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『エゼキエル書』の「ロシ(ローシュ)」

旧約聖書の『エゼキエル書』第38章第1節から第6節は新共同訳だとこうなってる。

主の言葉がわたしに臨んだ。「人の子よ、マゴグの地のゴグ、すなわちメシェクとトバルの総首長に対して顔を向け、彼に預言して、言いなさい。主なる神はこう言われる。メシェクとトバルの総首長ゴグよ、わたしはお前に立ち向かう。わたしはお前を立ち帰らせ、お前の顎に鉤をかけて、お前とその全軍、馬と騎兵を連れ出す。彼らは皆完全に武装した大集団で、大盾と小盾を持ち、皆剣を持っている。ペルシア、クシュ、プトが彼らと共におり、皆、盾を持ち、兜をかぶっている。ゴメルとそのすべての軍隊、北の果てのベト・トガルマとそのすべての軍隊、それに多くの国民がお前と共にいる。

それから第39章第1節にもだいたいおんなじ文章がでてくる。

人の子よ、あなたはゴグに向かい預言して言いなさい。主なる神はこう言われる。メシェクとトバルの総首長ゴグよ。わたしはお前に立ち向かう。

ここは有名なゴグの預言のとこで、ゴグが北の民族をひきいてイスラエルにせめてくるってことなんだけど、おんなじとこを文語訳でみると(漢字は新字体になおして、必要だとおもわれるふりがなだけのこした)、第38章のほうは、

ヱホバのことば我にのぞみて言ふ 人の子よロシ、メセクおよびトバルのきみたるマゴグの地の王ゴグに汝のかほをむけこれにむかひて預言し いふべし主ヱホバかくいひたまふロシ、メセク、トバルの君ゴグよ視よ我なんぢを罰せん 我汝をひきもどし汝のあぎとかぎをほどこして汝および汝のすべての軍勢と馬とその騎者のりてひきいだすべしこれみなその服粧いでたちに美を極め大楯おほだて小楯こだてをもちすべつるぎる者にして大軍なり ペルシヤ、エテオピアおよびフテこれとともにあり皆楯とかぶとをもつ ゴメルとその諸の軍隊北のはてのトガルマのやからとその諸の軍隊など衆多おほくの民汝とともにあり

第39節は、

人の子よゴグにむかひ預言して言へ主ヱホバかく言たまふロシ、メセク、トバルの君ゴグよ視よ我汝を罰せん

っていうふうになってて、新共同訳とはちょっとちがいがある。新共同訳の「主なる神」が文語訳で「主ヱホバ」になってるとか そのあたりのことは、なにもここだけのことじゃないから いいとして、おおきなちがいは、新共同訳の「メシェクとトバルの総首長」(3か所ある)が文語訳だと「ロシ、メセクおよびトバルの君」「ロシ、メセク、トバルの君」になってることだ。つまり新共同訳には「ロシ」っていうのがない。

とりあえず、ほかの翻訳をみてみると、口語訳は「メセクとトバルの大君」、新改訳は「メシェクとトバルの大首長」、『旧約聖書 エゼキエル書』(関根正雄訳、岩波文庫)は「メシェクとトバルの大君」、『旧約聖書Ⅸ エゼキエル書』(月本昭男訳、岩波書店)は「メシェクとトゥバルのかしらである指導者」で、新共同訳とだいたいおんなじだ。つまり、「ロシ」っていうのがあるのは文語訳だけってことになる。

このあたりのことについて、『世界はここまで騙された』(コンノケンイチ著、徳間書店)っていう本にはおもしろいことがかいてある。まず、日本で最初に訳されたっていう旧約聖書『エゼキエル書』の第38章第1節から第3節のはじめまでを引用して、

 これは日本で最初(明治19年)に訳された旧約聖書『以西結[エゼキエル]書』(註/横浜市立図書館に所蔵されて、閲覧できる)38章―1以降に述べられているが、そこには現代訳の聖書にはないロシという表現が使われている。もちろん「ロシ」とは「ロシア」のこと

