無声音になる流音
ギリシャ語には、ひろい意味の流音として「ρ, λ, μ, ν [r, l, m, n]」の4つがある。このうち「ρ」は単語のあたまで無声音になって、そのことはつづりのうえでも「ῥ-」っていうふうに有気記号であらわされてて、ラテン文字(ローマ字)には「rh-」ってうつされる。
さらに単語の途中で「-ρρ-」っていうふうに連続するときに、ふたつ目の「ρ」が無声音になる。このことは、気息記号をつかって「-ῤῥ-」っていうふうにあらわされることがあって、ラテン文字にうつせば「-rrh-」になる。
それからもうひとつ、有気音「θ, φ, χ [tʰ, pʰ, kʰ]」のあとに「ρ」がつづく「θρ, φρ, χρ」のときに、気音の要素が「ρ」にうつって、「ρ」が無声音になった。これは「τῥ, πῥ, κῥ」ってかけるような発音になるってことだ(→「ギリシャ語の文字と発音:Ρ ρ」)。
ほかの流音は単語のあたまで無声音になることはない。ただし方言によっては、無声音だったばあいがあることをうかがわせるふるい碑文がのこってる。でも、その後は、そういうことはなくなって、無声音になるのは「ρ」だけになった。
じゃあ、ほかの流音が有気音につづくときはどうだったんだろ。
「ρ」の3つのばあいについては古代の文法家が報告してることなんだけど、ほかの流音についてはとくにそういうことはないみたいで、そうだとすると、ほかの流音は無声音にはならなかったってことなんだろう。でも、そういう報告がないってことには、べつの理由もかんがえられる。
「ρ」のばあいは単語のあたまで無声音になるから、そのことから有気音のあとでも無声音になるってことがわかりやすかった、あるいは、注目されやすかったんだろう。それに対して、ほかの流音は、単語のあたまで無声音になったわけじゃないから、そもそも無声音になるってことに注目しなかった、っていうか気がつかなかったのかもしれない。
有気音のあとの流音が無声音になるっていうのは、ほかのことばにもあることで、たとえば英語なんかにもある。英語の /p, t, k/ はアクセントがある音節の最初にでてくるときには有気音として発音されるのがふつうで、「paper」なら[ˈpʰeɪpə]って発音になる。こういう有気音の /p, t, k/ のあとに /r, l/ がくると、気音の要素が流音にうつって、その流音は無声音になる。たとえば「try」の /r/ とか「play」の /l/ がそうだ。こういうふうに /l/ も無声音になるんだけど、それなら /m, n/ はどうかっていうと、/p, t, k/ + /r, l/ とちがって、/p, t, k/ + /m, n/ っていうくみあわせは英語のばあいアクセントがある音節の最初にはあらわれないから、そういうことはおこらない。
有気音があることばで、そのあとに /m, n/ がつづく発音がある単語をさがしてみると、たとえばネパール語の「カトマンズ」がある。ネパール語で「काठमाडौं〔kāṭhmāḍaũ〕」とか「काठमाण्डौ〔kāṭhmāṇḍau〕」とか「काठमाण्डू〔kāṭhmāṇḍū〕」ってかくけど、「カトマルー」とか「カトマンドゥ」みたいにきこえる。ただしこの「ト」は子音で、口じゃ破裂しないで、息が鼻にぬける(鼻こう開放 →「鼻にぬける「tn」「dn」と「つ」の発音」)。その鼻にぬけるとこで「マ」につながってて、「マ」の子音 /m/ のすくなくとも前半が無声音になってるようにきこえる。「ト」の鼻にぬける息が /m/ の無声のとこだ。
こういうふうに、有気音につづく /m/ が無声音になることばがあるわけだから、むかしのギリシャ語でそうなったとしてもおかしくはないだろう。もちろん、このことだけで、かならずそうなったっていえるわけじゃないけど、可能性としてはあるとおもう。それと、有気音のあとの流音が無声音になるっていっても、全部じゃなくて前半だけってこともありえる。英語のばあいでもそういうことがある。
有気音の「θ, φ, χ」に流音「λ, μ, ν」がつづくばあいの発音は、「θ, φ, χ」をそのまんま有気音として発音するんなら、まず「θ, φ, χ」の破裂とともに気音も発音されて、そのあと「λ, μ, ν」を発音するってことになる。これだっておかしくはないだろうけど、韻律のうえで、このくみあわせが ながい音節をつくらないことがあるから(→「古典ギリシャ語の閉鎖音+流音」「古代ギリシャの韻律」)、そのばあいは、こういう発音にはちょっと疑問を感じる。これじゃ、ながい音節になっちゃうだろう。
これを、「θ, φ, χ」を破裂させないで、つぎの「λ, μ, ν」を発音するときにいっしょに破裂させて(「μ, ν」のばあいは鼻こう開放)、さらに「λ, μ, ν」の全体か前半を無声音にするんなら、ながい音節をつくらないばあいにも、ちょうどいい発音になるんじゃないかな。実際にそうだったかどうかは、なんともいえないかもしれないけど、実用的にはこれで結構うまくいくんじゃないかとおもう。
鼻こう開放:鼻腔開放。
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2008.10.14 kakikomi
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