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『理趣経』の百八名讃

八田幸雄『真言事典』(平河出版社)の「付録 9. 百八名讃(理趣法)」には『理趣経りしゅきょう』関係の経典にでてくる百八名讃みょうさんがのってるけど、ちょっと疑問があったから、もとの経典にあたってしらべてみることにした。

この百八名讃がでてくるのは「仏説最上根本大楽金剛不空三昧大教王経(七巻理趣経/理趣広経)」(大正新脩大蔵経 No.244)、「大楽金剛薩埵修行成就儀軌」(No.1119)、「金剛頂勝初瑜伽経中略出大楽金剛薩埵念誦儀〔軌〕」(No.1120 A)、「勝初瑜伽儀軌真言」(No.1120 B)の4つだ。でも、『真言事典』には出典として「244」がかいてないから、これだけは参照してないんだろう。

漢文訳の『金剛頂経こんごうちょうぎょう』の百八名讃はサンスクリット語のまんまじゃなくて訳してあるけど、この百八名讃はどれも訳してなくて、サンスクリット語の発音を漢字にうつしてるか梵字ぼんじでかいてある。「244」と「1119」は漢字だけ、「1120 A」は漢字と梵字、「1120 B」は梵字だけ(「1120 B」は「1120 A」の真言だけをぬきだして梵字でかいたもの)。

この4つをくらべてみると、「1119」と「1120 A」と「1120 B」はほとんどおんなじで、「244」はこれとはすこしちがってる。「1119」と「1120 A」と「1120 B」は「金剛薩埵儀軌類」とかいわれてるグループにふくまれてる経典だけど、「244」のほうはいくつかある『理趣経』のうちのひとつで、そのなかでいちばんながい。全部で7巻あるから『七巻理趣経』っていわれてる。

この百八名讃は、『金剛頂経』のとおんなじで、形式はシュローカ(श्लोक śloka)なんだけど、『真言事典』だと韻文として行わけしてないから、シュローカだとはおもってないのかな。とりあえず、まずはひととおり原文をあげることにするけど、この本文はおもに「244」をもとにしたもので、「244」とそれ以外でちがいがあるばあいは、「244」とちがってるものを注でしめした。つづりは基本的にただしいものになおしてある。

परमाद्य महासत्त्व महारत महारति ।
समन्तभद्र सर्वात्मा वज्रगर्वापते पते ॥ १ ॥
चित्तसत्त्व समाध्यग्र्य
(1) वज्रवज्र महाधर (2)
समन्तभद्र चर्याग्र्य
(3) मार मारप्रमर्दक ॥ २ ॥
सर्वबोधि
(4) महाबुद्ध बुद्धबुद्धाग्रजन्मज ।
वज्रहुंकार हुंकार लोकेश्वर मणिप्रद ॥ ३ ॥
महाराग महासौख्य काममोक्ष महाधन ।
त्रिकाल त्रिभव त्र्यग्र्य त्रिलोकाग्र्य
(5) त्रिधातुक ॥ ४ ॥
स्थावर प्रभव व्यक्त सुसूक्ष्म स्थूलसंचय ।
जङ्गम प्रवरप्राप्ते भवसंसारशोधक
(6) ॥ ५ ॥
अनादिनिधनाद्यन्त
(7) कान्त प्राक्सर्वसंस्थित (8)
हृन्मुद्रायोगसमय
(9) तत्त्वसत्य महामहः ॥ ६ ॥
तथागत महासिद्धि
(10) धर्मकर्म महाबुध ।
सद्धर्म सत्कर्मपथ बोधिचित्त सुबोधक ॥ ७ ॥
वज्रक्रोध महाक्रोध ज्वालाप्रलय
(11) दामक ।
महाविनय दुष्टाग्र रुद्र रौद्र क्षयंकर ॥ ८ ॥
सर्वशुद्धि महापद्म प्रज्ञोपाय महानय ।
रागशुद्धि समाध्यग्र्य
(12) विश्वराग महेश्वर ॥ ९ ॥
आकाशानन्त
(13) नित्यो वै सर्वभूतमहालय (14)
विभूते
(15) श्रीर्विभो (16) राज सर्वाशापरिपूरक ॥ १० ॥
नमस्तेऽस्तु नमस्तेऽस्तु नमस्तेऽस्तु नमो नमः ।
भक्तोऽहं
(17) त्वां प्रपद्यामि वज्रसत्त्वाद्य सिध्य (18) मां ॥ ११ ॥

