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田中克彦『エスペラント』のなかの日本語についての文章

田中克彦『エスペラント―― 異端の言語』(岩波新書)っていう本は、もちろんエスペラント語についてかいてあるんだけど、この計画言語をとおして ことばってものについてかんがえてみたり、日本語についての発言もいろいろある。

ここでは、この本のなかで日本語についてかいてある文章をメモがわりにあつめてみた。傍点は太字にかえた。つづりのまちがいとかは原文のとおり。原文はタテがきだから漢数字がつかわれてるけど、ここはヨコがきだから算用数字になおした。

 ことばって何てすばらしいんだろうか、そしてとりわけ日本語のこの優雅で融通無碍のしなやかさと言ったら!―― と、とにかくほめたたえておくのが、今の時代の健全な日本国民が、世の中をぶじに通っていくための通行証のようになっている状態である。私が教えていた大学でも、言語学の授業でレポートを書かせると、「本当にそう思う?」と問いただしたくなるようなことば賛美が多かった。かれらはよく知っている。日本のことも日本語のことも、とにかく美しいと言っておけば問題は起きないのだと。しかしこんな大学や学生からは決して学問が生れることはないだろう。ほんとうは、こんな日本語は困ったもんだと書く学生が一人くらいはいてほしいものだ。

 とりわけ、近代国民国家が、国語だの国家語だのというものを人類史上はじめてつくり出した18世紀以来―― それまではこんなことばはどこにもなかった。日本では、今からやっと120年ほど前の製作にすぎない―― その時以来「国語」(今では「日本語」と言いかえられる)はどうしてもほめなければならない最高の国有文化財になった。ことばほめと国語ほめとはやがて国民の義務にまでなろうとしている。国家の要求によって、大学の中におなさけでつくられた国語学や言語学もまた、「ことば」や「国語」をほめることによって自らの安泰を得た。

 そこで、あくまで経験にたって、既存の有力言語から文法規則の不規則なところを除き、語彙を少なく限定した改良言語案が出されるようになった。こうしておけば、多くの人が少ない努力で気楽にその言語を学ぶことができるだろうと言語改良家が考えたのはもっともである。

 今日で言えば、世界で商業、学術、国際交流で最もよく使われる英語にとりかかるのが手近で実用的である。英語の簡略化は、日本でもすでに森有礼が思いついたように、多くの人々の関心を集めていた。これらの試みの中でも最も有名なのがベイシック・イングリッシュ、略してBASICベイシックと表記される改良英語である。BASICには、さらにその語源がある。それは「基礎英語」という意味に受けとられやすいが、これは、British American Scientific International Commercial の頭文字をとった略語である。考案者は心理学者のK・オグデンと文芸批評家のI・リチャーヅであった。リチャーヅはとりわけ、北京の清華大学の教授だったことがあるから、中国人の英語の学び方をよく知っていた。つまり異なる言語の間を行きつもどりつする際に生じる困難を具体的に知る経験があったのだ。
 ベイシックの語彙数はまず850と限り、民衆の間の日常ではあまり用いられない語彙をやめ、よく知られている単語を組み合わせて用いる。たとえば desendディセンド(降りる)は come down に、participateパーティシペイト(参加する)は take part に置きかえるなどである。
 敗戦後、英語は日本国家によって学習を禁じられていた「敵性言語」から突然、必ず知らなければならない必修外国語になったため、急速に身につけなければならなかった。私は中学生の時に、熱心なベイシック英語の先生から、その便利さを説かれ、指導を受けたけれども、この「やさしい英語」のほうがかえってむつかしいと思ったものである。なぜなら、意味の広い単語に、副詞をいろいろと工夫して組み合わせてつくるというのは、なかなか頭を働かせる必要があると知ったからである。そのむつかしさは、漢語ではなく何かいかにも日本語らしい感じの単語を外国人などに嚙みくだいて説明しようとするときに味わう、あのむつかしさに似ている。
 この種のむつかしさはまた、エスペラントにもある。すぐに使えるが、それを知らない人たち、たとえばこどもたちや外国人などに対してある限定された語彙を駆使して行きとどいた言語表現を行わなければならない場面に立たされた場合、ほとんどがこうしたむつかしさを経験する。
 日本語では、おびただしい数の漢字語に当面した場合に経験するのだが、それらをやまとことばで言いかえる作業は、いつもことばについて考える訓練をしていて、その上才能のある人だけにやれる創造的な活動である。だからいつもできあいの漢語・漢字をひょいと使うことになれている作家たちの反撥を受けやすい。あとで述べる、ジョージ・オーウェルが『1984年』の中で示した反応もこれにあたるだろう。
 ベイシックの試みは、「自然言語」に不自然な限定を与えることではなく、国民のすべての階層が、学歴や職業、出身階層の差別なく、一つの国民語を形成し、共有しようとする際に払われた経験と努力にもとづいているにちがいない。さきにあげた、descend, participate はもともとフランス語から借用された外来語で、それを、本来の英語、つまり英語のやまとことばで言いかえようという試みであるから。
 こうした試みは17世紀のドイツに生じた、さまざまなドイツ語愛護協会においても見ることができ、それは単に外来語の排除をねらった純化主義という排外主義によるだけではなく、一部特権的な知識人が、むつかしいことばをこれ見よがしに、わがままいっぱいに使うひとりよがりを許さず、固有、自前の言語(母語)でできるだけのことをまかない、そのことによって自らの言語の表現力を豊かにしようという願いから出たものであった。
 この点からいえば日本人の本来の「国語」は、明らかに大量の漢語で水びたしにし、日本のやまとことばを窒息させたときに消滅してしまった。柳田国男は、それを「荒涼たる日本語の風景」と表現したのである。

