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「ウーティス」と名のったオデュッセウス

オデュッセウス一行がキュクロープスのひとりポリュペーモスにつかまったとき、一計を案じてなんとか脱出するはなしが『オデュッセイア』にでてくるけど、このときつかった「はかりごと」っていうのはニセの名前を名のることだった。

ポリュペーモスに名前をきかれてオデュッセウスは、

Οὖτις ἐμοί γ᾿ ὄνομα· Οὖτιν δέ με κικλήσκουσι
μήτηρ ἠδὲ πατὴρ ἠδ᾿ ἄλλοι πάντες ἑταῖροι.

[ûːtis emǒiɡ ónoma∥ûːtin déme kikklɛ̌ːskuːsi
mɛ̌ːtɛːr ɛːdé patɛ̌ːr ɛːd álloi pántes hetâiroi]

―∪∪|―∪∪|―┆―|―∪∪|――|―∪
――|―∪∪|――|――|―∪∪|――

わたしの名前はウーティスだ。わたしのことをウーティスと
母も父もそのほか仲間のだれもが呼んでいる。

ってこたえる(『オデュッセイア』9.366-367。韻律はヘクサメトロス)。この「ウーティス」って名前なんだけど、もともとこんな名前はなくて、代名詞の οὔτιςǔːtis ウーティス]を名前にしたものだ。この代名詞は「だれも~ない」つまり英語の nobody とおんなじ意味で、こう名のったのがあとからきいてくる。

ところで、名前の Οὖτις と代名詞の οὔτις はよくみると微妙にちがってる。名前のほうの最初が大文字なってるのはべつとして、このふたつは υ (ユプシロン)の上の記号がちがってる。つまりアクセントがちがう。名前の「ウーティス」は「ウー」の前半がたかくて([ûː])、代名詞の「ウーティス」は「ウー」の後半がたかい([ǔː])。

名前と代名詞でアクセントがちがうのは、アクセントの法則と関係がある。この代名詞はひとつの単語みたいに οὔτις ってかくけど、アクセントは、ふたつの単語として οὔ τις っていうふうにきりはなしてかいたばあいとかわりがない。つまり、ひとつの単語みたいにかく習慣だけど、アクセントからすれば、ひとつの単語にはなりきってない。これが名前になると、完全にひとつの単語になるもんだから、法則どおりのアクセントで Οὖτις になる。

名前と代名詞でちがってるのはアクセントだけじゃない。うえに引用した『オデュッセイア』の1行めのまんなかに Οὖτιν [ウーティン]っていうのがでてくるけど、これは「ウーティス」って名前の対格だ。でも代名詞の「ウーティス」の対格だったら οὔτιναǔːtina ウーティナ]になる。つまり名前と代名詞じゃ格変化もちがう。

オデュッセウスがポリュペーモスの目をつぶしたとき、ポリュペーモスはなかまのキュクロープスにたすけをもとめて、「ウーティスがわるだくみでオレをころそうとしてる」ってさけぶんだけど、このセリフがほかのキュクロープスにはべつの意味にとられることになる。「ウーティス」は代名詞としては「だれも~ない」だから、けっきょくこの文章は「だれもオレをころそうとしてない」ってことになって、だれもたすけにはこなかった。オデュッセウスの「はかりごと」はこういうことだったわけだ。

ただし、このはなしにはどうも疑問におもうとこがある。「ウーティス」は名前と代名詞でアクセントがちがうんだから、そのアクセントでこの名前をきいて、ほかのキュクロープスは名前だってわかんなかったのかな。めずらしい名前なもんだから、アクセントがちがっててもまさか名前だとはおもわなかったとか? それか、目をつぶされてくるしんでるときのことばだから、アクセントがおかしくなってても、気にしなかったってことなのかな。

このときほかのキュクロープスがいったことばのなかに、もうひとつの「だれも~ない(μή τις/μήτις [mɛ̌ːtis メーティス])」がでてくるんだけど、これは「ウーティス」とだいたいおんなじような意味で、そのあとのオデュッセウスのかたりのなかにでてくる μῆτις [mɛ̂ːtis メーティス](知恵、はかりごと)とちょっとしたゴロあわせになってる(代名詞と名前の「ウーティス」とおんなじことで、アクセントがちがう)。ポリュペーモスとの一件はオデュッセウスがそれまでのいきさつをかたってきかせてるなかにでてくるはなしで、ほかのキュクロープスがたすけにこなかったことについて、「わたしの名前と非のうちどころのない《はかりごと》(メーティス)でだますことができて、内心ほくそえんだ」っていってる。

μῆτις (はかりごと)ってことばは、このあとだいぶさきにも、この一件をおもいだすとこでまたでてくる(第20巻)。やっと家にもどったオデュッセウスは、自分の財産をくいものにしてる連中をみて、はげしいいかりを感じるんだけど、すぐには行動にうつさないで、ここでも「はかりごと」をつかって、あとでその連中に復しゅうする。このとき、いったんいかりをしずめるために、ポリュペーモスからのがれたときのことをおもいだして、あのときも辛抱して μῆτις によってうまくきりぬけたじゃないかって自分のこころをなだめる。

この2か所で μῆτις (はかりごと、知恵)ってことばをつかってるのはなかなかおもしろい。上にかいたみたいに μῆτις はアクセントがちがえば μή τις/μήτις で、これはだいたいおんなじ意味の代名詞 οὔτις に通じる。つまり、μῆτις ってことばで、Οὖτις って名前をつかった「はかりごと(メーティス)」っていう、「はかりごと」のなかみまで連想させるいいまわしになってるってことになるだろう。

それから、オデュッセウスの 枕ことば のひとつに πολύμητις [polýmɛːtis ポリュメーティス]っていうのがあって、「メーティス(はかりごと、工夫、知恵)をたくさんそなえてる」って意味なんだけど、この「メーティス」の一件からも、なるほどって感じがする。

キュクロープス:キュクロプス。 ポリュペーモス:ポリュフェーモス、ポリュペモス、ポリュフェモス。

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2006.06.02 kakikomi; 2015.09.24 kakinaosi

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コメント

ご紹介の「The Perseus Digital Library 」で読ませてもらいました。手許の英訳しかなかったので、原文参照や辞書も搭載されていて便利ですね。
『鏡の国のアリス』で、眼の悪い王様が使者のやってくる道をアリスに見てもらう場面で、彼女が"I see nobody on the road."と答えると王曰く「わしはそこにいるリアルな人間もよく見えないと言うのに、お前は遠くのノーボディまで見えるのか!そんな眼が欲しいもんだ」と感心するのでしたが、ルイス・キャロルの文法洒落は、案外クラシックな起源に基づいていたのですね。

投稿: JIIRA | 2006.08.01 02:13

「Nobody」というなまえをつかった作品はいろいろあるようで、「Nobody」というなまえから、胴体がないキャラクターにもなっています。このイメージがあるためか、『オデュッセイア』の翻訳では「Nobody」という訳をさけているようなところもあるらしいですよ。

投稿: yumiya | 2006.08.01 22:59

なるほどそういうことなんですか。
手許のE.V.RIEUの訳では"nobody"なのに PerseusDig.Libでは"noman"となっていたわけが了解。

投稿: JIIRA | 2006.08.02 23:12

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