paramādya mahāsattva mahārata mahārati |
samantabhadra sarvātmā vajragarvāpate pate ∥ 1 ∥
cittasattva samādhyagrya(1) vajravajra mahādhara(2)
samantabhadra caryāgrya(3) māra mārapramardaka ∥ 2 ∥
sarvabodhi(4) mahābuddha buddhabuddhāgrajanmaja |
vajrahukāra hukāra lokeśvara maiprada ∥ 3 ∥
mahārāga mahāsaukhya kāmamoka mahādhana |
trikāla tribhava tryagrya trilokāgrya(5) tridhātuka ∥ 4 ∥
sthāvara prabhava vyakta susūkma sthūlasacaya |
jagama pravaraprāpte bhavasasāraśodhaka(6) ∥ 5 ∥
anādinidhanādyanta(7) kānta prāksarvasasthita(8)
hnmudrāyogasamaya(9) tattvasatya mahāmaha ∥ 6 ∥
tathāgata mahāsiddhi(10) dharmakarma mahābudha |
saddharma satkarmapatha bodhicitta subodhaka ∥ 7 ∥
vajrakrodha mahākrodha jvālāpralaya(11) dāmaka |
mahāvinaya duṣṭāgra rudra raudra kayakara ∥ 8 ∥
sarvaśuddhi mahāpadma prajñopāya mahānaya |
rāgaśuddhi samādhyagrya(12) viśvarāga maheśvara ∥ 9 ∥
ākāśānanta(13) nityo vai sarvabhūtamahālaya(14)
vibhūte(15) śrīr vibho(16) rāja sarvāśāparipūraka ∥ 10 ∥
namas te ’stu namas te ’stu namas te ’stu namo nama
bhakto ’ha(17) tvā prapadyāmi vajrasattvādya sidhya(18) ∥ 11 ∥

 (1) समाध्यग्र samādhyagra
 (2) महाधन mahādhana
 (3) चर्याग्र caryāgra
 (4) सर्वबोधे sarvabodhe
 (5) त्रिलोकाग्र trilokāgra
 (6) भवसागरशोधन bhavasāgaraśodhana
 (7) अनादिनिधनात्यन्त anādinidhanātyanta
 (8) प्राक्सर्वमास्थित prāksarvamāsthita
 (9) हृत्मुद्रायोगसमय htmudrāyogasamaya
 (10) महासिद्ध mahāsiddha
 (11) ज्वालप्रलय jvālapralaya
 (12) समाध्यग्र samādhyagra
 (13) आकाशानन्त्य ākāśānantya
 (14) सर्वबुद्धमहालय sarvabuddhamahālaya
 (15) विभूति vibhūti
 (16) श्री विभो śrī vibho
 (17) भुक्तोऽहं bhukto ’ha
 (18) सिद्ध siddha

『金剛頂経』の百八名讃は1偈ごとに नमोऽस्तु ते namo ’stu te [ナモー ストゥ テー](あなたに帰依します)っていう文句があるけど(『金剛頂経』の百八名讃」)、これはそうはなってなくて、これにあたる文章は最後の第11偈にまとまってでてくる。

で、つぎに、4つの経典にある本文のちがいとかについて、1行ごとにみてくことにする。

●第1偈第1行

『真言事典』じゃ、最初が pramādya になってるけど、これは paramādya のミスプリかなんかだろう。ただし「最勝の歓喜よ」っていう翻訳からすると pramodya のつもりなのかもしれない。経典はどれも para- で pra- になってるものはないし、pra- だったら韻律にあわない。

