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いろはうた(3) 《浪花いろは節》

関ジャニのデビュー曲《浪花いろは節》(2004年)のPVと、「ミュージックステーション」でうたってるとこを動画サイトでみたら、ちょっとおもしろいとこをみつけた。

この曲の歌詞には いろはうたがはいってて、ラップのとこには、さらに いろはうた そのもののほかに翻訳まである。ラップのいろはうたは最後に「ん」をいれた48文字で、カナひと文字ひと文字をそのまんまよんでるんだけど、いまの日本語にない発音はとうぜんいまの音になってる。つまり、

イロハニホヘト チリヌルオ
ワカヨタレソ  ツネナラム
ウイノオクヤマ ケフコエテ
アサキユメミシ エヒモセス ン

この歌詞は「ミュージックステーション」の字幕と舞台背景のスクリーンの文字だと、

いろはにほへと ちりぬるを
わかよたれそ つねならむ
ういのおくやま けふこえて
あさきゆめみし えひもせす ん

っていうふうになってた(スクリーンの文字のほうは全部みえたわけじゃないけど、字幕とおんなじだろう)。つまり、いまはつかわない「ゐ」と「ゑ」は「い」と「え」にかえてある。

ラップのほうはこうなんだけど、歌のほうは「ん」のない47文字で、ふつうに いろはうたをよむのとおんなじよみかたでうたってる。

イロワニオエド チリヌルオ
ワガヨタレゾ  ツネナラム
ウイノオクヤマ キョーコエテ
アサキユメミジ エイモセズ

「ツネナラ」じゃなくて「ツネナラ」ってうたってるけど、これはどっちもあるから いいとして、「(ゆめ)み」のとこが「ミ」だ。これが一般的な解釈なんだから、これであたりまえだとおもうけど、世間には「ミ」って説があるらしいってことは「いろはうた(1) とりあえずどういう意味か」にかいた。

こういうふうに実際に「ミ」ってうたってるのに、「ミュージックステーション」の字幕とスクリーンの文字はなぜか「見」になってた。

色は匂えど 散りぬるを
我が世誰ぞ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見し 酔ひもせず

字幕を担当したひとが「ミ」っておぼえてて、実際の歌を確認しないで「見」にしちゃったのかな。それと、重箱のすみをつっつくようなことをいえば、「匂えど」は現代かなづかいで、「酔ひ」は旧かなづかいになってるんだけど…。

ラップのとこにでてくる翻訳は、

いうがごとき この世の楽しみも すぐに散ってしまう
人の世の移り変わりを 誰がとどめられようか
迷いと苦しみの山々を 今越え果てて
すでに浅はかな夢見ず 快楽に溺れもせず

っていうもので、けっこう文語調だけど、だいたい一般的な解釈のとおりだろう。ただし「すでに」っていうのがちょっとわかんない。っていうか「もはや」とかのほうがよくない? 「もはや手おくれだ」を「すでに手おくれだ」ともいうから、「もはや」と「すでに」はおんなじだともいえるけど、このばあいはちがうんじゃないかな。「みじ」は推量か意志のかたちなんだから、これはまだ実現してないことだ。それが「すでに…夢みず」じゃ、すでに実現してることになっちゃうとおもうし、「見ず」も推量とか意志にはなってない。それに、文章のつながりからいって「けふこえて」もこれからのことだから、「いま こえはてて」っていうのもちょっとちがう気がする。「ゑひもせず」は「快楽に溺れもせず」って意訳 してるけど、とくにそうはしなくてもいいような…。

それにしても、ごていねいに翻訳まで歌詞にはいってるとは。

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2008.11.22 kakikomi; 2010.12.22 kakinaosi

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