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『聴いて読める ギリシア語聖書』

すこしまえに日本聖書協会から『聴いて読める ギリシア語聖書』っていうパソコン・ソフトがでた。「世界初のギリシア語聖書 オーディオ聖書ソフト」とかいって、ギリシャ語聖書の朗読がきけるんだけど、ソフトの機能としてはそれだけじゃなくて、新共同訳とギリシャ語のインターリニア新約聖書とか、七十人訳とか3種類の英語訳聖書とかもはいってて、単語の変化形をしらべたりとか、検索とか、いろんなことができる。「ライブロニクス・デジタル・ライブラリー・システムの主要部分を日本語化」っていってるように、基本になってるソフトはライブロニクス・デジタル・ライブラリー・システムで、これは Liddel-Scott-Jones “A Greek-English Lexicon” の電子版とおんなじだ(電子版「LSJ」(Liddell & Scott: A Greek-English Lexicon)」)。

値段は2万1000円だから気楽にかうわけにもいかないけど、このギリシャ語聖書の朗読がどんなものなのかはきいてみたいとおもってた。で、こないだ日本聖書協会のサイトにある「新刊のご案内 | 聴いて読める ギリシア語聖書」っていうページで製品紹介のビデオがみられるのがわかったから、それをみてみたら、ほんのちょっと朗読もきけた。もっとながくききたかったけど、とりあえずちょっとはきくことができたから、感想なんかをかいてみたい。

もともと製品の紹介として「録音聖書の発音は古典ギリシア語(エラスムス)方式を採用」ってかいてあったから、だいたいはわかってたにしても、実際きいてみると、ああやっぱりこれもそうか、ってちょっとガッカリした。

朗読してるのは、ビデオの説明によると、アメリカのニュー・セント・アンドリューズ・カレッジで古典言語学の特別研究員をしてる「ジョン・シュバント博士」で、「ギリシャ語の発音の研究では第一人者」だっていってる。「このかたには、いままでの伝統的なエラスムス方式での発音、朗読をおねがいしました」ってことなんだけど、この「伝統的なエラスムス方式」っていうのがミソなんだよなあ。

ビデオできけるのは『マタイによる福音書』第5章第3節から第4節で(つづきは説明がかさなっちゃってよくきこえない)、これは「山上の垂訓」の最初のとこだ。

μακάριοι οἱ πτωχοὶ τῷ πνεύματι,
 ὅτι αὐτῶν ἐστιν ἡ βασιλεία τῶν οὐρανῶν.
μακάριοι οἱ πενθοῦντες,
 ὅτι αὐτοὶ παρακληθήσανται.

心の貧しい人々は、幸いである、
 天の国はその人たちのものである。
悲しむ人々は、幸いである、
 その人たちは慰められる。
(新共同訳)

きいた感想としては、もう上にかいたけど、またか、って感じだった。あっちこっちのサイトできかされる英語なまりのエラスムス式だ。はっきりいって、こんなのはききたくない。朗読してるのが英語圏のひとじゃなければよかったのに(古典ギリシャ語がきけるウェブサイト」)。

ビデオのなかには、「教会の信徒のかたからきいたはなしですけど、聖書の会をはじめるときに、まずこのギリシャ語聖書の朗読をみんなできくんだそうです。とっても気もちが集中するとききました」なんてはなしもでてくる。でも、ギリシャ語聖書の朗読をきいてその雰囲気にひたるんなら、この朗読より、現代ギリシャ語の発音でいまのギリシャ人が朗読してるのをきいたほうがずっといいかも。新約聖書の時代の発音はずいぶん現代語の発音にちかくなってるから、現代語式の発音もわるくない。とくに、ギリシャの教会じゃ聖書の文章にふしをつけて現代語の発音で朗唱してるから、それをきくほうがずっと宗教的な雰囲気にひたれるんじゃないかな。ただし、文章そのものは古典語とあんまりかわりないから、エラスムス式のほうが研究者とかにとっては都合がいいかもしれない。でも、信者の聖書の会なら原文をよむわけでもないだろうから、エラスムス式のほうがいいってこともないだろう。まあ、はたからゴチャゴチャいうことでもないか。