-satva のただしいつづりは -sattva だけど、「1120 A」と「1120 B」の梵字をみるとこのとおり -satva になってる。ttva を tva ってかくのはよくあることで、これはこのふたつの発音がおんなじだからだ。それで省略した tva ってかきかたがよくつかわれる。「244」は「薩埵」ってかいてあるから sattva みたいにみえる。この漢字の音は sat-tua だったから、ともともはそのまんま sattva をうつしたものだったけど、「244」じゃ sarva の sa にもこの「薩」がつかわれてることからすると、この時代には「薩」は sa になってたわけで、そうなると結局これも satva ってことになるだろう。

●第1偈第2行

「1119」と「1120 A」は sarvātma で、「244」と「1120 B」は sarvātmā (『真言事典』は sarv’ātma。アポストロフィーは気にしなくていい)。百八名讃にでてくる名まえはぜんぶ呼格のはずだし、よびかけられてるのは金剛サッタだから、男性名詞だ。sarvātman の男性・呼格のかたちは sarvātman だから、ほんとはこうなるはずなんだけど、仏典につかわれてる仏教混交サンスクリット語(仏教混淆梵語、Buddhist Hybrid Sanskrit)だと、主格のかたちを呼格としてつかってる例があるから、ここも sarvātmā がそうなんだろう。sarvātma じゃ中性・呼格だし、サンスクリット語の漢字がきは母音のながさが不正確なこともおおい。

ここは samantabhadra sarvātmā ってきってるけど(『真言事典』もおんなじ)、これは samantabhadrasarvātmā ってつづけたほうがいいのかもれしない。

そのつぎが、『真言事典』だと vajra-garva pate-pate だけど、単語のきりかたがちがってるとおもう。vajra-garva にあたる部分は、「244」は vajragarvā、「1119」は vajragarva、「1120 A」は vajragarvva、「1120 B」は vajragartvā (t がはいりこんでるけど、これはたんなるまちがいだろう)。「1120 A」の vajragarvva は r のあとの v がかさなってるけど、これはよくあることで、karma を karmma ってかいたりする(第7偈にでてくる)。r のあとの子音が二重に発音されることがあるってことなんだろう。ここじゃとりあえずこのつづりはとらない。

で、重要なのは a と ā のちがいで、vajragarva だと男性・呼格だけど、vajragarvā なら女性・主格か複合語のかたち。『真言事典』みたいに vajragarva で きるんなら、このとおり男性・呼格がいいことになるけど、そうするとつぎの patepate がおかしい。pate は男性・呼格だから、前半の部分が呼格のまんまで patepate みたいな複合語になることはない。patipate ならいいけど。patepate って呼格がならんでることからすると、pate pate ってきらなきゃいけないはずだ。それに、五秘密尊とかチベットの浄化法からわかるように、金剛サッタの明妃には金剛慢女がいるから(金剛ニェムマって?」)、ここは vajragarvāpate ってつづければちょうどいい。

それに、『初会金剛頂経』には主格の vajragarvāpati っていうことばがちゃんとでてくるし、Dīpakarabhadra の『Guhyasamājamaṇḍalavidhi』には、こことちがって呼格じゃなくて主格だけど、基本的におんなじ文章がでてくる。

समन्तभद्रः सर्वात्मा वज्रगर्वापतिः पतिः ॥ ३११ ॥

samantabhadra sarvātmā vajragarvāpati pati∥ 311 ∥

●第2偈第1行

「244」だけ samādhyagrya で、ほかは samādhyagra。ここみたいに「244」が -grya でそれ以外が -gra なのはほかにもいくつもある。

「244」だけ mahadhara で(ha の母音がみじかいのはまちがい)、ほかは mahādhana。『真言事典』の mahā-dhāna は、mahādhana の dha がまちがいだってかんがえて dhā になおしたんだろうけど、そうすると韻律にあわなくなる。もとのまんまの mahādhana がいい。

