カタカナがきがおかしいヘブライ語の用語
精神世界関係の翻訳本で、ときどき「マカバ」っていうのをみかける。「マーカバ」っていうのもみたことがある。これもか、って感じなんだけど、ヘブライ語の用語も例によって英語よみしちゃってる。
ヘブライ語で「מרכבה〔merkābhā〕[メルカーバー]」(馬車、戦車)っていうのは、旧約聖書の『エゼキエル書』にでてくる神の車のことで、神の玉座ともいえる。このことばはいまのヘブライ語だと「(イスラエル製)重戦車」のことだったりもするんだけど、英語だと「Merkabah」ってかいてあるんだろう。で、これを英語よみして「マカバ」なわけだ。
でも、このことばはけっこうまえから日本にも紹介されてて、30年ぐらいまえにでたユダヤ思想の本でもちゃんと「メルカバ」になってる。それに、いまいろいろでてるユダヤ思想の本だって「メルカーバー」「メルカバー」「メルカバ」ってかいてある。それをなんでつかわないのかな。英語よみでかたづけて しらべなかっただけなのか、そもそもこういう本にでてる「メルカーバー」「メルカバー」「メルカバ」とは関係ないもんだとでもおもったのか、どうなんだろ。
ヘブライ語の用語っていうと、西洋の儀式魔術〔典礼魔法〕の本にはいっぱいでてくる。そのなかに「アイン・ソフ」っていうのがあるんだけど、これはヘブライ語で「אין סוף〔᾿ên sôph〕[エーン・ソーフ]」(無限のもの)で、ユダヤ思想の本なんかだとちゃんと「エーン・ソーフ」「エン・ソフ」になってる。でも、魔術の本だとたいてい「アイン・ソフ」だ。
これは翻訳の問題だけじゃなくて、原書のせいでもある。この手の本にはほとんど「Ain Soph」ってかいてあるから、そのまんま「アイン・ソフ」にしてるわけで、翻訳がまちがってるわけじゃない。「אין〔᾿ayin〕[アイン]」(無)は単独だとこのとおり「アイン」なんだけど、「אין סוף〔᾿ên sôph〕[エーン・ソーフ]」みたいになると、「אין〔᾿ên〕[エーン]」にかわる。母音記号をつけないと、つづりとしてはおんなじだからちょっとややっこしい。「Ain Soph」っていうのはヘブライ語としてはまちがってるはずだけど、西洋魔術の用語としては、どうもこのかたちでひろまっちゃったらしい。ただしなかには、原文が「Ein Soph」になってるのに翻訳のほうは「アイン・ソフ」にしてるのもある。その本は魔術の本じゃないんだけど、とかくに原文でせっかく「Ein」になおしてるっていうのに、わざわざまちがった「アイン」にしちゃうとは…。
おんなじ分野の用語で「ティファレト」っていうのもある。これはヘブライ語で「תפארת〔tiph᾿ereth〕[ティフエレト]」(うつくしさ)だから、「ティファレト」じゃおかしいはずだけど、これも翻訳のまちがいじゃなくて、原書が「Tiphareth」だからそのまんまうつしただけだ。これもなぜかこのかたちでひろまってる。
ユダヤ神秘思想を代表する本に『ゾハール』(Zohar)っていうのがある。『光輝の書』とかいったりしてるけど、この「ゾハール」はヘブライ語で「זהר〔zōhar〕[ゾーハル]」(ひかり、かがやき)だ。だから、『ゾーハル』ってかいてる本もあるけど、数としては『ゾハール』のほうがおおいだろう。『ゾハル』っていうのもある。でも、これはまちがいっていうのとはちょっとちがう。
『光輝の書』が世にあらわれたのは13世紀すえだから(かいたのは2世紀のひとっていう伝承がある)、そのことをかんがえれば、古代のヘブライ語の発音じゃなきゃいけないってことはないだろう。「ゾーハル」は古代の発音で、「ゾハール」は現代の発音だ。だから、どっちにするかはかんがえかたによる。
ついでに、もうひとつ。これは用語っていうんじゃないかもしれないけど、ある本に「エィヤ・アシャー・エィヤ」っていうのがでてきた。この本には「マカバ」もでてくるし、ヘブライ語じゃないけど、「チリオコスモ」とか「シビタス・デイ」っていうのもある。ついでにいうと、この本はそもそも翻訳そのものが日本語としてよくわかんない。
