« 番組はじめの名のり「わたしが…」 | トップページ | サン・ジェルマン伯爵 »

イタリア語の歌とラテン語の詩の母音結合

イタリア語の歌にはちょっとした特徴があって、母音でおわる単語のあとに母音ではじまる単語がつづいて母音が連続すると、それをいっしょにして1音節としてあつかうことがおおい。そうすると、それにあてる音符も、のばしてうたうフレーズじゃなければ、ひとつになる。

たとえばヘンデルの《オンブラ・マイ・フ》(Ombra mai fù)に「cara ed amabile [カーラ エダマービレ]」ってとこがあるけど(「オンブラ・マイ・フ」:クセルクセースに愛されたプラタナス」)、ここには cara と ed に母音の連続がある。この部分の音節は全部で7つだから、そのまんまでいけば のばすフレーズがなけりゃ音符も7つになるはずだけど、じっさいには6つだ(最初にこの歌詞がでてくるとこ)。つまり6音節のあつかいになってるわけで、これは cara の -ra とつぎの e(d) がひとつに音節みたいになるからだ。二重母音みたいに発音されるっていえばいいだろう。

こういうふうにひとつの音節みたいに発音するのはそれそれが単独の母音のばあいだけとはかぎらない。二重母音のときもおんなじことになる。たとえばグルックの歌劇《オルフェーオとエウリディーチェ》(Orfeo ed Euridice、オルペウスとエウリュディケー)のなかのアリア「Che farò senza Euridice? [ケ ファロ センツァ エウリディーチェ]」(エウリディーチェをうしなって、わたしはどうしたらいいのだろう)で、senza と Euridice に母音の連続があるけど、Eu- のほうは二重母音だ。それでもここはひとつの音節になって三重母音みたいに発音される。だから -za Eu- でひとつの音符があてられてる。

イタリア語の歌でこういうことがおこるのは、そもそもイタリア語の詩におんなじことがあるからだ。オペラの台本とか歌の歌詞はたいてい散文じゃなくて詩だから、それに曲をつけるばあいも、もともとの詩の韻律とか音節のわけかたがもとになるのは当然だろう。母音がつづいたら全部が全部ひとつの音節みたいになっちゃうわけじゃないけど、歌でそうなってるものは、もともとの詩でもそういうあつかいになってるはずだ。

おんなじようなことがラテン語の詩にもある。イタリア語はラテン語が変化してできたことばだから、ラテン語はイタリア語の古文なんだけど、イタリア語の詩のこういうとこはラテン語以来の感覚なのかもしれない。

オルフェーオ:オルフェオ。 オルペウス:オルフェウス。 エウリュディケー:エウリュディケ。

関連記事
 ・「オンブラ・マイ・フ」:クセルクセースに愛されたプラタナス

2008.02.11 kakikomi

|

« 番組はじめの名のり「わたしが…」 | トップページ | サン・ジェルマン伯爵 »