●第2偈第2行

samādhyagrya とおんなじように、「244」だけ caryāgrya で、ほかは caryāgra。ここも samantabhadra caryāgr(y)a って切ってるけど、samantabhadracaryāgr(y)a ってつづけたほうがいいのかもれしない。

そのつぎが『真言事典』だと māra-māra pramardaka ってきりかたになってるけど、これは māra mārapramardaka だろう。この1行とまったくおんなじ samantabhadra caryāgrya māra mārapramardaka が『金剛頂経』の「降三世品ごうざんぜぼん」の百八名讃にでてくる。それに、『金剛頂経』の「金剛界ぼん」の百八名讃の第15偈には mārapramardaka とおんなじ意味の mārapramardin がある(『金剛頂経』の百八名讃」)。

●第3偈第1行

「244」は sarvabodhi、「1120 A」と「1120 B」は sarvabodhe、「1119」はどっちかきめかねる。sarvabodhe のほうが文法的にはただしいけど、仏教混交サンスクリット語としては sarvabodhi みたいに -i でおわってるかたちを呼格としてつかってる例もよくある。第1偈第1行の mahārati もそうだ。

buddhabuddhāgrajanmaja は、こまかいちがいをのぞくと「1119」と「1120 A」がこのまんまで、「244」と「1120 B」はひとつめの buddha がぬけてて buddhāgrajanmaja になってるんだけど、ぬけてるほうがまちがいだろう。韻律からしてもそうだ。で、ここの単語のきりかたがちょっと問題で、このまんまひとつづきってかんがえると buddhabuddha と agrajanmaja が連声れんじょうでくっついたものだけど、これを buddha buddhāgrajanmaja ってきることもできるかもしれない。それか、『真言事典』みたいに buddhabuddhāgra janmaja なのかな。

-janmaja は、「244」は -janmaja だけど、ほかは jamaja になってる。-a は主格のかたちだけど、仏教混交サンスクリット語ってことならこのまんまでもいいのかもしれない。ja- になってるのは不正確で、jan- がただしい。

●第3偈第2行

『真言事典』は vajra-hūkāra hū-kāra っていうふうにながい hū になってるけど、こういう忿怒尊の「吽迦羅うんから」(ウンっていう字)のもとが hū じゃなくて hu だってことは、『金剛頂経』の「降三世品」の百八名讃をみてもわかる。そこには buddhahukāra hukāra vajrahukāra っていうのがでてくる。それに「1119」と「1120 A」には hu をあらわす「吽」にわざわざ「短声/短」っていう わり注がついてる。

●第4偈第1行

『真言事典』だと mahā-dhāna になってるけど、mahādhana じゃないとおかしい。経典は4つとも dhā ってのばしてないし、mahādhāna じゃ韻律にあわない。「1119」は mahadhaya だけど、ya をあらわしてる「耶」は、na をあらわす「那」のうつしまちがいかなんかだろう。

●第4偈第2行

この1行は問題がおおい。『真言事典』は trikāla strī-bhava stryagrya... trilokāgra tridhātuka だけど、単語のきれ目がおかしいとおもう。語尾の -s をつぎの単語のあたまにつけちゃってる。こういうふうにしたのは -as のかたちだと主格になっちゃうからで、これをさけて -a っていう呼格のかたちにするためだろう。でも仏教混交サンスクリット語には主格のかたちを呼格につかう例があるんだから、そんなことはしないで、-as のかたちのまんまでいいんじゃないかとおもう。だいたい最初の trikālas が tr- ではじまってて str- じゃないし、全体として tri-/try- ではじまることばがならんでるわけだから、-s は語尾のはずだ。-a でも -as でも韻律に影響はない。

