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古文のなごりのわかちがき

古文 の いいまわし が のこってる 慣用句 と か は 現代文 の なか に も ある。 たとえば 「わが子」 って いう とき の 「わが」 なん か が そう だ。 「するべき」 じゃ なくて 「すべき」 なんて いう こと も ある。

単語 式 で わかちがき する とき、 こう いう の は waga、 subeki って つづけて かく よう に なってる みたい だ けど、 wa ga、 su beki って いう ふう に きった ほう が よく ない か な。

これ を つなげる 理由 は、 現代語 と して は wa、 su だけ で つかわれる こと は なくて、 「わが」 「すべき」 って いう の しか でて こない から って いう ん だ けど、 この て の もの の わかちがき を かんがえる とき 現代語 って こと で 判断 しなくて も いい と おもう。

国語 辞典 を ひく と 「わが」 は 連体詞 って こと に なってて、 この 連体詞 って いう の は 体言 に かかる ことば な ん だ けど、 ほか の 品詞 に ふくめられない もの の よせあつめ って かんじ の もの だ。 でも わかちがき を かんがえる とき 国語 辞典 は あんまり たより に ならない。 いわゆる 国文法 に もとづいてる から 単語 って いう もの の あつかい が あやふや だ。

で、 こう いう の を 現代語 の なか だけ で かんがえよう って いう の は、 いま の 言語学 で いう 「共時 的」 って いう、 なんて いう か、 一種 の イデオロギー に あまり に も とらわれて ない か な。 これ は 古文 の いいまわし が のこった もん な ん だ から、 その 部分 は 古文 の わかちがき で かんがえれば いい と おもう。 古文 なら これ は wa ga、 su beki な ん だ から、 現代文 の なか に でて きた とき だって そう すれば いい だろう。

これ と は ちょっと ちがう 理由 から だ けど、 柴田 武 『Wakatigaki no Naze』(日本のローマ字社) に も wa ga って きった ほう が いい ん じゃ ない か って こと が かいて ある。

ほか に も 「あくまで(も)」 なんて いう の も ある。 この 「あくまでも」 って いう の を こども の とき 「悪魔でも」 って おもってたり した ん だ けど、 それ は ともかく、 国語 辞典 だ と 「あくまで」 は 副詞 に なってる。 それ で これ は たいてい akumade って つづけて かいてる ん だろう。 服部 四郎 も akumade って つなげて かいてる。 でも これ だって aku made って きったら いい と おもう。 もともと 古文 と して は 「あく」 って いう 動詞 に 「まで」 が ついた もの だ。

「あくまでも」 なら 「あくまで」 を つづけて かく やりかた に して も akumade mo って いう ふう に 「も」 は きりはなしてる と おもう けど、 「あく」 と 「まで」 を きる やりかた で も aku made mo に なる。 ちなみ に 「悪魔でも」 の わかちがき は akuma de mo だ (1 拍 の 助詞 ふたつ を つなぐ やりかた なら akuma demo)。

わかちがき:分かち書き、分ち書き。

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2008.09.02 kakikomi; 2012.10.02 kakikae

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