 日本が植民地をもったとき、その土地の住民たちが出会う漢字やかなづかいの困難さと、かれらの表記法の不安定さにあきれはてながらも、山田孝雄よしおなどのがりがりの国語学者たちは、そのままの日本語を教えるという主張を断乎ゆずらなかった。かれらは、いったい外国人たちのために自らの国語をまげることがどこの国であっただろうかと憤慨したのに対し、現地での実情を知っている日本語教育の現場の当事者たちは、日本語がかかえている問題について深刻に「反省」せざるをえなかったのである。

 そもそも自然の言語、つまり具体的には民族語は、前もって計画されてできたものではない。今日、「日本語はなぜこのようになっていて、別のふうに、たとえば英語のようにならなかったのか」という問いは、個別的な個々の問題であると同時に、言語一般をつらぬく、ほとんど神秘的といってもいいほど、秘密めいた問題を含んでいる。私は永年言語学をやったあげく、最近は、いまあるような日本語になったのは、日本語を話す人々がそのような好みをもっているからであり、それぞれの民族語にはそれを用い続けてきた人間の好みによる選択が反映していると思うようになった。
 そしてこの好みは、決してひとまとめにみた日本人の性格によるだけではなく、社会的にも規定されていると思う。たとえば日本人は、みずからの本来のやまとことばというものを持っていながら、漢字・漢文の教養を特権的に獲得した階級が、日常のやまとことばを見下した結果、どんどん漢字ことばをとり入れて、もとの自分を追い出してしまった。
 これはドイツ語と比べてみると、そのコントラストには驚いてしまう。ドイツ語はラテン語やフランス語に水浸しになってしまったので、それらをなるべくドイツ語のやまとことばで言いかえ、土着化させようと努力した結果、自前の言いかたをつくり出した。
 このちがいは、日本語そのものの性格によるのではなく、日本語を使う日本人の、いつも、外から得た知識―― 外国語とりわけ漢字語の知識によって、自分を少しでも他の人からぬきんでてえらく見せようという、向上心にはちがいないけれども、いささか浅ましい「好み」によるものだと思う。それはほんとうの「国語愛」に反するもので、簡素と清らかさを求める本来の日本人の趣味に反するものだ。
 しかしこうした歴史の過程はいつのまにか「伝統」という美しいことばによって、まるで原初からそのようであったかのような意識に転換させられてしまう。

