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沖縄の「ちゅら」

沖縄のことばで有名なのっていえば、まずは「めんそーれ」だろうけど、「ちゅらさん」とか「美ら海水族館」とかで「ちゅら」っていうのも有名だろう。

この「ちゅら」っていうのは「うつくしい、きれい、清潔」って意味だから、「美」なんて漢字をあててるわけだ。この「美ら」っていうのは しらなきゃよめないけど、しってても このかきかたは…、なんておもうひともいるだろう。これが いいとか わるいとかはべつとして、訓よみの漢字なんて もともとは翻訳なんだから、「美しい」っていうかきかただってじつは「美ら」とおんなじようなもんだ。

ところで「ちゅら」と「うつくしい」はことばとして直接対応してるわけじゃない。だから「ちゅら」が日本語(共通語)のなにに対応するのかな、ってかんがえてたら、ふと おもいついた。

「おなわ」が「うなー」になってるみたいに、日本語の「き」が沖縄のことばで「ち」になってることがよくある。「キ」が「チ」になるのは世界中にあることで、ラテン語の ci [キ]がイタリア語の ci [チ]になったし、ペキン語でもむかしの発音で「キ」だったのがいまは「チ」になってる(ペキン〔北京〕の「キン」がいまの発音だと「チン」になってるみたいに)。これはいわゆる「口がい化」ってやつで、「イ」っていう母音の影響で子音を発音する位置がまえにずれちゃうためにおこる。日本語でもちいさい子が「キ」っていえないで「チ」になっちゃってるなんてこともある。

それから「きなわ」が「ちなー」になってるみたいに、日本語のオ段の母音が沖縄のことばだとウ段になってることもよくある。

このことからかんがえると、「ちゅら」に対応してるのは「きよら」だろう。「きよらか」の「きよら」だ。「き」が「ち」になって、「よ」が「ゆ」になると、「ちゆら」だけど、それがちぢまれば「ちゅら」になる。だとすると、ことばの対応としては、漢字をあてるんなら「清ら」になるけど、「ちゅら」の意味はいまの「きよらか」とはちょっとちがってるから、意味からすれば「美ら」なんだろうな。

で、あらためて船津好明[ふなつ よしあき]『美しい沖縄の方言[ことば]1』(技興社)をみてみたら、「ちゅら」には「清ら」って漢字があててあった。もっとちゃんとよんでれば最初っからわかってたことなんだな。でもまあ予想はまちがってなかったみたいだ。

ところで「きよら」っていうのはいまでもつかわれないことはない。っていっても文語だけど。たとえばシューベルトとかの《野バラ》の歌詞の翻訳で「きよらに咲ける」ってとこがある。この「きよら」は平安時代にはかんたんにいえば「うつくしい」っていう意味でつかわれた。だから「ちゅら」はこの意味をだいたいのこしてるってことになる。

ちなみに「ちゅらさん」っていう形容詞のいいきりのかたち(国文法でいう終止形)は「ちゅらさ+あん」からきてるらしいけど、「さ」は「たか」みたいに名詞をつくる語尾で、それに「あり」に対応する「あん」がついたものだ。つまり「きよらさ+あり」に対応してることになる。っていっても「きよらさ」なんてかたちは日本語にはなくて、あるのは「きよらかさ」だけど。

2007.12.14 kakikomi; 2010.12.20 kakinaosi

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