« サン・ピエトロ大聖堂のギリシャ語(2)
ΔΙΑ ΤΗΝ ΑΠΟΚΑΤΑΣΤΑΣΙΝ...
| トップページ | パルテノン多摩のモザイク画のラテン語 »

クイーンズスクエア横浜のステーションコアにあるパブリックアート

みなとみらいのクイーンズスクエア横浜に、地上5階・地下3階のふきぬけになってる おおきなアトリウムがあって、ステーションコアっていう名まえがついてる。ステーションっていうだけあって、みなとみらい線の みなとみらい駅にそのまんまつながってる。

クイーンズスクエアにはパブリックアートが9つあるらしいんだけど、ステーションコアのエスカレーターのヨコの壁にそのうちのひとつがあって、上の写真でいうと、右側の黒っぽい壁に ながさのちがう白いヨコ線がはいってるみたいにみえるのがそうだ。

白くひかってるのはネオン管でできたドイツ語の文章で、その上には、おおきな文字で日本語訳がきざまれてる。行わけしてるから、てっきり詩だとおもったら(ネットの文章でも詩だってかいてあるのがおおいけど)、そうじゃなくて、フリードリッヒ・フォン・シラー(Friedrich von Schiller、1759-1805、 ドイツの詩人・劇作家・歴史家)の『人間の美的教育について(の手紙)』(Über die ästhetische Erziehung des Menschen, in einer Reihe von Briefen. 1795)の一節だった。ジョセフ・コスース(Joseph Kosuth)っていうアメリカ人アーティストの作品で、「The Boundaries of the Limitless」っていうタイトルがついてる。

で、なにがかいてあるか再現してみると、こんな感じだ。

樹木は成育することのない<br />
Der Baum treibt unzählige Keime,<br />
無数の芽を生み、<br />
die unentwickelt verderben und<br />
根をはり、枝や葉を拡げて<br />
streckt weit mehr Wurzeln, Zweige und Blätter<br />
個体と種の保存にはありあまるほどの<br />
nach Nahrung aus als zu Erhaltung seines Individuums<br />
養分を吸収する。<br />
und seiner Gattung verwendet werden.<br />
樹木は、この溢れんばかりの過剰を<br />
Was er von seiner verschwenderischen Fülle<br />
使うことも、享受することもなく自然に還すが、<br />
ungebraucht und ungenossen dem Elementarreich zurückgiebt<br />
動物はこの溢れる養分を、自由で<br />
das darf das Lebendige in fröhlicher<br />
嬉々とした自らの運動に使用する。<br />
Bewegung verschweigen. So giebt uns die Natur<br />
このように自然は、その初源から生命の<br />
schon in ihrem materiellen Reich ein<br />
無限の展開にむけての序曲を奏でている。<br />
Vorspiel des Unbegrenzten und hebt<br />
物質としての束縛を少しずつ断ちきり<br />
hier schon zum Teil die Fesseln auf deren sie sich<br />
やがて自らの姿を自由に変えていくのである。<br />
im Reich der Form ganz und gar entledigt.</p>

<p>フリードリッヒ・フォン・シラー<br />
FRIEDRICHVONSCHILLER

最後の FRIEDRICH VON SCHILLER は、わかちがきしてない。日本語とドイツ語が1行ずつ対になってるけど、その対ごとに意味がおんなじになってるわけじゃないのは、日本語とドイツ語で語順がちがうことからしても当然だろう。それにしても、この日本語訳は だれの翻訳なんだろ。

『人間の美的教育について』は、もともとデンマークのアウグステンブルク(アウグステンボー)公にあてた手紙なんだけど、最初にかいたものは火事でもえちゃったもんだから、シラーはあらためてこの文章をかきなおして、1795年に「Die Horen」っていう自分の月刊誌に3回にわけて掲載した。そのあと、1804年にはシラーのみじかめの散文をあつめた本(Kleinere prosaische Schriften von Schiller. Aus mehrern Zeitschriften vom Verfasser selbst gesammelt und verbessert. Dritter Theil. Carlsruhe, bey Christian Gottlieb Schmieder.)に収録された。

オブジェの文章は27番めの手紙(最後の手紙)の一節で、つぎに、その部分を1804年の本(235~236ページ)からぬきだしてみるけど、つかわれてるのは1行めの最後の単語から いちばん下の行の真ん中までだ。

いわゆるドイツ文字で印刷してあって(ドイツ文字(フラクトゥーア)とドイツ語の筆記体」)、さらに、ウムラウトは ä ö ü じゃなくて、ちいさい e が文字の上についてる。ウムラウトっていうのはもともとはこういうもんだった。で、これをラテン文字にうつすとこうなる(オブジェにつかわれてるとこだけ)。

Der Baum treibt unzählige Keime, die unentwickelt verderben, und streckt weit mehr Wurzeln, Zweige und Blätter nach Nahrung aus, als zu Erhaltung seines Individuums und seiner Gattung verwendet werden. Was er von seiner verschwenderischen Fülle ungebraucht und ungenossen dem Elementarreich zurückgiebt, das darf das Lebendige in fröhlicher Bewegung verschwelgen. So giebt uns die Natur schon in ihrem materiellen Reich ein Vorspiel des Unbegrenzten, und hebt hier schon z u m T h e i l die Fesseln auf, deren sie sich im Reich der Form ganz und gar entledigt.

原文とオブジェの文章をくらべてみると、ちょっとちがうとこがあって、原文のほうは verschwelgen、Theil っていうつづりなのが、オブジェだと verschweigen (9行め)、Teil (13行め)になってたり、原文にあるコンマがオブジェのほうにはないとこがある。

verschwelgen っていうのはちょっとめずらしい単語で、『独和大辞典』(小学館)にものってない。verschweigen のほうはけっこう基本的な単語だから、まちがえてこれにしちゃったとか? それか、ネオン管の一部がひからなくなってて l が i にみえてるだけだったりして(つながってるネオン管ならそういうことはないのかな)。

原文の Theil はむかしのつづりで、オブジェの Teil はいまのつづりなんだけど、じゃあオブジェのほうは全部いまのつづりになおしてるのかっていうと、そうじゃなくて、7行めの zurückgiebt と9行めの giebt はむかしのつづりのまんまだ。いまのつづりなら zurückgibt、gibt になる。

関連記事
 ・ドイツ文字(フラクトゥーア)とドイツ語の筆記体

2009.12.10 kakikomi; 2010.12.09 kakitasi

|

« サン・ピエトロ大聖堂のギリシャ語(2)
ΔΙΑ ΤΗΝ ΑΠΟΚΑΤΑΣΤΑΣΙΝ...
| トップページ | パルテノン多摩のモザイク画のラテン語 »