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チェンバロのさとがえり

チェンバロはだいたいルネッサンスからバロック時代にかけてつかわれた鍵盤楽器で、かたちはピアノににてるけど、おとのだしかたがちがう。ピアノは弦をたたいておとをだすけど、チェンバロはツメみたいなもので弦をはじく。

チェンバロ(cembalo)っていうのはイタリア語で、ドイツ語でも Cembalo (チェンバロ)をそのまんまつかってる。フランス語だと clavecin (クラブサン)で、英語だと harpsichord (ハープシコード)っていう。

チェンバロの語源については、渡邊順生[わたなべ よしお]『チェンバロ・フォルテピアノ』(東京書籍)にこういう説明がある。

「チェンバロ」という呼称は、ギリシア語のキンバロムに由来する。これがラテン語では、キュンバルム cymbalum (国によってはこれをツィンバルムとも読む)となり、それがさらにイタリア語風に訛ったものがチェンバロ cembalo である。キュンバルム又はツィンバルムというラテン語の呼称は二種類の楽器について用いられた。その一つは、シンバルまたはティンパニなどの打楽器であり、もう一つは、プサルテリウムやダルシマーなどの弦楽器である。これらの弦楽器は、箱に弦を張っただけの単純な構造のもので、〔…略…〕/チェンバロは、プサルテリウムに鍵盤を付け、弦をはじく機構を組み込んだものであり、そこからクラヴィツィンバルム(鍵盤付きのツィンバルム)という呼称が生まれた。それが各国語風に訛ったものが、イタリア語のクラヴィチェンバロあるいはグラーヴィチェンバロ(「大きなチェンバロ」の意)、ドイツ語のクラヴィツィンベルあるいはクラヴィツィンバル(どちらも現代ではほとんど使われない)、オランダ語のクラフェシンベルなどである。フランス語では語尾のベルがとれてクラヴサンと呼ばれるようになった。チェンバロは、逆に語幹のクラヴィがとれて短縮されたものである。

このなかで、ギリシャ語の「キンバロム」っていうのがちょっとちがう。ギリシャ語には μ [m]でおわる単語はないから「キンバロム」なんてことはありえない。ラテン語にひきずられてまちがっちゃったんだろう。もとになったギリシャ語は正確には κύμβαλον [kýmbalon キュンバロン]で、シンバルのことだ。シンバル(cymbal)っていう英語の語源もこの「キュンバロン」で、これが上の説明のとおりラテン語の「キュンバルム」になって、それが英語にはいった。

ギリシャ語の κύμβαλον [キュンバロン]は κύμβος [kýmbos キュンボス]または κύμβη [kýmbɛː キュンベー](くぼみ、くぼみのあるうつわ)からできたことばで、シンバルのかたちをかんがえてみれば、このつながりはよくわかる。

で、鍵盤がついたキュンバルム(ローマ式発音なら「チンバルム」)のことをラテン語で clavicymbalum [クラヴィチンバルム]/clavicembalum [クラヴィチェンバルム]っていうようになったわけだけど(clavi- [クラヴィ]のもとは「カギ」って意味のラテン語の clavis [クラーウィス])、それがイタリア語で clavicembalo [クラヴィチェンバロ]になって、さらに前半がとれて cembalo になった。

別名の gravicembalo [グラヴィチェンバロ]は、引用した文章にかいてあるみたいな「グラーヴィチェンバロ」って発音にはならないはず。アクセントは e にあって、アクセントのない gra- は「グラー」っていうふうにながくはならない。音楽用語にもなってる grave [グラーヴェ]にひきずられちゃったのかな。で、この本には gravicembalo の意味が「大きなチェンバロ」だってかいてあるけど、じっさいには gravi- が clavi- がなまったものなのかラテン語の gravis [グラウィス](おもたい)からきてるのかははっきりしないらしい。

当時 cembalo にはべつのつづりもあって、cimbalo [チンバロ]ともかいた。おんなじように、フランス語の clavecin [クラヴサン]にもむかしはちがうつづりがあって clavessin ともかいた。ただしフランス語のほうは発音にちがいはない。

ギリシャ語の κύμβαλον [キュンバロン]は、シンバルの意味のまんま現代語にのこって κύμβαλο [ˈkʲiɱvalo キンヴァロ]になってるけど、チェンバロのことは現代ギリシャ語で τσέμπαλο [ˈtsembalo ツェンバロ/ˈtʃembalo チェンバロ]っていって、イタリア語からはいった外来語だ。フランス語からはいった κλαβεσέν [klaveˈsen クラヴェセン]っていうのもあるみたいだけど(日本語でもチェンバロのほかにハープシコードともクラブサンともいってるみたいに)、τσέμπαλο のほうがふつうだろう。

どっちにしても、もともとギリシャ語だった単語がラテン語にはいって、かたちと意味がかわって、ラテン語の子孫のイタリア語・フランス語から逆輸入でまたギリシャ語にもどってきたわけだ。

2007.01.24 kakikomi; 2017.05.23 kakitasi

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