で、はなしをすすめるまえに、ちょっと整理しておきたいんだけど、いま日本ででてるギリシャ語の本にかいてあるみたいな古典式発音のことをエラスムス式っていうのは、はっきりいってよくないとおもう(このビデオの説明がそうだってことじゃなくて)。日本ででてるギリシャ語の本にはエラスムス式なんてことばはまずでてこないのに、その古典式のことをエラスムス式なんていうのはどうかとおもう。ビデオのなかで「いままでの伝統的なエラスムス方式」っていいかたをしてるみたいに、エラスムス式っていうのは、欧米の伝統的な古典式発音のことにかぎったほうがいいだろう。っていっても、そのエラスムス式にしても、国によってちがいがあるから、厳密な、っていうか復元された古典式発音とくらべたら、日本の本の古典式もエラスムス式の一種だっていうかんがえかたもあるかもれしない。でも、日本の古典式はエラスムス式よりも復元された発音のほうにずっとちかいとおもうし、欧米の本でも復元された発音にちかい古典式をおしえてるのもあるから、そういうのをエラスムス式とはいわないほうがいい。

ってことで、すくなくともエラスムス式と復元された古典式ははっきり区別しておきたい。たんに古典式っていうばあいは、このふたつの中間みたいな感じになるかもしれないし、ひろい意味の古典式ってことなら、このみっつ全部をふくむことにもなるだろう。

で、このソフトの発音は、「英語圏のエラスムス式+英語なまり」っていえるとおもう。英語圏のエラスムス式はそれだけで英語なまりじゃないかっておもうひともいるかもしれないけど、ここでいってる英語圏のエラスムス式っていうのは、英語圏のひとが実際に発音する以前の発音の流儀のことで、ちょっと英語よみがまじったりもしてるけど、このやりかたそのものに英語なまりがあるわけじゃない。英語圏のひとが発音すれば、ほかのよみかたでも英語なまりになるだろう。逆に、っていうか、日本語のはなし手がこの発音でギリシャ語をよむなら、「英語圏のエラスムス式+日本語なまり」ってことになるだろう。

で、いくつか例をあげると、アクセントは たかさアクセントじゃなくて つよさアクセントで発音してるようにきこえる。これはエラスムス式だとふつうのことだ。古典式ならほんとは たかさアクセントのはずだけど、欧米じゃ近代ヨーロッパ語式に つよさアクセントで発音してきた。まずはここにエラスムス式がでてるとおもう。

それから、πτωχοὶ を「プトホイ」ってよんでる。復元された古典式でも日本の古典式でも「プトーコイ」になるんだけど、それとくらべて母音のながさが不正確だ。これはエラスムス式っていうより英語なまりみたいなもんだろう。エラスムス式はたてまえとしては母音のながさの区別がちゃんとある。これに対して χ を摩擦音の[x]で発音してるのはエラスムス式だっていえるだろう。古典式なら有気音の[kʰ]になる。

もうひとつ例をあげると、πνεύματι を「プニューマティ」って発音してる。ευ は古典式なら「エウ」なんだけど(だから全体は「プネウマティ」になる)、それを「ユー」ってよむのは英語圏のエラスムス式の特徴っていえだろう。eu の英語よみをギリシャ語をよむのにもちこんじゃってるわけだ。ドイツ語圏だとドイツ語よみをもちこんで「オイ」ってよんだりする。

新約聖書の時代には有気音の発音は摩擦音になってたみたいだし、アクセントももう つよさアクセントだったかもしれないから、この朗読の発音は、新約聖書の時代の発音を再現したものかなっておもったりもしたけど、ευ を「ユー」ってよむのは要するに英語式で、この時代の発音ってわけじゃないし、ほかの母音の発音にしても、新約聖書の時代の発音じゃないから、やっぱりこれは英語圏のエラスムス式だとおもう。「ギリシャ語の発音の研究では第一人者」ってぐらいだから、新約聖書の時代の発音でよむこともできたんだろうけど、そもそも日本聖書協会からたのまれたのが「いままでの伝統的なエラスムス方式」ってことだったんだから、そのとおりエラスムス式でよんでるわけだ。

