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わかちがきした作品(1) 会津八一『自註鹿鳴集』

会津八一の『自註鹿鳴集』は自分で注をつけた歌集で、万葉集の語法をつかった短歌が、わかちがきした ひらがな文でかいてある(スペースは全角)。短歌そのものも文語だけど、説明文も文語で、短歌以外の部分は漢字かなまじり文になってる。

短歌のとこは一応ひらがな文なんだけど、実際にはカタカナと漢字がちょこっとでてくる。著者は「予が終始固執せる総平仮名の記載」「総仮名を用ゐ」なんていってるんだけど、外来語はカタカナで、数字は漢数字でかいてある。数字については、ひらがな文でもローマ字文でも点字でも算用数字をつかったりするから、それとおんなじようなもんだろう。タテがきの文章だから算用数字じゃなくて漢数字をつかったんだとおもう。

いにしへ の ヘラス の くに の おほがみ を
あふぐ が ごとき くも の まはしら

わが すてし バナナ の かは を ながし ゆく
しほ の うねり を しばし ながむる

わが やど の ペルウ の つぼ も くだけたり
な が パンテオン つつが あらず や

たなごころ うたた つめたき ガラスど の
くだらぼとけ に たち つくす かな

ガラスど に ならぶ 四ほう の みほとけ の
ひざ に たぐひて わが かげ は ゆく

ひびき なき サジタリアス の ゆみ の を の
かど の かれき に かかる このごろ

みだう なる 九ほん の ひざ に ひとつ づつ
かき たてまつれ はは の みため に

しやかむに を めぐる 十八だいらかん
おのも おのもに あき しづか なり

ひかり なき みだう の ふかき しづもり に
をたけび たてる 五だいみやうわう

おほはら の ちやみせ に たちて かき はめど
かきもち はめど バス は みえ こず

あさ さむき テイブル に わが ひとり ゐて
むかふ ざふに に ゆげ の たち たつ

全部ざっとみてみて、カタカナと漢数字がでてきたのはとりあえずこれだけだった。「十八だいらかん」のとこは、本文だと「十はちだいらかん」になってたけど、注のほうは「十八だいらかん」で、本文のほうはまちがいだとおもうから、注にあわせた。

実際の作品をみてもらうとわかるけど、この歌集のわかちがきは単語式だ。著者も「品詞によりて単語を切り」っていってる。古文のわかちがきについては「古文のわかちがき」にかいたけど、そこで説明したやりかたと、この歌集のわかちがきにはちょこっとちがいがある。それをすこしみてみることにする。

引用した短歌をみると、「わが」っていうのがなん度かでてくる。「わが」は、現代語のわかちがきとしてはこういうふうにつなげてかくことがおおいけど、とくに古文のばあいはつなげなくてもいいんじゃないかとおもうし、現代文だってそうだろう(古文のなごりのわかちがき」)。たしかに「わを」とかがでてくるのは上代の作品ぐらいで、平安時代になるとほとんど「わが」っていうのしかつかわれなくなるから、こういうふうにするのはわかる。でも、引用した2番めの歌には「わが」とならんで「な が」(あなたの)っていうのがでてきて、こっちはきってるんだから、「わが」だってきればいいとおもうし、ましてこの歌集は万葉調なんだから、万葉集の時代のことをかんがえたら「わが」はきりはなしたほうがいいんじゃないかな。

引用した和歌の8番めには「おのも おのもに」っていうのがでてくるけど、この「に」はきりはなしたほうがいいとおもう。この歌集にはほかにも「うつら うつらに」っていうのとかもあって、これもそうだ。それに「うつらうつら」のとこはつなげてかいたほうがいいかもしれない。

複合動詞については、「日本語の複合動詞」にかいたみたいに、古文のばあい、だいたいはひとつの単語になってないから、わかちがきとしても、つなげてかかないのがいいとおもってるけど、この作品でもほとんどそうなってる。

古文のわかちがきとして おかしいんじゃないかとおもうのが いくつかあって、とくに目だつのが、「ふり に けり」とかの「にけり」「にけむ」のあつかいだ。この歌集にはこれがけっこうでてきて、「なり に ける かも」「つゆ ぞ おき に ける」「はる は き に けり」「ととせ へ に けり」「あれ に ける かも」「くれ はて に けむ」「もえ いで に けむ」「あれ に けむ かも」とかいろいろある。この「にけり」「にけむ」は全部動詞にくっつけるのが単語式としてもいいはずだ。

