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サン・ピエトロ大聖堂のギリシャ語(1)
ΣΥ ΒΟΣΚΕΙΣ...

バチカンのサン・ピエトロ大聖堂にはあっちこっちにラテン語の文章がある(きざまれてたり、かいてあったり…)。入口のうえのとこなんかもそうだけど、建物のなかの柱と天井の境目の部分、金色のフリーズにもいろいろかいてある。カトリックの総本山だからラテン語なのはあたりまえで、まあそんなもんだろうっておもってたら、あるとき、大聖堂のなかをうつした映像をみてたら、ギリシャ文字がみえた。サン・ピエトロ大聖堂にギリシャ語が…。

しらべてみると、ギリシャ語の文章があるのは大聖堂のいちばん奥にある後陣だった。ここは聖ペトロの司教座(Cathedra Petri)があるとこなんだけど(聖ペトロをイタリア語でいうと「サン・ピエトロ(San Pietro)」)、この後陣の金色のフリーズのとこにラテン語とギリシャ語の文章があって、左側はラテン語でこうかいてある(原文がどうなってるかわかりやすいように日本語訳は直訳にした)。

O PASTOR ECCLESIAE TV OMNES CHRISTI PASCIS AGNOS ET OVES

おお、教会のヒツジ飼いよ、あなたはキリストのすべての小ヒツジとヒツジを飼っている

発音は、古典式なら[オー パーストル エックレースィアエ、トゥー オムネース クリスティー パースキス ア(ー)ク゚ノース エト オウェース]で、ローマ式なら[オ パストル エックレズィエ、トゥ オムネス クリスティ パ(ッ)シス ア(ン)ニョス エト オヴェス]になる。

右側のギリシャ語のほうは、

ΣΥ ΒΟΣΚΕΙΣ ΤΑ ΑΡΝΙΑ ΣΥ ΠΟΙΜΑΙΝΕΙΣ ΤΑ ΠΡΟΒΑΤΙΑ ΧΡΙΣΤΟΥ

あなたは小ヒツジを飼っている。あなたはキリストのヒツジの世話をしている。

っていう文章なんだけど(こっちも日本語訳は直訳)、このギリシャ語を小文字でかけば σὺ βόσκεις τὰ ἀρνία. σὺ ποιμαίνεις τὰ προβάτια Χριστοῦ. で、古典式の発音は[sý bóskeːs tá arnía∥sý poimǎineːs tá probátia kiːstûː スュ ボスケ~ス タ アルニア。スュ ポイマイネ~ス タ プロバティア クリーストゥー]。

どっちの文章も聖書から直接引用したもんじゃないみたいで、ギリシャ語のほうでいうと、新約聖書の『ヨハネによる福音書』第21章第15節から第17節に にたような文章がある。たぶんそれをもとにしてるんだろう。復活したキリストが弟子たちのまえに3度めにすがたをあらわしたときのことで、

 15食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。16二度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの羊の世話をしなさい」と言われた。17三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。18はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたいところへ行っていた。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる。」 19ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。
(『ヨハネによる福音書』第21章第15~19節。新共同訳)

いいつたえのとおりならば、このキリストのことばどおりペトロはローマで殉教して、その墓の上にサン・ピエトロ大聖堂がたってるわけで、ペトロは初代ローマ教皇ってことになってるんだけど、第15節、16節、17節の最後のとこに「わたしの小羊を飼いなさい」「わたしの羊の世話をしなさい」「わたしの羊を飼いなさい」っていう文章がある。このあたりがフリーズのギリシャ語のもとだとおもう。ただし、第17節の文章はそのまえのふたつの動詞と名詞をくみあわせただけだから、フリーズのギリシャ語のふたつの文章のもとになったのは15節と16節だろう。

福音書の原文は15節が βόσκε τὰ ἀρνία μου. [bóske tá arníamuː ボスケ タ アルニア・ムー]、16節が ποίμαινε τὰ πρόβατά μου. [pǒimaine tá próbatámuː ポイマイネ タ プロバタ・ムー]で、動詞は命令形だし、μου (わたしの)っていうのがついてる。これをそれぞれ、σὺ (あなたは)っていう主語をつけて、動詞を直説法・現在・2人称・単数のかたちにして、ひとつめの「わたしの」はなくして、ふたつめの「わたしの」を Χριστοῦ (キリストの)にかえると、とりあえず後陣の文章になる。

ただし、それだけじゃ、まだちょっとちがうとこがある。いまの校訂本の本文だと πρόβατά だけど、これまでの聖書の本文には προβάτιά になってるのもあった。大聖堂の文章のもとはこっちの本文なんだろう。προβάτιά はことばそのものからすると「小ヒツジ」なんだけど、ただの「ヒツジ」の意味でもつかわれる。それから、πρόβατάπροβάτιά の最後の音節にふたつめの鋭アクセント記号がついてるのは μου がつづいてるからで、これを Χριστοῦ にかえると、このアクセントはなくなる。っていっても、大聖堂にかいてあるのは全部大文字だから、アクセント記号はついてないけど。

ペトロ:ペテロ。

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2009.12.03 kakikomi; 2015.09.26 kakinaosi

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