でも、英語圏のエラスムス式は英語圏のなかじゃいいかもしれないけど、それを日本にもちこむのはどうかとおもう。新約聖書のギリシャ語のすこしふるい入門書なんかだと、そういう欧米のやりかたをそのまんまもちこんじゃってるのがあるけど、あいかわらずその調子? いまでも日本の教会には欧米人の牧師とかがいるみたいだから、いろんなことをキリスト教式っていうより欧米式にやってるんじゃないかとおもうんだけど、それとにたようなもんなのかな。

それにしても、欧米式のなかでも、英語なまりのエラスムス式はとくによくないとおもう。なにしろ、英語の発音は、古典ギリシャ語みたいなことばの発音とはかけはなれてるんだから。英語のばあい、アクセントがない母音はすごくよわくなって、いわゆる あいまい母音になるし、アクセントがない音節はちゃんと発音するまえに はきだしちゃうなんていわれてる。こういう特徴は、日本語みたいに たかさアクセントで、アクセントがないとこが特別よわくなるわけじゃないことばとは正反対だ。古典ギリシャ語だって、この点は日本語みたいなもんだっただろう。

英語とおんなじ つよさアクセントのことばでも、イタリア語とかスペイン語とか現代ギリシャ語はアクセントがない母音がとくによわくなるってことはないから、このあたりのひとが発音すれば英語なまりよりはずいぶんまともになるはずだ(ただしギリシャ人のばあい、古典式だと、身についてるふだんの発音とはちがうよみかたをすることになるから、かえってむずかしいだろうけど)。そうはいっても、英語圏のひとが古典ギリシャ語をよむとき、さすがに英語そのまんまの発音をするわけじゃないから、アクセントがないとこもはっきり発音しようとはしてる。でも、それがかえって独特の抑揚をうみだしたりもしてる(英語圏のひとが日本語を発音するときみたいに)。

それから、外国語の発音っていうと英語を耳にすることがおおいから、とにかく英語ふうの発音だと外国語っぽくきこえるなんてことがあるんじゃないかとおもうんだけど、そういう感覚からすると、古典ギリシャ語にしても英語なまりの発音のほうがいかにもほんものみたいにきこえるかもしれない。でも、イタリア語とかスペイン語とかはけっこうカタカナ発音で通じたりするわけで、そういうことばは英語ほど日本語の発音からかけはなれてはいない。古典ギリシャ語もそうだっただろうから、英語なまりよりはカタカナ発音っぽいほうが実際の発音にちかいんじゃないかとおもう。

もうひとつ、朗読するひとのことだけど、ギリシャ語の発音の専門家だからって、うまい発音とはかぎらないだろう(とくに英語圏のひとは)。朗読するのは、べつに専門の学者じゃなくても、発音がうまいひとがやったほうがいいんじゃないのかな。それに、その学者の習慣みたいなものもある。知識としては復元された古典式の発音のことをしってても、最初にギリシャ語をならったときの発音の習慣をそのまんまつづけてるひとはけっこういるだろう(たかさアクセントじゃなくて つよさアクセントでよむとか、有気音を摩擦音で発音するとか)。エラスムスも自分じゃエラスムス式を実践しなかった。ギリシャ語の発音の専門家でもそういうひとがいるんじゃないかな。だから、そういうばあいは、そのひとがいくらこの分野の第一人者だったとしても、そのひとの朗読がいい教材とはいえないだろう(これを朗読してるひとがどうなのかはしらないけど)。

でもまあ、これは日本聖書協会がだしてるソフトだし、キリスト教徒の活動に外野がものをいってもしょうがないかな。

関連記事
 ・古典ギリシャ語がきけるウェブサイト
 ・電子版「LSJ」(Liddell & Scott: A Greek-English Lexicon)

2009.06.18 kakikomi

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