カタカナがきがおかしいサンスクリット語の用語
精神世界関係の本にはサンスクリット語起源の用語がけっこうでてくるけど、英語よみなんだか、ローマ字よみなんだか、けっこう不正確なカタカナがきがおおい。翻訳するときにちゃんとしらべないもんなのかな。これについては、いままでにもかいたことがあるけど(→「雑誌「Yogini」」「クンダリニーとチャクラ」)、ほかの例もいくつかみてみることにする。
まず目につくのは「ヨガ」だけど、これはもうこの分野にはかぎらない。これは正確には「ヨーガ」だ。もう「ヨガ」で日本語になっちゃってるっていわれればそれまでかもしれないけど、「ヨーガ」だってつかわれてるんだから、「ヨガ」じゃなきゃいけないってこともないだろう。そういえば、「ヨガ」だとインドの雄大な感じがでない、なんていってるひとがいたっけ。
このことばはサンスクリット語だと「योग〔yoga〕[ヨーガ]」だけど、これが「ヨガ」になっちゃったのは、ギリシャ語・ラテン語のカタカナがきみたいに、ただ母音のながさを無視しただけなのかな。ローマ字がきには「o」のうえに母音をのばす記号がついてないけど、サンスクリット語には ながい「オー」しかないから、のばす記号はつけない習慣になってる。英語で「yoga」ってかくから、これをみてローマ字よみで「ヨガ」にしちゃったのかもれしない。でも、英語の発音としては[ヨウガ]だから、それをもとにしたら、カタカナで「ヨーガ」になってもおかしくないのに。
「ヨーガ」はむかし仏教用語として日本語にはいってきてるんだけど、そのときは漢字で「瑜伽[ゆが]」だった。ややっこしいことに、「ユガ」っていうと、これはこれでサンスクリット語起源の用語があって、世界を4つの時期にわけたそれぞれの時代のことだ。サンスクリット語で「युग〔yuga〕[ユガ]」、英語で「yuga[ユガ]」っていってる。最初は黄金時代で「クリタ・ユガ」(कृतयुग〔kṛta-yuga〕[クルタ・ユガ])とか「サティヤ・ユガ」(सत्ययुग〔satya-yuga〕[サッテャ・ユガ])っていって、このあとだんだんわるい時代になってく。つぎの時代は「トレーター・ユガ」(त्रेतायुग〔tretā-yuga〕)、そのつぎが「ドワーパラ〔ドヴァーパラ〕・ユガ」(द्वापरयुग〔dvāpara-yuga〕[ドワーパラ・ユガ])、さらにそのつぎが「カリ・ユガ」(कलियुग〔kali-yuga〕[カリ・ユガ])っていう暗黒時代になる。いまがその「カリ・ユガ」なんだけど、伝統的なヒンドゥー教とはちがうかんがえかたによると、カリ・ユガはもうおわったらしい。
ヨーガ行者のことは「ヨギ」とかいうけど、これも正確には「ヨーギー」だ。英語としては「yogi[ヨウギ]」になる。サンスクリット語だと「योगी〔yogī〕[ヨーギー]」でこれは主格のかたちだ。語幹のかたちなら「योगिन्〔yogin〕[ヨーギン]」だから、「ヨーギン」「yogin」っていうのもみかけることがある。女のヨーガ行者「ヨーギニー」については「雑誌「Yogini」」にかいた。
インドの行者っていえば、「サドゥー」っていうのもよくみるけど、これはサンスクリット語で「साधु〔sādhu〕[サードゥ]」だから、のばすとこが逆だ。カタカナがきは「サードゥ」じゃなきゃおかしい。英語だと「sadhu[サードゥー]」っていってる。
にたような例として「グルー」っていうのもある。これはサンスクリット語で「गुरु〔guru〕[グル]」だから、最後はのばさないで「グル」になる。英語だと「guru[グルー/グールー/グアルー]」だから、これも英語よみなんだろう。宗教の導師のことだ。