-a か -as かは経典によってちがいがあるから、ここじゃいちおう全部ただしい呼格の -a にしといた。「244」は trikāla tribhavas tryagryas trilokāgryas tridhātuka、「1119」は trikālas tribhavas tryagragrya trilokāgra tridhātuka、「1120 A」は trikālas tribhavas tryagrya trilokāgra tridhātuka、「1120 B」は trilokāgra tridhātuka。「1119」の tryagragrya は -gra- がよけい。「1120 B」は trikālas tribhavas tryagrya がぬけてて、ほかは「1119」と「1120 A」とおんなじ。で、「1120 B」はぬかすとして、3つともおんなじなのは tribhavas と tridhātuka だけだ。主格のかたちじゃなきゃいけない理由は、韻律もふくめて、ないとおもうんだけど、なんでこうなのかな。

「244」のべつのとこに trilokas tribhavas tryagryas tryapāyas tryāmahis tridhā っていうのがでてくるんだけど、この手の tri-/try- ではじまることばがつづくいいまわしは、-as でおわるかたちで定着、とまではいわなくても、けっこうきまったいいかたみたいなものだったのかな。ただそれでも呼格としてはほんとはおかしいから、結局は -a だったり -as だったりって、まちまちになっちゃったってことなのか…。

●第5偈第1行

ここは単語のきりかたに疑問がのこる。きれそうなとこはひととおりきっちゃったけど、sthāvaraprabhava vyakta susūkmasthūlasacaya でもいいのかもしれない。『真言事典』は sthāvara prabhāva-vyakta sūkma sthūla-sacaya だけど、prabhāva の bhā は経典は4つともながくないし、ながいと韻律にあわない。だから prabhava のはずだ。それから sūkma は su- がぬけてる。「244」は susukmasthulasasacaya で -sa- がよけい。それから -sacaya のとこは、「1119」と「1120 A」は sacaya、「1120 B」は sacaya。

●第5偈第2行

前半の単語のきりかたに疑問がのこる。jagama pravara prāpte か jagamapravara prāpte もありえるだろう。『真言事典』は jagama-pravara prāptye-bhava sāgara-śodhana になってるけど、まずは prāptye っていうのが疑問。「1119」と「1120 A」は prāpte、「1120 B」は prāpta、「244」は prāpko だろう。「244」の -ko っていうのがおかしいけど、ko ってよめる「姤」は第11偈でも to のはずのとこにつかわれてるから、ここでも to のつもりなのかな。でも、そうだとしても -to っていう主格のかたちじゃなきゃいけない理由がないし、「1119」と「1120 A」と「1120 B」はよく主格のかたちがでてくるけど、「244」はそうでもない。だから、これは -te のまちがいなんじゃないかとおもう。それから、『真言事典』は prāptye-bhava ってつないでるけど、ここはシュローカの形式として1行の前半と後半のおおきなくぎりがあるとこだから、単語もきれてるはずだ。

後半はひとつながりで、「244」は bhavasasāraśodhaka、ほかは bhavasāgaraśodhana。

●第6偈第1行

前半は、「244」が anādinidhanādyata で、ほかは anādinidhanātyata だけど、「244」の -dyata だと韻律にあわないし、たぶんこれは -dyanta (-dyata)を不正確にかいちゃったんだろう。そうだとすければ、ここは anādinidhana ādyanta が連声でつながったものってことになるけど、ほかの3つとおんなじだとすれば、-tyanta のまちがいってことになる(そのばあいは anādinidhana atyanta)。

後半の kānta はいいとして、つぎが「244」だと prāsarvasasithita、「1119」は prāksarvamasthita()、「1120 A」と「1120 B」は prāksarvamāsthita (ただし「1120 B」は -rva- の1文字がかけてる)。「244」以外の3つは基本的におんなじことで(-ma- と -mā- ではながいほうがいいだろう)、-a は主格のかたちだけど、ここでも呼格としてつかってるのかな。韻律からするとそんな必要はないんだけど。ただし「1119」には - がついてない本もある。「244」はほかの3つを参考にすると prāksarvasasthita のまちがいで、-k- がぬけてるのと、-sthi- のはずが -sithi- になっちゃってる。でもこっちはちゃんと呼格のかたち。