国文法の用語でいえば、この「に」は完了の助動詞「ぬ」の連用形で、その「ぬ」はこの歌集だとどうなってるかっていうと、「はる きぬ と」「めぐりぬ」「なりぬ」「ちかづきぬ」っていうふうに動詞にくっつけてる。それなら、「に」だって動詞につなげないとおかしいだろう。もしかしたら、この「に」を助詞の「に」だっておもってるのかもしれない。そういう説でもあったのかな。でも、助詞の「に」のあとに助動詞の「けり」「けむ」はつかないだろ。

「けり」「けむ」も「ぬ」とおんなじように動詞にくっつく語尾だから、「に」のあとにもつなげることになる。「けり」と「けむ」のあつかいはこの歌集でどうかっていえば、「けり」の用例はとりあえず「のらず けり」と「ありけり」しかみあたらなかった。「のらずけり」っていうのは上代のかたちで、平安時代には「のらざりけり」がふつうになった。で、このふたつの用例だと「けり」のあつかいがちがうわけだ。でも、「に けり」で「けり」をきりはなしてるんだし、「けり」に関係ある「けらし」の用例をみても、「のこり けらし も」「おい けらし」「おい に けらし も」ってなってるから、「けらし」をきりはなしてることからしても、「けり」もつなげないんだろう。そうすると「ありけり」は誤植かなんかなのかもしれない。

「けむ」のほうはけっこうでてきて、「なり けむ」「うまし けむ」「たて けむ」「おり たたし けむ」「おぼし いで けむ」「おり けむ」「よ は しらみ けむ」っていうふうに全部きりはなしてる。これだって全部つなげるほうがいいとおもうけど、とにかくこの歌集だと、つなげないやりかたをしてて、「に けむ」もそうなってるわけだ。

こういうふうに「けむ」なんかは動詞にくっつけないのに、「たり」はつなげてる。「たり」をつなげるのは当然だとおもうけど、だったらなんで「けむ」とかもそうしないんだろ。「に けり」「に けむ」をきりはなした関係で、そうすることになっちゃったとか?

あと、未然形接続のものをきりはなしちゃってるのがけっこうある。「み まく ほり」「うた かか まし を」「もの いは まし を もの かか まし を」「なら まし を」「あら まし を」「あら なく に」「しら なく に」「きみ なら なく に」「あふが ざらめ や」「きか ざらめ や も」「おもは ざらめ や」なんていうのがそうだけど、未然形がそもそも自立形式じゃないから、未然形接続のものは付属形式、つまり語尾だ。だからこういうのは「みまく ほり」「うた かかまし を」「もの いはまし を もの かかまし を」「ならまし を」「あらまし を」「あらなく に」「しらなく に」「きみ ならなく に」「あふがざらめ や」「きかざらめ や も」「おもはざらめ や」にしたほうがいいとおもう。

それから、「こふ らく を」「おほ かれど」「あり せば」なんていうのもあるけど、これも「こふらく を」「おほかれど」「ありせば」にしたほうがいいだろう。「こふ らく」は一見終止形につづいてるようにみえるけど、それはあやしい。「らく」は上一段動詞の未然形について、それ以外の動詞には終止形につくっていうんだけど、そのこと自体もちょっとヘンじゃないかな。「らく」は、「る」でおわる活用語の連体形に「あく」がついて融合したかたちの語尾の部分だっていう説明もある。それにしたがえば語尾なんだから動詞にくっつくわけだし、その説をとらなくても、上一段動詞の未然形につくんだから、それだけで付属形式つまり語尾だってことがわかる。

「おほ かれど」は、形容詞の活用形を途中できっちゃってる。「せば」は形容詞のカリ活用の連用形に接続するんだけど、カリ活用っていうのはそれだけじゃ文節をつくれない。つまり自立形式じゃない。だから、それにつく「せば」も自立形式じゃなくて、付属形式だ。

以上はあくまでも、この歌集のわかちがきについてかんがえてみただけで、このことで作品のなかみをどうのこうのいうつもりはない。っていうか、わかちがきした ひらがな文ってとこはなかなか気にいってる。でも、作品そのものは、とくにいいとはおもわないけど。

手もとにある本は新潮文庫で、これはもうでてないみたいだ。新潮社からは新潮オンデマンドブックスってかたちでならでてるけど。それから、中央公論美術出版からもオンデマンド版としてでてる。ほかに、中央公論新社の『會津八一全集』第5巻にはいってるけど、この手の全集ものはだいたい品ぎれ状態なのかな。

わかちがき:分かち書き、分ち書き。

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2008.10.15 kakikomi; 2009.03.21 kakikae

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