「サマディー」っていうのもみかける。サンスクリット語で「समाधि〔samādhi〕[サマーディ]」(くみあわせ、結合、めい想、精神集中)だから、のばすとこがちがう。英語で「samadhi」ってかくけど、英語でも[サマーディ]ってよむから、これは英語よみってわけじゃなさそうだけど、なんでこうなんだ? あるテレビ番組で、インド人が「サマーディ」っていってる VTR をながしてるそばから、字幕には「サマディー」ってでてたっけ。この「サマーディ」は仏教用語として漢字にうつされて「三昧[さんまい]」とか「三摩地[さんまじ]」なった。意味を訳した「定[じょう]」っていうのもある。とくに「三昧」は仏教用語っていうんじゃなくて「ナントカ三昧[ざんまい]」っていうふうにつかわれてる。
「シディー」っていうのをみたこともある。「siddhi」を英語ふうによんだんだろう。サンスクリット語で「सिद्धि〔siddhi〕[スィッディ]」(達成、成功、完成、成就)だから、カタカナにすれば「シッディ」のはず。英語とかだと子音字がかさなっててもふたつ分にはよまないけど、日本語にはちいさい「ッ」があるんだから、それを無視することはないだろう。それに、最後の母音はのびない。どうして、のばすとこをのばさないで、のばさないとこをのばすのかな。これは超能力とか神通力のことで、仏教用語の「悉地[しつじ]」として日本語にはいってきてる。こういう能力を獲得した行者のことを「सिद्ध〔siddha〕[スィッダ]」っていうけど、「シディー」とおんなじかきかたの「シダー」っていうのをみたことがある。これもちゃんとかけば「シッダ」のはずだ。
「デワ」とか「デヴァ」っていうのもみることがある。これは神話にでてくるような神がみのことで、中国から日本にはいってきた仏教用語だと「天」って訳してる。「ボン〔梵〕天」「ビシャモン〔毘沙門〕天」「日天[にってん]」「月天[がってん]」とかの「天」だ。これはサンスクリット語で「देव〔deva〕[デーヴァ]」だから、「デーワ」とか「デーヴァ」じゃないとおかしい。もちろんこうかいてるものもある。「o」とおんなじで、サンスクリット語の「e」はながい「エー」しかないから、ローマ字がきのとき母音をのばす記号をつけない。英語だと「deva[デイヴァ]」になる。
「ヴェーダンタ」っていうのもけっこうみかけることがある(「ヴェダーンタ」っていうのもあったかな?)。これはインド哲学の一派のことだけど、サンスクリット語で「वेदान्त〔vedānta〕[ヴェーダーンタ]」だから、カタカナにするなら「ヴェーダーンタ」とか「ベーダーンタ」だろう。英語のなかにでてくると「Vedanta」っていうふうに母音をのばす記号をつけないことがおおいから「ダ」をのばさなかったのかな。英語の発音は[ヴェダーンタ]なんだけど。
「ナディ」も母音をのばしてない。霊的な“からだ”にある脈管のことで、サンスクリット語で「नाडी〔nāḍī〕[ナーディー]」だから、ちゃんとかけば「ナーディー」だ。
「アンタカラナ」っていうのもある。「アンターカラナ」っていうのもあったかもしれない。英語の文章のなかだったら「antahkarana」ってかいてあるだろう。サンスクリット語で「अन्तःकरण〔antaḥkaraṇa〕」だから、この「ḥ」の発音がちょっと問題だけど、カタカナがきなら「アンタフカラナ」より「アンタッカラナ」のほうがいいんじゃないかな。「antaḥ」だけだったら「アンタハ」だけど、すぐに「k」がつづいてるから、「ḥ」は発音記号でいうと[x]みたいに音になる。この「アンタッカラナ」はそのまんま訳せば「内部器官」ってことで、ふつうの意識とたましいをつなぐ霊的な器官のことだ。これが「アンタカラナ」だったら、「अन्तकरण〔antakaraṇa〕[アンタカラナ]」(死をもたらす、破壊的な)っていうことばがべつにあるんだから、ちょっと問題だろう。なかには「アンタカルナ」なんていうのもあるんだけど、これって原文が「-karna」になってたのかな。それから、英語の原文で「h」がなくなって「antakarana」なんてつづりになってるのもあるみたいで、このばあいは「アンタカラナ」になっちゃうのもムリはないけど…。