 エスペラントを宣伝するにあたって、その学びやすさ、発音したときの快さなどが強調される。学びやすさは、かならずしも、その表現力の豊かさ、美しさなどと一致するものではない。「美しさ」などというものも実にあてにならない基準であって、私には日本語はなつかしいけれども、そんなに美しいとは思えない。ほんとに音楽性に富んでいたら、もっともっとオペラに使えるはずだし、とりわけ日本語の中の漢語となると、時にこっけいで醜いとしか言いようがない。「チン」「ドン」「カン」などと、吹き出しそうになってしまうオトを大真面目に言えるのは、その背後にいかめしい漢字がひかえているからだ。だから作家などは漢語がオト丸出しのかなで書かれるのを好まないのである。

 もともとイギリスでは、英語の綴りと発音とが病的にかけはなれていることから、綴り字の改革案が活発に提言されていた。たとえば enoughイナフ を inaf と書くようにしようというような改革運動があった。
 作家の中にはきわめて急進的なバーナード・ショウのような例外的な人もいて、独特の綴り字案を提唱した。どこの国でも作家はたいてい、文字表記をはじめ、言語改革ではいつでも保守的な意見の人が多いから、ショウのような革命的な場合は奇矯な提案として無視されてしまう。
 日本でも長音を表わす「ー」を、そんなものは文字ではないと反対した森鷗外をはじめ、作家の中には何でも古いものがいいとする、わからず屋の伝統主義があるし、1998年から導入されたドイツ語の正書法改革においても、これに反対した人の中には、ハインリヒ・ベル(Heinrich Böll)のような尊敬すべき良心的な作家がある。作家はいつでもたいていは言語エリートだから、読者がそうした古めかしい表記を用いた作品の不買運動でも―― おそろしいことだ!―― やらないかぎり、かれらは決してあらためないだろう。

 私が大変興味ぶかく読んだのは、ラムステットが記している大正天皇の后、貞明ていめい皇后との日本語についての問答である。皇后はラムステッドが日本語ができると聞いてたずねた。「日本語は難しくないですか。」ラムステッドはこたえた。「世界でもやさしい部類に入る」けれども書くことがむつかしい。「現代では複雑な無数の漢字を習得するために、人生でより意義のあることを学ぶのに使う時間を、学校で何年も無駄にしているように感じます」と。

 エスペラントを学ぶ動機には、労働者の国際的連帯とか、世界の諸民族が、ことばの壁を乗りこえるためなどがあげられる。それらは外に向って、いわば外に出て行くための外面的な手段である。ところが、そのような外に向っての伝達の手段というよりは、むしろ、内面に向って自らを言語的に解放するという内的な目的をめざすこともある。たとえば石川啄木がローマ字で日記をつけたのも、読者にローマ字を読む習慣をつけさせようという普及手段ではなくて、漢字やひらかなではなく、そこにかくれているオトそのものを露出させようという、内に向って日本語に、今まで気づかれなかった感性を開こうというそれ自体の目的をもって利用されたように。

 中国には、民族全体が漢字の呪縛にかかり、そのためにあらゆる発展がはばまれており、それを断ち切らねば未来はないという認識が革命家や知識人のすべてに共有されていた。このような感覚はショーヴィニズムによって目をくもらされた時代には麻痺し、むしろ、漢字の呪縛も美点として賛美する気風すら現われるけれども、しかしそのことによって問題の根本までが除去されたわけではない。
 漢字という負の遺産が中国のみならず日本の言語生活の上に重くのしかかっているというこの認識は、少なくとも1970年代までは、中国の政治・文化の教養人がずっと受け継いできたものだった。
 たとえば74年に中国を訪問した西園寺さいおんじ公一きんかずが、かつて日本が中国に加えた蛮行をわびた際に、鄧小平氏は、「中国もまた日本に迷惑をかけた。一つは「孔孟の道」を伝えたことであり、二つ目は漢字の弊を与えたことだ」とわびたという。
 中国で漢字の廃止を求める運動がたかまったのは、日本のローマ字運動、カナモジ運動が広まって行った時代と一致し、中国の知識人はそのなりゆきを注視していた。
 こうした自らの言語と文字に対する深刻な反省をよびおこしたのがエスペラントであったことを忘れてはならない。エスペラントはこの点でヨーロッパ以上に、アジアでも、いな、アジアでこそ、とりわけ漢字を使う言語にとって改革のための一つの指針となり、そのことによって根源的な問題を提起したのである。

