アダムは東西南北
旧約聖書の偽典のひとつにかぞえられる『シビュッラのおつげ』(III, 24-6)にはアダムについてこんなことがかいてある(韻律はヘクサメトロス →「古代ギリシャの韻律:ヘクサメトロス」)。
αὐτὸς δὴ θεός ἐσθ᾿ ὁ πλάσας τετραγράμματον Ἀδὰμ
τὸν πρῶτον πλασθέντα καὶ οὔνομα πληρώσαντα
ἀντολίην τε δύσιν τε μεσημβρίην τε καὶ ἄρκτον·[au↓tós ↓dɛ̌ː tʰeós‿estʰo‿plásaːs tetraɡrámmaton aː↓dám
↓tóm prɔ̂ːtom plastʰénta ↓káj ǔːnoma plɛːrɔ̌ːsanta
antolíɛːn‿te dýsin‿te mesɛːmbrǐːɛːn‿te ↓káj árkton]――|―∪∪|―∪∪|―∪∪|―∪∪|――
――|――|―∪∪|―∪∪|――|―∪
―∪∪|―∪∪|―∪∪|――|―∪∪|――4文字の名前のアダムをつくったのは神ご自身である。
アダムは最初につくられた人間で、その名前は
東西南北すべてにゆきわたっている。
翻訳は、とりあえずそのまんま訳しただけで、意味がわかるような注釈はいれなかったから、これだけじゃなんのことかわからないだろう。原文をみたってちょっと注意しないとすぐにはわからないかもしれない。これは要するにアダムって名前をギリシャ語でかいたとき、つづりが4文字になって、その4文字が東西南北に対応してるってことなんだけど、『ギリシャ詞花集』(1.108)にもこのことをうたった詩がある(韻律はヘクサメトロス)。
οὐ σοφίης ἀπάνευθεν Ἀδὰμ τὸ πρὶν ἐκαλεῖτο,
τέσσαρα γράμματ᾿ ἔχων εἰς τέσσαρα κλίματα κόσμου·
ἄλφα γὰρ ἀντολίης ἔλαχεν· δύσεως δὲ τὸ δέλτα,
ἄλφα πάλιν δ᾿ ἄρκτοιο, μεσημβρίης δὲ τὸ λοιπόν.[uː‿sopʰíɛːs apáneutʰen a↓dám ↓tó p↓prǐːn ekalêːto
téssara ɡrámmat ékʰɔːn eːs‿téssara klǐːmata kózmuː
álpʰa ↓ɡár antolíɛːs élakʰen dýseɔːs ↓dé ↓tó délta
álpʰa pálin d árktoijo mesɛːmbrǐːɛːs ↓dé ↓tó loipón]―∪∪|―∪∪|―∪∪|――|―∪∪|―∪
―∪∪|―∪∪|――|―∪∪|―∪∪|――
―∪∪|―∪∪|―∪∪|―∪∪|―∪∪|―∪
―∪∪|――|―∪∪|――|―∪∪|――アダムと名づけられたことには ふかい知恵がふくまれている。
世界の4つの方角に応じた4つの文字がそなわっているのだ。
アルファはアントリエー(東)から、デルタはデュシス(西)から、
もうひとつのアルファはアルクトス(北)から、のこりのひとつはメセーンブリーエー(南)からとられている。
ここにはアダムのつづりの4文字ひとつひとつについて方角との関係がはっきり説明されてる。アダムはギリシャ語で ΑΔΑΜ / Ἀδάμ [adám]だけど、この4文字がギリシャ語の東西南北それぞれのかしら文字になってるわけだ。ただし、ここにでてくる単語には詩につかわれるかたちになってるのがあるから、散文でつかわれる一般的な単語をつかってまとめると、こうなる。
Α ← Ἀνατολή [anatolɛ̌ː アナトレー] (東)
Δ ← Δύσις [dýsis デュスィス] (西)
Α ← Ἄρκτος [árktos アルクトス] (北)
Μ ← Μεσημβρία [mesɛːmbríaː メセーンブリアー] (南)
ἀνατολή は「(星が)のぼること」ってことで、そこから「東」の意味になった。δύσις は「(星が)しずむこと」から「西」になった。ἄρκτος は「クマ」で、おおぐま座・こぐま座から「北極、北」の意味になった。おおぐま座・こぐま座の領域が北極星を中心にした天の北の部分だからだろう。μεσημβρία は μέσος [mésos メソス](まんなか)+ἡμέρα [hɛːméraː ヘーメラー](昼、一日)で、「正午」っていう意味から「南」になった。
ついでだけど、東西南北のギリシャ語はほかに、東が ἕως [héɔːs ヘオース](あかつき、夜あけ)、西が ἑσπέρα [hespéraː ヘスペラー](夕方)、南が νότος [nótos ノトス](南風、南西の風)、北が βορέας [boréaːs ボレアース]/βορρᾶς [borr̥âːs ボッラース](北風)っていうのもある(カッコのなかはもともとの意味)。
ギリシャ語のアダムの4文字のことは当時よくいわれてたらしくて、アウグスティヌスも、たとえば『ヨハネによる福音書講解説教』(In Iohannis Evangelium tractatus, x, 12)のなかで、
ギリシア語でアダムと書くとき、四つのギリシア文字によって地の全領域が表されるのである。すなわち、その四文字をたてに並べて書くと、東・西・北・南という世界の四つの部分を示す名称〔の頭文字〕となる。この四つの部分は全世界を表すのである。
(『アウグスティヌス著作集 23』教文館)
っていってる。
こういうふうに、単語のつづりをほかの単語のかしら文字として解釈したり、逆にかしら文字をくみあわせて単語にしたりするのをノタリコンっていうんだけど(かしら文字じゃなくて最後の文字をつかうこともある)、ユダヤ教の神秘主義カバラーのテクニックのひとつとして説明されることがおおい。カバラーの文字にかかわるテクニックとしてはほかにゲマトリアとテムラーっていうのがある(→「ギリシャ語のゲマトリア」「「358」とヘブライ語のゲマトリア」)。
ノタリコンはヘブライ語で נוטריקון notariqon ってかくけど、これは外来語で、ラテン語の notarius [ノターリウス](速記者)からうまれたことばらしい。ゲマトリアとおんなじで、ノタリコンもカバラーの発明ってわけじゃないんだろう。ノタリコンのほかの例をあげると、有名なとこでギリシャ語の ἰχθύς [ikʰtʰy̌ːs イクテュース]を「イエス・キリスト、神の子、すくい主」のかしら文字として解釈するのがある(→「サカナはおかず」)。
ところで、アダムが東西南北だっていうのはギリシャ語としてのはなしで、アダムはもともとヘブライ語の名前だ。ヘブライ語のアダムは אדם ʼādhām [アーダーム](旧約聖書時代の発音)だけど、普通名詞としては「ひと、人間、人類」ってことで、最初の人間にはただの「ひと」っていう名まえがついてるわけだ。それから、このことばは אדמה ʼădhāmā [アダーマー](土、大地)と関係がある。このことはことばそのものからわかるだろうけど、旧約聖書の『創世記』第2章第7節にも「主なる神は、土(アダマ)の塵で人(アダム)を形づくり」(新共同訳)ってかいてある。
『シビュッラのおつげ』:『シビュラの託宣』。 『ギリシャ詞花集』:『ギリシャ詞華集』。
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2009.06.25 kakikomi; 2015.09.26 kakinaosi
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