「ストラトマ」、これは「sutratma」ってかいてあったからこうなっちゃったんだろう。サンスクリット語で、語幹のかたちだと「सूत्रात्मन्〔sūtrātman〕[スーットラートマン]」で、主格単数のかたちだと「सूत्रात्मा〔sūtrātmā〕[スーットラートマー]」だから、英語にでてくるのは2番目のほうをうつしたんだろう。だから、「スートラートマー」ってかくほうが正確だ。「いのちの糸」とか「シルバー・コード」っていわれることもある。
「マハトマ」、これは「マハトマ・ガンジー」の「マハトマ」でもあるけど、サンスクリット語で、語幹のかたちだと「महात्मन्〔mahātman〕[マハートマン]」で、主格単数のかたちだと「महात्मा〔mahātmā〕[マハートマー]」だから、正確には「マハートマー」ってことになる。名詞なら「最高霊」「宇宙我」「根本原理」、形容詞なら「偉大なたましいをもってる」っていう意味だ。形容詞の名詞としてのつかいかたで「偉大なたましいをもってるひと」ってことにもなる。「マハトマ・ガンジー(マハートマー・ガーンディー)」っていうばあいはこの意味だ。
「アカシャ」っていうのもみかける。これだと花のアカシアとまぎらわしい感じがしないでもない。サンスクリット語で「आकाश〔ākāśa〕[アーカーシャ]」だから、カタカナだって「アーカーシャ」にしたらいい。英語としても「akasha[アーカーシャ]」なんだし。これは、ヨーロッパふうにいえば「エーテル」ともいえるし、「虚空[こくう]」って訳したり、思想によっては「空間」のことだったりする。それとか、宇宙の記憶っていうか、すべてのできごとが記録されてる“場”のことを「アカシック・レコード(Akashic record)」とかいうけど、これは英語のまんまじゃなくて「アーカーシャ記録」って訳せばいいとおもう。ちなみに、シュタイナーは「アーカーシャ年代記(Akasha-Chronik)」っていってる。
「マヤ」「マーヤ」っていうのもある。「マヤ」じゃ「マヤ文明」みたいだ。これはサンスクリット語で「माया〔māyā〕[マーヤー]」だから、カタカナがきだって「マーヤー」だろう。英語で「maya[マーヤー/マーヤ]」だから、つづりだけみてローマ字よみで「マヤ」にしたか、ちょっと発音をしらべて、英語の一方の発音をうつしたか、不正確にうつして「マーヤ」ってことになったんだろう。「幻術、まぼろし」とかいう意味で、現象の世界のことをまぼろしだっていうわけだけど、現象をつくりだす神のちからのことでもあるし、女神だったりもする。
「リラ」「リーラ」、これはサンスクリット語で「लीला〔līlā〕[リーラー]」だから、これじゃ不正確だ。英語で「lila[リーラー]」だけど、例によってローマ字よみで「リラ」にするとか、発音をしらべても不正確にうつして「リーラ」になったんだろう。「リーラー」っていうのは「あそび」って意味で、宇宙の創造とか破壊とか、そういう現象はみんな神のあそびだっていう思想をいってる。
「カマロカ」っていうのもみたことがあるけど、「kamaloka」ってかいてあるからって、ただのローマ字よみ? これは「कामलोक〔kāmaloka〕[カーマローカ]」だから、「カーマローカ」にしないと、「ハリー・ポッター」を「ハリポタ」って略すみたいな感じになっちゃう。仏教でいう「欲界[よっかい]」のことだけど、だいたい幽界みたいな感じでつかわれてる。複合語だから「カーマ・ローカ」っていうふうに点をいれてもいいだろう。
「マンヴァンタラ」、これはたしかに「manvantara」ってかいてあるから、こうなっちゃうのもしかたないけど、サンスクリット語の子音のあとの「v」は[w]みたいな音だから、とりあえず「マヌワンタラ」とでもしたほうがいいとおもう。でも、この「मन्वन्तर〔manvantara〕[マンヌヮンタラ]」は、「मनु〔manu〕[マヌ]」+「अन्तर〔antara〕[アンタラ]」だから、「マヌ・アンタラ」ってかいてるひともいる。これがいちばんいいかもしれない。「マヌ期」っていう訳もある。ヒンドゥー教の宇宙観で、宇宙の周期のなかの一時期をあらわすことばだ。
