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「練習がすべて」「すべては練習しだい」

ギリシャ語の格言でこういうのがある。

μελέτη τὸ πᾶν. [melétɛː tó pâːn]

μελέτη [メレテー]は「練習、訓練」、τό [ト]は定冠詞、πᾶν [パーン]は「すべて」ってことで、ディオゲネース・ラーエルティオスの『ギリシャ哲学者列伝』第1巻第7章99にペリアンドロスのことばとしてでてくる。岩波文庫の『ギリシア哲学者列伝(上)』(加来彰俊訳)だと「練習がすべてである」って訳してあるけど、『ギリシア・ラテン引用語辞典』(岩波書店)のほうは「勤勉は万事なり」。でも「勤勉」っていうのはどうなんだろ。それに、この辞典にのってる原文は μελετὴ τὸ πᾶν. で、μελετὴ っていうのはアクセントがまちがってる。

田中利光『新ギリシャ語入門』(大修館書店)は「すべては練習にかかっている」って訳してて、

「練習がすべて」のように μελέτη を主語にとるのが普通のようであるが,τὸ πᾶν が主語,μελέτη が述語で,倒置によって μελέτη が強調されているのではないかと思われる.

って書いてある。でも、『ギリシア・ラテン引用語辞典』みたいな感じで「練習すべて」っていうんだったら、たしかに問題かもしれないけど、「練習すべて」っていうのはおかしくないんじゃないかな。

こういう文章のばあい定冠詞がついてるほうが主語になるから、τὸ πᾶν [ト パーン]が主語で μελέτη [メレテー]が述語っていうのはそのとおりで、τὸ πᾶν [ト パーン]をいかにも主語って感じで訳すんなら、原文の語順とは逆にして「すべては練習しだい」とでもなるだろう。この訳しかただと、ことばをおぎなう必要がある。「すべては練習にかかっている」って訳にしてもそうだ。

「練習がすべて」っていう訳なら、語順が原文といっしょだし、ことばをおぎなわなくてもよくて、原文みたいに簡潔ないいかたになる。こういうことからすると、この訳はなかなかいいとおもうんだけど、『新ギリシャ語入門』にかいてあるみたいに、主語・述語のことがほんとに問題なのかな。

「すべて練習(しだい)」と「練習すべて」をくらべてみると、主語らしきものについてる助詞にちがいがある。これが「練習すべて」だと意味がちがっちゃう。たとえば、「犯人おまえだ」っていう文章を、基本的な意味をかえないで語順をひっくりかえすと「おまえ犯人だ」になる。このふたつの文章は、犯人はだれなのか、だれが犯人なのかが問題になってるときのこたえで、はなしの主題は「犯人」だ。主題っていうのは、はなしのなかで もうでてきたことだから英語とかなら定冠詞がつく。この主題についてあたらしい内容をつけくわえるのがこの文章で、犯人が「おまえ」だっていうのがそのあたらしい内容だから、「は」のまえには主題、「は」のあとにはあたらしい内容がくる。「が」だとそれが逆になって、「が」のまえにはあたらしい内容がくることになる。つまり、「おまえ犯人だ」っていうばあい、「おまえが」が主語みたいなもんだけど主題ってわけじゃない。「犯人」っていう主題について「おまえ」っていうあたらしい内容をつけくわえてる。これが、「おまえ犯人だ」っていったら、はなしの主題が「おまえ」で、その「おまえ」に対してあたらしい内容の「犯人」ってことをいう文章になっちゃう。

こういうことからすると「すべては練習(しだい)」と「練習がすべて」は基本的におんなじ意味で、「すべて」が主題で「練習」はあたらしい内容ってことになる。原文は τὸ πᾶν [ト パーン](すべて)が主語で μελέτη [メレテー](練習)が述語で、ものごとをなしとげるのに必要な「すべて」はなんなのか、つまりなにがカンジンなのかっていうののこたえだから、μελέτη (練習)があたらしい内容だ。だから、どっちで訳してもまちがいにはならない。でも「練習すべて」はおかしい。「練習」のほうがはなしの主題になっちゃう。

で、「倒置によって μελέτη が強調されている」ってことを尊重するなら、やっぱり「練習」をまえにだして「練習がすべて」にしたいし、できるだけ原文どおりの語順で翻訳するほうがもともとのかんがえのながれにそうことにもなるし、さらに、この文章のばあい、上にもかいたみたいに、原文どおりの簡潔な文章になる。ただし、「すべては練習にかかっている」とか「すべては練習しだい」って訳しても、「練習」に対してことばをおぎなってるぶん「練習」が強調されてるともいえるから、原文の倒置による強調のニュアンスをつたえてることにはなるのかもしれない。

ところで、この格言を Practice makes perfect. ってことわざをつかって訳してる英語訳がある。この英語のことわざは「習うより慣れろ」なんて訳したりするけど、ほんとはちょっとちがうんじゃないかな。だからだろうとおもうけど、辞書によっては「慣れるまで習え」とか「習うことによって慣れよ」とか「練習は完全に通じる」なんて訳してる。

ドイツ語のことわざで Übung macht den Meister. [ユーブング マハト デン マイスター]っていうのがあるんだけど、これもおんなじ意味だ。直訳すれば「練習が名人をつくる」だけど、辞書にのってる訳だと、「名人も練習次第」とか「修練なくして名人なし」なんていうのがある。「名人も練習次第」のほうは、語順をひっくりかえしてことばをおぎなってるから、「すべては練習しだい」みたいな訳しかただ。ドイツ語の原文は Übung [ユーブング](練習が)が主語で、den Meister [デン マイスター](名人を)は macht [マハト](つくる)の目的語だけど、定冠詞の den がついてるから、こっちが主題だろう。もうはなしにでてきたものってことで定冠詞がついてるにしろ、その種類全体を代表する意味の定冠詞で「名人っていうもの」っていう意味にしろ(まあこっちかな)、主題ってことにかわりはない。つまり「名人(マイスター)」っていう主題について、名人になるにはなにがカンジンなのかってことのこたえがこのことわざなわけで、Übung があたらしい内容ってことになる。

ディオゲネース・ラーエルティオス:ディオゲネス・ラエルティオス。

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2007.05.14 kakikomi; 2010.09.13 kakinaosi

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