この行は『真言事典』だと anādinidhānatyatikānta prāka-sarva-masthita だけど、ここでもシュローカの前半と後半のきれ目のとこをつないじゃってる。kānta のまえできれてるはずだ。それに -tyati みたいに -i でおわってる経典はない。prāka- は ka をあらわす「迦」にちゃんと「半音」ってわり注がついてるから子音だけの k のはずだし、それは「1120 B」の梵字をみてもわかる。

●第6偈第2行

『真言事典』は hd-mudrā yoga-samaya ってふたつにきってるけど、mudrā の語尾のことをかんがえるとどうなんだろ。「1119」だけ mudra で、それ以外は mudrā だから、この女性形のまんまがいいとはおもうけど、そうなると、ここは複合語になってるんじゃないかな。つまりこの行の前半は全部ひとつづきってことだろう。それから、ここは連声の規則からすれば hnmudrā- とか『真言事典』みたいに hdmudrā- になるんだけど、「1119」と「1120 A」と「1120 B」は -tmu-。ただし梵字の tmu と nmu はよくにてるから、nmu のうつしまちがいがあったともかんがえられる。「244」は hmudrā- で -t- も -d- も -n- もない(「244」で音節のおわりの子音がない例はほかにもある)。-samaya は「244」以外の3つは -samaya で、ここもまた主格のかたちになってる。

mahāmaha は4つともこのかたちによめる(「1119」だけ -hā- の母音がみじかいけど)。ほかの -a とちがって、mahāmaha はこれで呼格になってる。ただし「244」は mahāmaha かもしれない。そうだとしても、それはそれでやっぱり呼格だけど。

●第7偈第1行

「244」は mahāsiddhi、ほかは mahāsiddha (『真言事典』は mahā-siddha)。dharmakarma は「1120 A」が dharmmakarmma ってつづりになってる。「1120 B」は dharmma だけで karmma がかけてる。

そのあとが『真言事典』だと mahā-buddha になってるけど、「1120 A」の梵字と「1120 B」は -budha、「1119」と「1120 A」の漢字は -buddha (勃馱)。ただし「1120 A」は漢字で -budha (母馱)になってる本もある。「244」は -budha だろう。第3偈の buddha とここの budha は、「1120 A」の -budha になってる本をのぞいて、どれもおんなじ漢字をつかってて、このふたつを区別してない。韻律からいってここは -budha じゃないとおかしいから、「1120 A」の -budha になってる本と梵字のほうが正確だ。

●第7偈第2行

「244」は sadharma sakarmapatha、「1119」は sadharma satkarmapatha、「1120 A」は sa(d)dharmma satkarmmapathā、「1120 B」は saddharmma satkarmmapa で -tha がかけてる。sadharma っていうのがおおいけど、satkarma- との対応からかんがえても saddharma がいいだろう。それから、ここでも「1120 A」と「1120 B」には dharmma、karmma っていうつづりがつかわれてる。

subodhaka は「1120 B」が ābādhaka だけど、ā と su は梵字だとちょっとにてるから、たんなるかきまちがいだろう。bā も bo のかきまちがいで、梵字の bo が1画なくなると bā になる。

●第8偈第1行

「244」は jvālāpralaya dāmaka、「1119」は jvalapralaya damaka、「1120 A」は jvālapralaya damaka (dā- になってる本もある)、「1120 B」は jvālapralaya dāmaka。ここでも「1119」と「1120 A」と「1120 B」には -a っていう主格のかたちがでてきてる。『真言事典』は jvāla-pralaya-damaka っていうふうに後半を全部つなげてる。

●第8偈第2行

『真言事典』は rudra-raudra ってつなげてるけど、これはつなぐ必要はないとおもう。そのつぎが「244」は kayakara だけど、ほかはまたまた主格のかたちで kayakara

●第9偈第1行

ここはとくに問題はない。

●第9偈第2行

第2偈第1行とおんなじで、「244」だけ samādhyagrya、ほかは samādhyagra (ただし「1120 B」は sā-)。それから maheśvara は「1120 B」は ma- がかけてる。

