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VENI・VIDI・VICI (きた・みた・かった)

ユーリウス・カエサル(英語で「ジュリアス・シーザー」)はエジプトを平定して、しばらくクレオパトラとすごしたあと、紀元前47年、小アジアに軍をすすめて、ゼーラのたたかいでポントス王国の軍をやぶった。このことをしらせたのが有名な「VENI・VIDI・VICI[ウェーニー・ウィーディー・ウィーキー]」(きた・みた・かった)っていうことばだ。

プルータルコス〔プルタルコス〕の『対比列伝』(プルターク英雄伝)の「カエサル」50にはこうかいてある。

καὶ τῆς μάχης ταύτης τὴν ὀξύτητα καὶ τὸ τάχος ἀναγγέλλων εἰς Ῥώμην πρός τινα τῶν φίλων Μάτιον ἔγραψε τρεῖς λέξεις· «ἦλθον, εἶδον, ἐνίκησα.» Ῥωμαϊστὶ δ᾿ αἱ λέξεις, εἰς ὅμοιον ἀπολήγουσαι σχῆμα ῥήματος, οὐκ ἀπίθανον τὴν βραχυλογίαν ἔχουσιν.

kai tês makhês tautês tên oxytêta kai to takhos anangellôn ēs Rhômên pros tina tôn philôn Mation egrapse trēs lexēs: «êlthon, ēdon, enîkêsa.» Rhômaïsti d' hai lexēs, ēs homoion apolêgûsai skhêma rhêmatos, ûk apithanon tên brakhylogiân ekhûsin.

そのたたかいがはげしく、そしてすみやかにおわったことをつたえようと、ローマにいる友人のひとりマティウスに「きた、みた、かった」という3つのことばをカエサルはかきおくった。これらのことばはラテン語だとおなじ活用語尾でおわっていて、非常に説得力のある簡潔ないいまわしになっている。

これはギリシャ語の作品だから、カエサルのことばもギリシャ語に訳してあって、「ἦλθον, εἶδον, ἐνίκησα.〔êlthon, ēdon, enîkêsa.〕[エールトン、エ~ドン、エニーケーサ]」になってる。だから、そのあとにラテン語だとどういう感じかっていうのを説明してるわけだ。

プルータルコスによると、このことばは友だちにかきおくった文章なんだけど、スエートーニウス〔スエトニウス〕の『ローマ皇帝伝』第1巻「ユーリウス」37だとはなしがちょっとちがってる。それによると、勝利をいわう行列でこのことばをかいたものをかかげて行進したらしい。これは、どっちがほんとかっていうより、両方とも事実ってこともありえるとおもう。まずは、友だちにしらせて、そのあと、そのおんなじことばを勝利の行進にもつかったのかもしれないんだから。

ラテン語の「veni[ウェーニー]」「vidi[ウィーディー]」「vici[ウィーキー]」は、プルータルコスがいってるように、おんなじ語尾でおわってる。それにおんなじ音ではじまってもいる。これはみんな動詞の完了形の1人称・単数で、辞書にのってるかたち(直説法・現在・1人称・単数)はそれぞれ、「venio[ウェニオー]」(くる)、「video[ウィデオー]」(みる)、「vinco[ウィンコー]」(かつ)だ。

ギリシャ語訳は完了形じゃなくてアオリスト(不定過去)になってる(ラテン語の完了形は、完了とアオリストがひとつになったもの)。辞書にのってるかたち(直説法・現在・1人称・単数)はそれぞれ、「ἔρχομαι〔erkhomai〕[エルコマイ]」(くる)、「ὁράω〔horaô〕[ホラオー]」(みる)、「νικάω〔nîkaô〕[ニーカオー]」(かつ)で、最初のふたつはほんとの不規則変化だ。ラテン語もちょっと不規則な変化をしてるけど、“ほんとの”不規則動詞じゃない(→「不規則動詞」)。ついでにいうと、ラテン語の「video[ウィデオー]」(みる)とギリシャ語の「εἶδον[エ~ドン]」(みた)はおんなじ語源のことばだ。

プルータルコスは「非常に説得力のある簡潔ないいまわし」だっていってるけど、つよい印象をあたえる理由のひとつとして、接続詞がないことがあげられるだろう。カエサルはとうぜん弁論術についてもしってただろうから、このいいまわしは意識的なものだとおもう。

アリストテレース〔アリストテレス〕の『弁論術』第3巻第12章(1413b)にはこんなことがかいてある。

ἔτι ἔχει ἴδιόν τι τὰ ἀσύνδετα· ἐν ἴσῳ γὰρ χρόνῳ πολλὰ δοκεῖ εἰρῆσθαι· ὁ γὰρ σύνδεσμος ἓν ποιεῖ τὰ πολλά, ὥστ᾿ ἐὰν ἐξαιρεθῇ, δῆλον ὅτι τοὐναντίον ἔσται τὸ ἓν πολλά. ἔχει οὖν αὔξησιν·

eti ekhē idion ti ta asyndeta; en isôi gar khronôi polla dokē ērêsthai; ho gar syndezmos hen poiē ta polla, hôst' eân exairethêi, dêlon hoti tûnantion estai to hen polla. ekhē ûn auxêsin:

さらに接続詞のない文にはある特徴がある。おなじ時間のうちにたくさんのことがいわれているような印象をあたえるのである。なぜなら、接続詞によってたくさんのことがひとつになるので、接続詞をとりさると、あきらかにそれとは反対にひとつのものがたくさんのものになるからである。したがって、こういう文には はなしをおおきくする はたらきがある。

接続詞がない文章にはこういう特徴があるってことが、みじかい時間でおおきな勝利をおさめたっていう印象をあたえるのにちょうどよかったんだろう。それに、『弁論術』の最後のほう(1420b)には「弁論のむすびには接続詞のない文がふさわしい」ともかいてあるから、カエサルのこのことばは結論だけの文章ともいえる。くどくど説明しないで、ただ結論だけを簡潔にのべたってとこもつよい印象をあたえることになってるわけだ。

それから、『弁論術』第3巻第12章から引用した文章の前後には接続詞がない文の例がふたつでてくるんだけど、ふたつとも「ἦλθον[エールトン]」ではじまってて、カエサルのことばのギリシャ語訳とおんなじなのがちょっとおもしろい。カエサルにしても、プルータルコスにしても、アリストテレースのこの文章をしってたとしてもおかしくないだろう。そうじゃないとしても、弁論術をおそわったとき、アリストテレースの例文がつかわれたってこともかんがえられなくはない。

ところで、「VENI・VIDI・VICI」はカエサルを題材にした作品には当然よくつかわれてる。そのひとつとして、ヘンデルの歌劇《エジプトのジューリオ・チェーザレ〔ジュリアス・シーザー〕》(Giulio Cesare in Egitto、HWV 17、1724年初演)をみてみよう。これはイタリア・オペラだから、台本はイタリア語で、このことばもイタリア語になってる。

オペラのストーリーは紀元前48年9月から47年3月のことで、ゼーラのたたかいは47年8月のことだから、カエサルが「VENI・VIDI・VICI」ってかいたのは、ほんとはオペラのはなしのあとのことなんだけど、それでもカエサルのものがたりってことでこれを無理やりつかっちゃってる。第1幕第1場でまずエジプト人の合唱とカエサルのアリアがある。そのあとすぐカエサルのレチタティーボ〔レチタティーヴォ〕がつづくんだけど、その最初がこういうセリフだ。

Curio, Cesare venne, e vide, e vinse;
 クーリオ、チェーザレ・ヴェンネ、エ・ヴィーデ、エ・ヴィンセ。

クーリオーよ、カエサルはきた、そして みた、そして かった。

vennevidevinse

ここで「かった」っていってるのは、ポンペイユス〔ポンペイウス〕にかったことで、ゼーラのたたかいのことじゃない。で、もともとは接続詞がない文章なのに、ここにはちゃんと接続詞「e」(英語の「and」)があるし、主語の「Cesare[チェーザレ]」(カエサル)もある。それから、動詞はどれも遠過去の3人称・単数で、辞書にのってるかたち(不定詞)はそれぞれ、「venire[ヴェニーレ]」(くる)、「vedere[ヴェデーレ]」(みる)、「vincere[ヴィンチェレ]」(かつ)で、多少不規則な変化をしてる(ほんとの不規則じゃないけど)。

イタリア語の遠過去っていうのはだいたいギリシャ語のアオリストにあたるものだ。ラテン語の完了がイタリア語の遠過去になったんだけど、完了の意味はなくなった。イタリア語の完了形は、英語みたいに助動詞と過去分詞をつかういいかたになってて、近過去っていってる。ただし、近過去は英語の現在完了とちがって、ラテン語のもともとの完了みたいに過去の意味でもつかわれる。遠過去はいまじゃおもに かきことばで、はなしことばだと、アオリストにあたる過去としては近過去がつかわれるんだけど、地域による差もあって、イタリア北部は近過去、南部は遠過去っていうちがいがあった。ところが、ほかのいいまわしでもそうなんだけど、経済的にすすんでる北部の影響で、南部でも近過去がつかわれるようになってきてるらしい。このオペラで遠過去がつかわれてるのは、地域とかいうことじゃなくて、ふるい文章だからだろう。

オペラだと3人称・単数のかたちだけど、ラテン語の「veni[ウェーニー]」「vidi[ウィーディー]」「vici[ウィーキー]」にあわせて1人称・単数にするなら、「venni[ヴェンニ]」「vidi[ヴィーディ]」「vinsi[ヴィンスィ]」になる。こうしてみると語尾の「-i」はのこってるし(ながい母音じゃなくなってるけど)、ちかい関係だっていうのがよくわかるとおもう。


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