ヒンドゥー教の僧侶の名まえに「スワミ」っていうのがついてたりするけど、これは「स्वामी〔svāmī〕[スワーミー]」だから、「スワーミー」のほうが正確だ。
聖者とかの名まえのまえについてる「スリ」とか「シュリ」も、「श्री〔śrī〕[シュリー]」なんだから、「シュリー」がいい。女神の名まえでもある。「スリ」になっちゃうのは、英語で「sri」ってかいて記号をつけないからだろう。「shri」ともかくけど、英語の発音としてはどっちのつづりでも[スリー]と[シュリー]があるみたいだ。
「ś」がでてくる例はほかにもある。ヒンドゥー教の神の名まえで「शिव〔Śiva〕[シヴァ]」っていうのがあるけど、これが英語だと記号なしで「Siva」ってかかれることがある。それでも[シーヴァ]ってよむんだけど、[スィーヴァ]って発音もあることはある。つづりからすればこうよみたくなるのは当然だろう。もっとも「Shiva」っていうつづりもあって、これは[スィーヴァ]とはよまないみたいだ。ただ、どっちのつづりでも、カタカナにすると、わざわざ「スィ」なんてことにしなければ最初が「シ」になるから、問題はおこらない。もちろん、英語で[シーヴァ]だからって、もともとながくない母音をのばす必要はないから、カタカナなら「シヴァ」とか「シバ」でいい。
有名な思想家「シャンカラ(शङ्कर/शंकर〔Śaṅkara/Śaṃkara〕)」の名まえにも「ś」がある。これを英語で「Shakara」とも「Sankara」ともかくけど、翻訳書に「サンカラ」っていうのをみかけた。原文が「Sankara」だったんだろう。でも、おおきい英語の辞書ならこの名まえはでてるんだし、訳すときにしらべなかったのかな。
「サナト・クマラ」「サナート・クマラ」っていう名まえもけっこうみるけど、この名まえはインド神話にでてきて、サンスクリット語で「समत्कुमार〔Sanatkumāra〕[サナト・クマーラ]」だから、のばすのは「クマーラ」のとこだ。「サナト・クマーラ」はことばの意味として「永遠の少年」ってことで、神話だとブラフマー(ब्रह्मा〔Brahmā〕)っていう神のこころからうまれた4人のむすこのひとりだけど、この分野にでてくるはなしとしては、おおむかしに金星から地球にやってきた存在のことをいってる(最近金星にかえったらしい)。地球にきたとき、まずは鞍馬山におりたっていうはなしもある(これによると鞍馬はクマーラがなまったものらしい)。
そういえば、ブラフマーのこころからうまれたむすこのひとりに「サナンダ/サナンダナ」(सनन्द〔Sananda〕/सनन्दन〔Sanandana〕)っていうのがいるけど、イエス・キリストの別名(またはイエスの高次の意識体の名まえ)としてよくでてくる「サナンダ」っていうのはこれなのかな。
ところで、こういう問題のあるカタカナがきは、すこしまえの翻訳書にはすくなかったようにおもう。明治時代の翻訳なら英語よみもしょうがなかったけど、いまになってまたこんなことになってるのはなんなんだろ。この分野の翻訳書がふえてるっていうのも関係あるのかな。こういうのを訳してるひとは、アメリカに留学してたり、著者のセッションの通訳をしたりとか、英語に堪能なひとみたいだけど、とくにこの分野の翻訳のばあい、英語の知識だけじゃ…。
それから、翻訳者が著者に用語の発音をといあわせることもあるみたいだけど、英語以外の用語についてアメリカ人とかイギリス人なんかに といあわせてもしょうがないとおもう。どうせ英語よみをおしえられるか、不正確な発音をおしえられるのが関の山だろう。じっさい、著者に発音をといあわせたって「あとがき」にかいてある本をみると、そんな感じになってる。だいたい、発音のことは著者なんかにきかなくたって、日本にいてもちゃんとしらべられるんだし、サンスクリット語の発音にしても、インドまでいかなきゃいけないわけでもない。
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