●第10偈第1行

「244」は ākāśananta (śa がみじかいのはまちがい)、「1119」は akaśanantya、「1120 A」と「1120 B」は ākāśānatya (『真言事典』は ākāśāmantya で、m は誤植だろう)。-ta でも -tya でも意味に特別かわりはない。

つぎが、『真言事典』は nityave だけど、これだと韻律にあわない。「244」は nityo vai、「1119」は nito vai、「1120 A」は漢字は nito vai で梵字は nityo vai、「1120 B」は nibhyo vai (梵字の tyo と bhyo はにてるから、誤植かなんかだろう)。nito だと韻律にあわないし「1120 A」は梵字だとはっきり -tyo だから、「1119」と「1120 A」の漢字の -to は -tyo のつもりなのかもしれない。nityo は主格のかたちだけど、いままでにもでてきたみたいに呼格としてつかわれてる。ここのばあいはちゃんと理由があって、呼格の nitya じゃ韻律にあわないから、このかたちがつかわれてるんだろう。それから vai は強調をあらわす助詞みたいなもんだけど、韻律をうめるためによくつかわれる。

後半は「244」だと sarvabhutamahālaya (-bhu- の母音がみじかいのはまちがい)、ほかは sarvabuddhamahālaya。『真言事典』は sarva-buddha mahā-laya ってきってるけど、きらないほうがいいんじゃないかな。-mahālaya の部分を『真言事典』みたいに mahā+laya ってかんがえて「大休息者よ」って解釈するんなら、きりはなすのもいいかもしれないけど、ここは mahā+ālaya (おおきなすみか・座)だろう。

●第10偈第2行

「244」は vibhute śrir (-ri- がみじかいのはまちがいだろう)、ほかは vibhūti śrī (『真言事典』は vibhūtiśrī)。vibhūte がただしい呼格だけど、「244」以外は vibhūti っていう主格のかたちが呼格としてつかわれてるんだろう。vibhūte ははっきり呼格だからここできれてるけど、vibhūti なら『真言事典』みたいに vibhūtiśrī ってつなげるほうがいいのかもしれない。それから śrīr がただしいかたちだけど、仏教混交サンスクリット語としては śrī のまんまでもいいんだろう。

つぎの vibho が「244」は vitu、「1120 B」は viho だけど、それぞれまちがいだろう。vitu は韻律にあわないから vito のつもりかもしれない。そうだとしたら、梵字の to と bho はちょっとにてるから、そのせいでうつしまちがいがもともとあって、それをそのまんまこういうふに漢字でかいたともかんがえられる。viho のほうは梵字の ho と bho がにてるから誤植だろう。

そのつぎが「244」は rāja、「1119」は raja、「1120 A」は rajā、「1120 B」は rāja で、母音のながさがまちまちだけど、rāja がただしいはず。ただし rāja ってかたちは古典サンスクリット語だと複合語にしかつかわれない。だから『真言事典』は vibho-rāja ってつないじゃったんだろうけど、vibho は呼格だから、つなげるのはおかしい。仏教混交サンスクリット語としては rāja っていう呼格がつかわれてる例がある。

後半は「244」は sarvāśaparipuraka、「1119」は sarvāśaparipuraka、「1120 A」は sarvāśāparipūraka、「1120 B」は sarvaśāparipūra で最後の1文字がかけてる。「1120 A」以外は母音のながさが不正確。「1119」と「1120 A」は主格のかたち。『真言事典』は sarv’āśā paripūraka ってきって「一切の所願よ,豊満する者よ」って訳してるけど、これは複合語で「すべてのねがいをかなえるものよ」だろう。『秘密集会タントラ』の賛歌(स्तोत्र stotra)にもこのことばがでてくる。

