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キリエ・エレイソン

ミサ曲の歌詞はたいていラテン語だけど、全体がラテン語のものでも、「キリエ」のとこだけはギリシャ語で、その歌詞は、

Kyrie eleison.
Christe eleison.
Kyrie eleison.

キリエ エレイソン。
クリステ エレイソン。
キリエ エレイソン。

主よ、あわれみたまえ。
キリストよ、あわれみたまえ。
主よ、あわれみたまえ。

っていうみじかいものだ。発音はローマ式(イタリア語式とはちょこっとちがう)にしたけど、eleison はローマ式としては例外で、母音にはさまれた s はローマ式だと有声音の[z]になるのに、この単語はそうはならない、つまり[エレイン]にはならないらしい(ラテン語の発音(古典式とローマ式)」)。

これをもとのギリシャ語でかけばこうなる(発音はひとつめが古典式、ふたつめが現代語式)。

Κύριε ἐλέησον.
Χριστὲ ἐλέησον.
Κύριε ἐλέησον.

キューリエ エレエーソン
クリーステ エレエーソン
キューリエ エレエーソン

キーリエ エレーイソン
フリステ エレーイソン
キーリエ エレーイソン

これをみると、ミサ曲の「キリエ」は現代語の発音にちかいのがわかるとおもう。この文句がラテン語のミサにとりいれられたときには、ギリシャ語の発音は現代語にちかくなってたってことだろう。

こまかくみると Κύριε が Kyrie になってるのはちょっとかんがえさせられる。ふつうギリシャ語の Κ をラテン語にうつすときは C になるのに、ここはそうなってない。これはたぶんこの当時のラテン語の発音のせいだろう。C はもともとどのばあいでも[k]の音をあらわしてたんだけど、そのうち母音[i]と[e/ɛ]のまえで発音がかわった。ローマ式でいうなら ci cy は[チ]、ce cae coe は[チェ]になった。だからこのばあいも Cyrie にしたら[チリエ]になっちゃうから K- にしたんだとおもう。

ἐλέησον が eleison になってるのにも、発音の変化がよくあらわれてる。古典時代の η は[ɛː]だったけど、そのうち[iː]になって、現代語だと[i]になった。このころまだながい母音だったかどうかは eleison のつづりからはわかんないけど、とにかく[iː]か[i]だったわけで、そうじゃなけりゃ eleeson になってたとこだ。

この「キリエ」の文句は、特別どっかからとってきた文章じゃなくて、とくにはっきりした出典があるわけじゃないとおもうんだけど、にたような文章は聖書のなかにいくつかある。代表的なものを3つあげておこう(日本語訳は新共同訳)。

『詩編』123.3

ἐλέησον ἡμᾶς, κύριε, ἐλέησον ἡμᾶς,

わたしたちを憐れんでください。主よ、わたしたちを憐れんでください。

『マタイによる福音書』15.22

Ἐλέησόν με, κύριε υἱὸς Δαυίδ·

主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。

『マタイによる福音書』17.15

Κύριε, ἐλέησόν μου τὸν υἱόν,

主よ、息子を憐れんでください。

ところで、「キリエ」の歌詞は3行あるけど、1行めと3行めはまったくおんなじだ。なんの意味があるかっていうと、これは三位一体の神をさしてるらしくて、1行めの「主」は父なる神、3行めの「主」は聖霊のことだってはなしだ。だからミサ曲でもちゃんとこの3行を順番に作曲してく。

ところが、モーツァルトの《レクイエム》の「キリエ」はそうなってない。この曲は二重フーガになってて、第1のテーマにのせて Kyrie eleison ってうたいだすとすぐ、第2のテーマにのせて Christe eleison が対旋律としてかぶさってくる。この2行はそのあともほとんどからみあってうたわれる。モーツァルトは父と子と聖霊ってことじゃなくて、キリストに焦点をおいて、どっちの Kyrie (主よ)もキリストによびかけてることにしてるらしい。

ちなみに、この第1のテーマはヘンデルのオラトリオ《メサイア》の第2部のなかの合唱曲「And with his stripes we are healed」のテーマをもとにしたものなんだろうけど、このテーマとにてるのがヘンデルの《デッティンゲン・アンセム》の最後の合唱曲にもでてくる(短調と長調っていうちがいはあるけど)。この曲はヘンデルのオラトリオ《ヨセフとその兄弟》の最後の合唱曲としてもつかわれてて、一種の「ハレルヤ・コーラス」なんだけど、ここに対旋律としてからんでくる第2のテーマが、これまたモーツァルトの「キリエ」の第2のテーマとよくにてる。ってことは、もとにしたのは《メサイア》じゃなくて《ヨセフとその兄弟》ってことになるのかもしれない。

ベートーベンがミサ曲を作曲するときに eleison の発音がひっかかったらしくて、のこってるノートには、「Eleison はギリシャ語でどう発音するのか。e-le-ison が正しい」なんてかいてある(『ベートーヴェン 音楽ノート』小松雄一郎訳編、岩波文庫。一部表記をかえた)。これはどういうことかっていうと、この文句のドイツ語よみと関係があるんだろう。

Kyrie eleison をドイツ語じゃたいていドイツ語よみして[キューリエ エライゾン]ってよむみたいで、こういうふうに ei をドイツ語式に[アイ]ってよんでるってことは、これを二重母音としてあつかってるわけだ。そのよみかたで音節をわければ Ky-ri-e e-lei-son になる。でも、ギリシャ語にしても、それをうつしたラテン語にしても、ei は二重母音じゃない。だからドイツ語でも二重母音としてよまないで[キューリエ エレ(ー)イゾン]って発音することもある。こっちのほうで音節をわければ Ky-ri-e e-le-i-son になる。だから、ベートーベンも、ei が二重母音じゃなくてふたつの音節にわけられるから、発音は[アイ]じゃなくて[エ・イ]だっていいたかったんじゃないのかな。

それにしても、このつづりをみたら、たいていのドイツ語のはなし手はとうぜん二重母音の ei [アイ]だっておもうだろう。Kyrie の ie を[イー]ってよまないで[イエ]にしてるのは、Familie [ファミーリエ](家族)とかそういうのがけっこうあるからかな。で、ミサ曲なんかはさすがにちゃんと e-le-i-son ってメロディーがついてるけど、ドイツ語としては Kyrie eleison を[キューリエ エライゾン]って発音するだけじゃなくて、これがみじかくなった Kyrieleison とか Kyrieleis も、Ky-ri-e-lei-son [キュリエライゾン]、Ky-ri-e-leis [キュリエライス]って発音する。

たとえば「Maria durch ein'n Dornwald ging」(ヘッセンの民謡)って歌に Kyrieleison がでてくるんだけど、このことばは5音節(Ky-ri-e-lei-son)のメロディーになってるから ei は二重母音の[アイ]だ。それから「Gelobet seist Du, Jesu Christ」(2番以降の歌詞はルターの作詞)って歌には Kyrieleis がでてくるけど、4音節(Ky-ri-e-leis)になってるから、これもはっきり ei は1音節の二重母音だ。

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 ・ラテン語の発音(古典式とローマ式)

2006.06.14 kakikomi; 2011.08.08 kakinaosi

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