「チリオコスモ」(Chiliocosm)はギリシャ語の「χιλιόκοσμος〔khîliokozmos〕[キーリオコズモス]」(千の宇宙)だろうけど、こういう造語が実際にギリシャ語としてつかわれてたのかどうかはわからない。古典ギリシャ語のいちばんおおきな辞書にはのってないから、古典には用例がないみたいだ。で、英語で「Chiliocosm」になってるわけだけど、語尾がないのは、「μικρόκοσμος〔mîkrokozmos〕[ミークロコズモス]」(小宇宙、ミクロコスモス)が英語で「microcosm[マイクロコズム]」になってるのとおんなじことだろう。でも、「チリオコスモ」っていうのは英語よみとしてもおかしい。「コスモ」の部分が「コズム」じゃないのはいまは問題にしないとして、ギリシャ語起源のことばなのに「ch」のよみかたがちがう。「character」みたいなギリシャ語起源のことばの「ch」は[k]って発音する。だから、これは英語よみなら「キリオコズム」みたいになるだろうし、後半を「コスモ」にするんなら「キリオコスモ」だ。
「シビタス・デイ」(Civitas Dei)はラテン語で「キーウィタース・デイー」(神の都市)だけど、これも英語よみだ。でも、ラテン語の用語を日本語に訳すときに英語よみをうつさなくたっていいだろうに。
はなしをもどして、「エィヤ・アシャー・エィヤ」(Ehyeh Asher Ehyeh)だけど、これもヘブライ語なのに一種の英語よみだ。本によっては「エイァ・アシャー・エイァ」とか「アヘィァ・アッシャー・アヘィァ」になってるのもある。これはヘブライ語だと「אהיה אשר אהיה〔᾿ehye ašer ᾿ehye〕[エヒイェ・アシェル・エヒイェ]」で、旧約聖書の『出エジプト記』第3章第14節にでてくる。カタカナならこのとおり「エヒイェ・アシェル・エヒイェ」がいいはずだ。神がモーセに自分の名まえを名のるとこだけど、新共同訳だと「わたしはある。わたしはあるという者だ」、口語訳だと「わたしは、有って有る者」って訳になってる。英語の代表的な訳は「I am that I am」で、七十人訳(セプトゥアギンタ)は「ἐγώ εἰμι ὁ ὤν.〔egô ēmi ho ôn.〕[エゴー・エ~ミ・ホ・オーン]」って訳してる(これを英語に直訳すれば「I am the being.」になるだろう)。
この本には古代の用語をつかう理由を説明してるとこがある。それによると、古代の表現は、それに関係するマスターたちにいまでもつながってるし、それを現代のことばにおきかえると、そのことばのちからを直接体験することができなくなる、ってことらしい。このことからすると、古代の用語を英語よみするのだって、現代のことばに翻訳するのとはちがうにしても、やっぱりその用語のちからをそこなうことになるんじゃないのかな。それとも、そうじゃないのかな。だとしても、カタカナがきするのに英語よみをもとにする理由はやっぱりないとおもうんだけど。
最後にもうひとつ、これは名まえだけど、イエス・キリストのことを「ジョシュア・ベン・ジョセフ」ってかいてる本があった。原文は「Joshua ben Joseph」なんだろうけど、けっきょくヘブライ語のなまえを英語よみしてることになってる(ただし「Joshua」「Josoph」は英語のかたちだけど)。これは「ヨセフのむすこヨシュア」ってことで、ここにでてくるふたつの名まえは日本語訳の聖書だとこういうふうに「ヨシュア」「ヨセフ」だから、それにならうとすればこの名まえは「ヨシュア・ベン・ヨセフ」になるだろう。「ヨシュア」はギリシャ語だと「Ἰησοῦς〔Iêsûs〕[イエースース]」で、それがもとになって西洋語経由で日本語の「イエス」になった(→「賛美歌の2音節の「イエス」」)。
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