●第11偈第1行

『真言事典』は namastu stu namastu stu namastu stu nama nama だけど、なんでこうなってるんだろ。「244」と「1120 B」にはけっこうかけてる部分があるけど、それをのぞけば4つとも namas te ’stu namas te ’stu namas te ’stu namo nama ってよめるし(アポストロフィーにあたる省略記号は経典にはないけど)、文法的にいってもこれがただしいはずだ。第2行のとこでふれるように、こことおんなじ文章がでてくるものがほかにもある。ただし「244」は最後が nama じゃなくて nama かもしれない。

●第11偈第2行

「244」は bhakko ’ha tva prapadyāmi vajrasatvādya siddhya ma だけど、bhakko の -ko ってよめる「姤」は第5偈第2行のとおんなじで -to のつもりなんじゃないのかな。tva と ma はどっちも対格のはずだから、古典サンスクリット語としては母音がながくないとおかしい。ただし仏教混交サンスクリット語の例としては対格の tva もあるから、これはこのまんまでもいいのかもしれない。でも、そもそも母音のながさのまちがいはずいぶんあるから、やっぱり tvā がただしいとはおもうけど。ma のほうは複数形としてなら仏教混交サンスクリット語の例があるけど、この文章はまず単数で ’ha っていってるんだから、最後が複数っていうのはおかしいし、このかたちじゃ単数・対格っていうのはないから、mā のまちがいっていっていいだろう。

「1119」は bhukto ’ha tva prapadyāmi vajrasatvādya siddha ma、「1120 A」は bhukto ’ha tvā prapadyāmi vajrasatvādya siddha mā、「1120 B」は最初のほうが6文字かけてて、そのあとは dmāmi vajrasatvādya siddha ma。「244」とちがってこっちは bhukto ってよめる。ただし「1120 A」は漢字は bhu- なのに、梵字は gu- になってる。梵字の bhu と gu はにてないとおもうんだけど…。それでも、母音はとにかく u で、「244」の bha とはちがってる。それから tvā と mā の母音は「1120 A」がただしいかたちになってる。「1120 B」の dmā- は、ほかは全部 dyā で、梵字だとこのふたつはにてるから誤植かなんかだろう。siddha は「244」の sidhya がただしいかたちだとおもうけど、まちがいっていうより sidhya のくずれたかたちだとすれば、仏教混交サンスクリット語としてはこれでいいのかもしれない。

『真言事典』は bhukto ’ha tva prapadya mi vajra-sattv’ādya siddha mām で、prapadya mi ってきってるのはおかしいとおもう。-dya はどの経典も母音はながいから、こういうふうにはきれないはずだ。tva prapadya mi を「汝は我れを獲得せよ」って訳してるから、tva を主格にとってることになるけど、これは対格で、tvā prapadyāmi で「わたしはあなたにたすけ〔保護〕をもとめる」ってことだ。それから vajra-sattv’ādya ってかいて「勝上の金剛薩埵よ」って訳してることからすると、vajrasattva+ādya っていう複合語だって解釈してることになるけど、これはそうじゃなくて、vajrasattva adya (金剛サッタよ、いま〔きょう〕)が連声でくっついたものだ。『初会金剛頂経』にも vajrasattvādya sidhya mā っていう文章がある。

Anupamavajra(無比金剛)の『Ādikarmapradīpa』には、こことおんなじような偈がでてくる。

नमस्तेऽस्तु नमस्तेऽस्तु नमस्तेऽस्तु नमो नमः ।
भक्तोऽहं त्वां नमस्यामि गुरुनाथ नमोऽस्तु ते ॥

namas te ’stu namas te ’stu namas te ’stu namo nama
bhakto ’ha tvā namasyāmi gurunātha namo ’stu te ∥

1行めはここの偈の1行めとまったくおんなじだし、2行めの前半はここの2行めの前半とよくにてる。これを参考にすれば、2行めの最初はやっぱり bhakto で bhukto じゃないとおもう。「1119」と「1120 A」にははっきり bhukto ってかいてあるけど…。

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2007.01.05 kakikomi; 2011.02.03 kakitasi

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