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ギリシャ語とラテン語の名言(2)

前回は、ギリシャ語とラテン語で、文章としてはかわりがない感じのものをみたけど、今回は、ふたつのことばのちがいがでてるものをくらべてみたい。

ヒッポクラテース〔ヒッポクラテス/ヒポクラテス〕の「箴言集」の最初にでてくることばで、「いのちはみじかく、わざはながい」っていうのがある。

ὁ βίος βραχύς, ἡ δὲ τέχνη μακρή.
 ho bios brakhys, hê de tekhnê makrê.
 ホ・ビオス・ブラキュス、ヘー・デ・テクネー・マクレー。

vita brevis, ars longa.
 ウィータ・ブレウィス、アルス・ロンガ。

ラテン語訳は文の順序が逆の「ars longa, vita brevis.」のほうが有名だろう。よく「芸術のいのちはながいのにくらべて、ひとのいのちはみじかい」みたいな意味でつかわれてるけど、もともとは「医者のいのちはみじかいけど、治療の技術の寿命はながい」とか「医者の一生はみじかいのに、医学の技術をまなぶのにはながい時間がかかる」とかいう意味だった。古代の文章に「τέχνη[テクネー]」とか「ars[アルス]」がでてきても、あくまで「技術」ってことで、近代的な「芸術」なんて意味はない。

このギリシャ語とラテン語の文章にはふたつのことばのちがいがよくあらわれてるとおもう。ひと目みてわかるのは、ラテン語のほうが簡潔な文章になってるってことだろう。ギリシャ語の原文にはラテン語訳にはない「[ホ]」「[ヘー]」「δέ[デ]」っていうちいさいことばがある。「[ホ]」は定冠詞の男性・単数・主格、「[ヘー]」は定冠詞の女性・単数・主格なんだけど、ラテン語には定冠詞はない(不定冠詞のほうは古代のギリシャ語にもラテン語にもない)。「δέ[デ]」はかるい意味の接続詞で、ギリシャ語にはこの種の単語がいろいろあって、たいていこういうので文章をつないでく。

のこりの単語は全部単数・主格のかたちで、「βίος[ビオス]」と「vita[ウィータ]」は「いのち、生涯、生活」、「βραχύς[ブラキュス]」と「brevis[ブレウィス]」は「みじかい」、「τέχνη[テクネー]」と「ars[アルス]」は「技術」。「μακρή[マクレー]」と「longa[ロンガ]」は「ながい」って意味だけど、「βίος[ビオス]」は男性名詞で「vita[ウィータ]」は女性名詞だから、それをうける形容詞のほうも、「βραχύς[ブラキュス]」は男性形、「brevis[ブレウィス]」は女性形になってる。「τέχνη[テクネー]」と「ars[アルス]」はどっちも女性名詞だから、「μακρή[マクレー]」も「longa[ロンガ]」も女性形。

ヒッポクラテースのギリシャ語はイオーニアー〔イオニア〕方言だから「μακρή[マクレー]」っていうかたちになってるけど、古典ギリシャ語の代表格のアッティカ方言なら「μακρά〔makrâ〕[マクラー]」になる。ヒッポクラテースはコース島の出身で、ここはドーリス方言の地域なんだけど、アッティカ方言が勢力をもつようになるまえは、散文の分野じゃイオーニアー方言が有力だったから、ヒッポクラテースもイオーニアー方言でかいた。イオーニアー方言の散文作品で代表的なものにヘーロドトス〔ヘロドトス〕の『歴史』がある。

それから、ギリシャ語でもラテン語でも英語の be 動詞にあたる動詞がないけど、こういう文章のばあい、めずらしくない、っていうか、これがふつう。

この文章が、セネカの『人生のみじかさについて』の最初のほうにラテン語で引用されてるんだけど、上にあげたラテン語訳とはちがってる。

vitam brevem esse, longam artem.
 ウィータム・ブレウェム・エッセ、ロンガム・アルテム。
これは間接話法の文章で、ここにでてくる名詞も形容詞も全部対格になってるし、動詞は不定詞だ。この文章を直接話法になおせば、「vita brevis est, longa ars.」になる。原文とちがってるのは、前半に「esse」があることと、後半の語順が逆になってることで、ふたつの文の順序は原文とおんなじだ。「esse」は英語でいえば「be」で、原文にも、よくみかけるラテン語訳にもない動詞がここにはおぎなってある。動詞がないと間接話法にできないからだろう。

ところで、このヒッポクラテースの文章にはつづきがある。

ὁ δὲ καιρὸς ὀξύς, ἡ δὲ πεῖρα σφαλερή, ἡ δὲ κρίσις χαλεπή.
 ho de kairos oxys, hê de pēra sphalerê, hê de krisis khalepê.
 ホ・デ・カイロス・オクスュス、ヘー・デ・ペ~ラ・スパレレー、ヘー・デ・クリスィス・カレペー。
意味は、「いい機会はすぐにすぎさってしまうものだし、経験からえた知識はたしかなものじゃないし、判断はむずかしい」。「καιρός[カイロス]」は「時、時期、機会、好機」、「ὀξύς[オクスュス]」は「するどい、すばやい」(男性形)、「πεῖρα[ペ~ラ]」は「こころみ、経験、経験からえた知識」、「σφαλερή[スパレレー]」は「危険な、不安定な、不たしかな」(女性形。アッティカ方言なら「σφαλερά〔sphalerâ〕[スパレラー]」)、「κρίσις[クリスィス]」は「判断」、「χαλεπή[カレペー]」は「むずかしい」(女性形)。


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