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IOTACISM, ITACISM, ETACISM

現代ギリシャ語の母音のなかじゃ、[イ]ってよむつづりがいちばんおおくて、η, ι, υ, ει, οι, υι っていうふうに6つもある。これに対して、[エ]は ε, αι、[オ]は ο, ω っていうふうにふたつ、[ア]は α、[ウ]は ουで、それぞれひとつしかない。ただし、つづりじゃなくて、発音そのものとしては、[ア]がいちばんおおくて13%、[イ]は10%でてくる。それから、いくつかちがうつづりがあるのは、それぞれむかしは発音がちがってたからだ。

こういうふうにいろんな母音字を[イ]って発音することを英語で iotacism [アイオウタスィズム](イオータ化)っていって、ギリシャ語で ἰωτακισμός [iɔːtakizmós イオータキズモス](現代語なら ιωτακισμός [ヨタキズモス])っていう。英語にはラテン語をとおしてはいってきた。ラテン語なら iotacismus [イオータキスムス]だ。iotacism にはほかの意味として「文章のなかで『イ』の音をたくさんつかうこと、つかいすぎること」っていうのもある。

現代ギリシャ語に[イ]ってよむつづりが6つあるっていうのは、現代語にでてくるつづりだけでいえばってことで、古典語にでてくるつづりで現代語式の発音で[イ]になっちゃうのは、ほかに ηι)[ɛːi エーイ]がある。それから、古代の発音だと ιυ には ながいのと みじかいのがあったから、それを勘定にいれると、古代の発音で9つのちがう母音だったものが、いまの発音だとぜんぶ[イ]になっちゃうことになる。

発音がかわったせいでわかりにくくなったことばは、自然にほかのことばにとってかわられたりするから、古代の発音でちがう母音だったものが現代語でおんなじになっちゃうにしても、とくべつ問題なわけじゃない。現代語のなかだけでかんがえるんなら、古代のつづりをひきずってて、それをかきわけなきゃいけないのは問題だとおもうけど、発音の面だけでいえば、いまの単語としてはそういうものなんだから、それはそれでいい。

でも、古典の文章をいまの発音でよむと、おんなじ発音になっちゃってわかりにくくなるものがある。たとえば人称代名詞の複数形。これがどの格でも1人称と2人称がおんなじになっちゃう。つまり「わたしたち」と「あなたたち」がおんなじ発音ってことだ。古典時代の発音と、それから矢じるしのさきに現代語式の発音をあげると、こうなる。

 わたしたちが: ἡμεῖς [hɛːːs ヘーメ~ス][iˈmis イミス]
 わたしたちを: ἡμᾶς [hɛːːs ヘーマース][iˈmas イマス]
 わたしたちの: ἡμῶν [hɛːmɔ̂ːn ヘーモーン][iˈmɔn イモン]
 わたしたちに: ἡμῖν [hɛːːn ヘーミーン][iˈmin イミン]

 あなたたちが: ὑμεῖς [hyːːs ヒューメ~ス][iˈmis イミス]
 あなたたちを: ὑμᾶς [hyːːs ヒューマース][iˈmas イマス]
 あなたたちの: ὑμῶν [hyːmɔ̂ːn ヒューモーン][iˈmɔn イモン]
 あなたたちに: ὑμῖν [hyːːn ヒューミーン][iˈmin イミン]

さすがにこのまんまだと現代語としては問題だから、いまのギリシャ語の人称代名詞の1人称と2人称の複数はこうなってる(現代語には「~に」をあらわす与格はなくなった)。

 わたしたちが: εμείς [ɛˈmis エミス]
 わたしたちを: εμάς [ɛˈmas エマス]
 わたしたちの: εμάς [ɛˈmas エマス]

 あなたたちが: εσείς [ɛˈsis エスィス]
 あなたたちを: εσάς [ɛˈsas エサス]
 あなたたちの: εσάς [ɛˈsas エサス]

ところで、iotacism とにたことばで itacism [イータスィズム]っていうのがある。iotacism とおんなじ意味につかわれることもあるけど、もともとは η を[イー]って発音すること、っていう意味だ。このやりかただと η の名まえが「イータ」になるから「イータシズム」っていうことになった。これに対して η を古代のとおりに[エー]って発音するのを etacism [エイタスィズム]っていう。これだと η の名まえが「エータ」になるから「エータシズム」だ(英語には[エー]って発音がないから、英語としては[エイタ]になる)。

etacism を主張したのは、西ヨーロッパで本格的に古典式発音をいいだしたエラスムス(Desiderius Erasmus von Rotterdam、1469-1536、オランダの神学者、人文主義者)で、etacism は Erasmian [エラズミアン](エラスムス式[発音])の別名でもある(古典式発音と日本語的発音」)。itacism のほうはロイヒリーン(Johann Reuchlin、1455-1522、ドイツのギリシャ語・ヘブライ語研究の開拓者、人文主義者)のやりかたで、メランヒトン(Philipp Melanchthon、1497-1560、ドイツの宗教改革者、神学者。母親のおじがロイヒリーン)もこの一派だった。

いろんな母音が[イ]になっちゃったせいで、そのうちつづりをまちがってかくようにもなってきた。つまり ι 以外の[イ]ってよむつづりも ι ってかいちゃうってことだけど、いまのこってる写本にそういうまちがいがいろいろある。こういうまちがいのことも itacism っていう。

ついでにいうと、エラスムスの本名は Gerhard Gerhards で、Desiderius はラテン語の desiderius [デースィーデリウス](熱心な、あこがれの)、Erasmus はギリシャ語の ἐράσμιος [erázmios エラズミオス](愛すべき、愛らしい、のぞましい、このましい)からつくった名まえだ。それから、メランヒトンの本名は Philipp Schwarzerd で、ドイツ語で「黒い土」って意味のファミリー・ネーム Schwarzerd をギリシャ語になおしてつくった μελάγχθων [meláŋkʰtʰɔːn メランクトーン]ってことばをラテン文字でかいてドイツ語よみするとメランヒトン(Melanchthon)になる。Philipp のほうはもともとギリシャ語の Φίλιππος [pʰílippos ピリッポス]っていう名まえで、意味は「馬ずき」。

ロイヒリーン:ロイヒリン。

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2006.05.21 kakikomi; 2010.09.13 kakinaosi

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