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活用する外来語

日本語の外来語はたいてい名詞としてはいってくる。それをべつの品詞としてつかうときには、動詞にするなら「する」をつけて「スタートする」みたいにするし、連体修飾につかうなら「な」をつけて「ラッキーな」っていうふうに、国文法でいう形容動詞(いわゆる形容動詞について」)にする。漢語も外来語だから(漢語は外来語」)、これとおんなじことで、やっぱる「する」「な」をつける。っていっても、どの外来語も「する」とか「な」をつけられるってわけじゃないけど。

で、ほとんどはこういうもんなんだけど、なかには外来語そのものが活用するってこともあって、たまたまその外来語が用言の語尾とおんなじ音でおわってるばあいにそうなることがある。

「ダブル」はそのまんま「ダブる」っていう動詞になって、「ダブらない」「ダブり」「ダブって」「ダブった」「ダブれば」「ダブれ」って活用する。「トラブル」もおんなじで、「トラブる」「トラブらない」「トラブった」…って活用する。

カタカナの外来語で、そのまんま形容詞になってるのがあるのかどうかわかんないけど、漢語だと、「きれいだった」っていうとこを「きれかった」って関西の芸人がいってるのをきいたことがある。これは関西弁としてはふつうなのかな。「奇麗」って漢語は国文法でいう形容動詞で、「きれい」の部分は変化しない。ところが、「きれい」はちょうど「い」でおわってて、形容詞の語尾とおんなじだから、「うつくし」が「うつくしかった」になるみたいに、「きれ」を活用させて「きれかった」になったんだろう。

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 ・いわゆる形容動詞について
 ・漢語は外来語

2008.07.02 kakikomi

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