っていってる。そこに引用してある聖書は、いま日本聖書協会からでてる文語訳とほとんどおんなじものだから、「ロシ」っていうのがでてくるのをたしかめるのに、この本にかいてあるみたいに、わざわざ横浜市立図書館までいく必要はない。で、このゴグの預言についてこの本にはこうかいてある。

 マゴグは、コーカサス山脈の北方にあるシシアンの地で、メセクはモスクワの語源、トガルマはシベリア諸民族の祖先であり、トバルは黒海沿岸の地方を指す。エテオピアは現在のエチオピア、フテとは北アフリカのリビアのことである。(…中略…)ペルシャは現在のイランとイラクを含む地域である。
 (…中略…)
 近未来のある日、ブッシュが「悪の枢軸国家」と呼んだロシア軍に率いられたイラン、イラク、エチオピア、リビア、シリア、中国と北朝鮮の連合軍が、怒濤のごとくイスラエルに侵攻すると予言しているのだ。(…中略…)
 そのポイントとなる「ロシ」という言葉は、現代版の聖書には抜け落ちている。あまりにもリアルで、刺激が強すぎるので抹消されたという。

たしかに文語訳以外の日本語訳には「ロシ」はないわけだけど(もっといろいろさがせば、あるかも?)、それはほんとにここでいってるような理由なのかな。

「メシェクとトバルの総首長」(新共同訳)ってとこのヘブライ語の原文をみてみると、

נשיא ראש משך ותבל
 nəśî rōš mešekh wə-thubhāl
 ネスィー ローシュ メシェク ウェ・トゥバール

で、ここには ראש rōš [ローシュ]っていうのがちゃんとにある。文語訳はこれを「ロシ」って訳してるわけだ。なら、文語訳以外はこの「ローシュ」をわざっと無視してるのかっていうと、べつにそういうわけじゃない。

ヘブライ語の ראש [ローシュ]は普通名詞としては「あたま」って意味がある。文語訳以外は、この単語を固有名詞じゃなくて普通名詞として解釈して、そのまえの נשיא nəśî [ネスィー]とむすびつけて訳してる。文語訳はただ「君」だけど、新共同訳は「首長」、口語訳は「君」、新改訳は「首長」、関根訳は「君」、月本訳は「頭[かしら]である指導者」で、「ロシ」がないかわりに「君」「首長」「指導者」のまえに「大」「総」「かしら」をつけて訳してるわけだ。つまりこのふたつのちがいは原文の解釈のちがいだ。

もちろんこういうことがあるからって、「ロシ」がない理由がロシアを連想させて「あまりにもリアルで、刺激が強すぎるので抹消された」ってこととはちがう、とはいいきれないかもしれない。「ローシュ」を普通名詞として解釈する理由として、ロシアを連想させることばをかくしたいからってこともありえるかもしれないんだから。ただ、べつの根拠だってあるだろうから、「ロシ」がない翻訳だからって、そう訳した理由がロシアにあるなんてことをきめつけることもできないだろう。

ところで、この部分の外国語の訳がどうなってるのかしらべてみると、これがまたどっちもある。古代の訳でも、ギリシャ語の七十人訳(セプトゥアギンタ)は ἄρχοντα Ρως, Μοσοχ καὶ Θοβελ [アルコンタ ロース、モソク カイ トベル]で、「ローシュ」を固有名詞にしてるのに対して、ラテン語のウルガタは principem capitis Mosoch et Thubal [プリンチペム カピティス モソク エト トゥバル(ローマ式発音)]で、普通名詞の「かしら」にしてる。それから英語訳とかドイツ語訳とかフランス語訳をみると、これもまちまちで、とくに現代の翻訳が「ローシュ」を普通名詞にしてロシアをかくそうとしてるとはおもえない。それと当のロシアじゃどうなってるかっていうと、ロシア語訳の「宗務院版」は князю Роша, Мешеха и Фувала と князь Роша, Мешеха и Фувала で、「ローシュ」は固有名詞として Роша (Roša)になってる。

2008.04.14 kakikomi

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