぐらいだから。

神がみがアスラにまけて、ビシュヌにたすけをもとめた。そこでビシュヌはブッダとしてこの世にあらわれて、アスラたちをたぶらかすことになる。こうしてブッダにだまされてアスラたちはベーダの宗教をすてて仏教徒になった(先祖伝来のベーダの宗教がインドの正統派)。つまり、先祖からつたわるおしえをすてさせて、破滅にみちびこうってことだから、仏教そのものはあくまでまちがったおしえなわけだ。で、カーストを否定する仏教がほかのひとたちにもひろまって、カーストが混乱して、世のなかがみだれる。これで末世になるんだけど、未来のビシュヌの化身カルキがカーストをもとにもどして、みだれた世のなかをただすことになってる。

このカルキのおさめる国がシャンバラなんだけど、仏教側がこれをとりいれて、仏教のほうでもシャンバラの王カルキっていうのをいうようになった。代々のカルキはボサツの化身っていわれてる。ヒンドゥー教のカルキはみだれたカーストをもとにもどすわけだけど、仏教のカルキは逆で、仏教がひろまってもまだカーストがのこってるから、カルキがあらわれて完全にカーストをなくすことになってる。

こういうのは経典にかいてあることだけど、ヒンドゥー教っていってもいろんな宗派があって、とくに近代にできた宗派なんかだと仏教に対するみかたもちがってる。ブッダがアバターラのひとりだってことだけじゃなくて、おしえそのものもみとめてたりするものもある。

アバターラ:アヴァターラ。 デーバナーガリー:デーヴァナーガリー。 シッタン:悉曇。 ビシュヌ:ヴィシュヌ。 バガバッド・ギーター:バガヴァッド・ギーター。 ヒンドゥー教:ヒンズー教。 ブッダ:仏陀[ぶつだ]。 アスラ:阿修羅[あしゅら]。 ベーダ:ヴェーダ。 ボサツ:菩薩。

関連記事
 ・ユビキタス

2006.03.05 kakikomi; 2009.03.17 kakikae

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コメント

管理人さんに感心しました(^_^)
同じ趣味を持ってる人です。
最近仕事が忙しくて、ブログの更新も出来ません。
うちのブログは、
http://spaces.msn.com/junkazama88
です。
しかし中国語のものですが…
(そもそも私は中国人です…
正しい日本語を使っているのか分かりませんし…)
リンクを交換しませんか(^o^)

投稿: junkazama | 2006.03.14 14:20

中国語なんですね。
漢文だったらまだなんとか…(そうでもないか(^_^;)。

ブログ・リンクにくわえておきました。

投稿: yumiya | 2006.03.15 00:45

リンクを交換してありがとうございました。
今日はブログを更新したばかりです。
記事には日本語バージョンもありますが、
文法のほうがやや心配が…
ぜひご覧にいらっしゃってください(^_^)

投稿: yumiya | 2006.03.18 00:41

この記事へのコメントは終了しました。

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