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ギリシャと日本の古典をよむときの発音

いまのギリシャ人は古典をよむときも古典式発音じゃなくて現代語式の発音でよむ。こんなことをいうと、そんなことはわざわざいうまでもないことだっておもうひともいるだろう。日本人だって古典をいまの日本語の発音でよんでるんだから、ギリシャ人がそうしてたってあたりまえのはなしだってことになる。

もちろん、それはそのとおりだし、ギリシャ人がそうしてることをとくに問題にするつもりはない。でも、ギリシャ人じゃないひとがギリシャの古典をよむばあいは、ギリシャ人とおんなじことがいえるとはかぎらないとおもう。もちろん、ギリシャ人じゃなくても、いまのギリシャ語が身についてて、そのうえで古典もよんでみようってことなら、ギリシャ人と事情はにてるから、古典も現代語の発音でよんだほうが便利だし、実用的だろう。でも、それは要するに、便利だとか実用的だとかいうことで、そうするのがただしいとか、そうしなきゃいけないっていうようなこととはちがう。

日本の古典だってべつにいまの発音でよまなきゃいけないわけじゃない。これだって、そのほうが便利で実用的だからそうしてるだけだ。ただ、そういうことより、日本の古典とギリシャの古典をおんなじようにかんがえるのがあたりまえのことなのかどうか疑問におもう。

日本の古典はいまじゃ外国にもよくしられてる作品があるけど、近代になるまでは日本だけの古典だったとおもう。でも、ギリシャの古典はそうじゃなかった。だから、そのことだけからいっても日本の古典とギリシャの古典のあつかいにちがいがでてきておかしくないとおもうけど、そんなことより、発音にかかわるもっとおおきなちがいがある。それは年代だ。

日本の古典でいちばんふるい『古事記』は712年の成立で、『源氏物語』はだいたい1000年まえの作品だ。ギリシャの古典でいちばんふるいホメーロスの叙事詩は紀元前8世紀にできた。それから、紀元前5世紀前半から紀元前4世紀までは古典時代っていわれてる。とりあえず『源氏物語』とギリシャの古典時代をくらべてみると、古典時代を紀元前400年前後とすると、1400年のちがいがある。それから古代ギリシャ文学っていわれてるのは紀元後6世紀までの作品だけど、日本の古典作品は紀元後8世紀からはじまる。これはべつにふるいほうがえらいとかなんとかいうことじゃなくて、日本の古典とギリシャの古典の年代がずいぶんちがうってことを確認したいだけだ。

1000年まえの『源氏物語』をいまの日本語の発音でよむのとおんなじで、1000年まえのギリシャ語の作品をいまのギリシャ語の発音でよむっていうんなら、それはあたりまえといえばあたりまえのことだ。1000年まえのギリシャ語の発音はもう現代語とそんなにちがってなかったみたいだし、すくなくとも古典時代の発音よりは現代語の発音のほうにちかかった。1000年まえっていえば、時間のへだたりからいっても、古典時代より現代のほうにちかい。

でも、これが2400年まえの古典時代の作品だったら、『源氏物語』に通用することがそのまんまあてはまるのか疑問だとおもう。そのへんは詩のことをかんがえるとわかりやすいだろう。いまの日本語の発音で古典の和歌をよんでも、そのまんま五・七・五・七・七でよめる(『万葉集』なんかの字あまりのことはともかくとして)。つまり、いまの発音で古典の詩をよんでも詩の形式はこわれない。詩の形式にかかわるような発音の特徴はかわってないからだ(当時はモーラ言語じゃなくてシラブル言語だったってはなしもあるけど)。これに対してギリシャ語のばあいは、アクセントが たかさアクセントから つよさアクセントにかわったり、母音のながさの区別がなくなったりして、詩の形式にかかわる発音の特徴がおおきくかわったから、いまの発音で古典の詩をよむと、詩の形式がまったくうしなわれる(古典式発音と日本語的発音」「古代ギリシャの韻律」)。

日本の古典をいまの発音でよんでも とくに問題はないけど、ギリシャの古典のばあいは問題がおこるっていうのは、年代のふるさをかんがえれば、とうぜんともいえる。

まあでも、古典の発音なんて実用的なとこをかんがえてりゃいいんだってことに結局はなるのかもしれない。それならそれで、ギリシャ人と現代ギリシャ語が身についてるひと以外にとっては、現代ギリシャ語の発音が実用的だとはいえないだろう。もともと現代語の発音ではじめて、それだと つづりをおぼえるのが大変だってことで、古典式にきりかえたひともいる。それに、1人称と2人称の代名詞の複数形、つまり「わたしたち」と「あなたたち」がおんなじ発音になっちゃうような現代語式が実用的だとはとてもおもえない(IOTACISM, ITACISM, ETACISM」)。

ホメーロス:ホメロス。

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2009.06.13 kakikomi

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