 とりわけ日本語の敬語表現となったら、日本人同士でも楽ではない。敬語表現には全く無頓着な方言の方が、より心が通いあうということを多くの人が経験している。そんなものにこだわって口うるさく言う日本語教師がいるとすれば、せっかく、この疲れる日本語の重い扉を押し開いて入って来ようとする、心ばえある外国人を追い払ってしまうことになるだろう。

 エスペラントを学ぶことの効果については、すでに多くの人がさまざまな意見を述べている。そしてそのそれぞれの意見はそれぞれにもっともである。なかでも特定の国家と、それに結びついた言語の権威から自由になれる、平等のことばであるという理念的な面は、たしかに強調される価値がある。
 こうした効用は、外に向っての、いわば外的で、社会的な効用である。しかし、それをこえて、言語には内に向っての、自らのこころに向っての効用がある。
 その最もいい例は宮沢賢治の場合だろうと思う。かれの作品には、エスペラントのオトのひびきと造語法にヒントを得たいくつもの賢治語が登場する。そこにはエスペラントにさそわれて入りこんだ森の中の道を、エスペラントによってきりひらこうとでもするような気配がただよっている。
 もともと人が何かの外国語を学ぶときには、かならず、自らを閉じこめている、このせまくるしい日本語と日本社会のくびきから離れたいという気持がある。かつて明治のはじめに人々があんなに情熱的に英語を学んだときにも、かならずそのような動機があった。ことばは、かつらをつけたり、化粧をしたり、しゃれた服に着かえるようなぐあいに、外から加える造作や技術にとどまらなくて、かならず「こころのはたらき」というものが生じ、その力で、外にあるものとしての知識が内化されるのである。
 賢治はエスペラントがたたえる解放精神を感じとって内化し、詩化した。それがかれの作品に、とらわれない、まっすぐ自然へとつながる自由な雰囲気をそえていて、読む人のこころをも自由にしてくれるのだと思う。人は、ことばによって自分をしばるのではなくて、自由にしたいのだから。
 山田耕筰の作曲した歌を聞くとき、ことばとメロディーが一体となってとけあったあの叙情は、かれが日本で最初にエスペラントを学んだ一人であったからではないかと私は思う。竹久夢二の画風もエスペラントとよくなじむ。エスペラントは、さまざまな表現の可能性へと、人々の衝動を解放する魅力をそなえているからだ。
 エスペラントは、あの頃の日本の若いうたびとたちに、あらためて日本語の可能性をさぐる道しるべともなったのである。
 人間の解放はこころの解放に行きつく。そしてこころの解放はことばの解放と一体となっている。外国語による母語のいましめからの解放という点では、エスペラントは特別な意味をもっている。それは、伝統にしばられた言語と文字への底なしの隷従に気づかせ、閉塞をきりひらいてひかりを導き、ひかりに向ってすすむ勇気を与えてくれる。

ついでに、英語に関連してちょっとおもしろいことがかいてあったから、それも引用しておくことにする。

 今でも国際学術会議などでは、その内容はとりたてて大したものでもないのに、英語が話せるだけで、学芸会の舞台に登ったようなぐあいにはしゃいでいる人たちはよく見かける光景である。日本で行われる国際会議がしばしば英語スピーチコンテスト、あるいは英語学芸会まがいになっていることをいやというほど見てきたのは私だけではないはずだ。

さらにもうひとつ。この本の「あとがき」に自分にもあてはまるようなことがでてきたから、それも最後に引用しておこう。

私は決してエスペランチストではないが、といって反エスペランチストでもない。中途はんぱなエスペラント・シンパ(同調者・支持者)であり続けた。

もっとも最近は「中途はんぱなエスペラント・シンパ」でもなくて、だいぶ興味がなくなってきたけど。

そういえばこの本にも、エスペラント語の発音で「これだけはあらためた方がいいと思われる点」として ĝ [dʒ] と ĵ [ʒ] の区別のことがかいてある(エスペラント語の発音のふしぎ」)。

それとか、複合語をつくるとき、けっこう子音が連続しちゃうのが全体の発音の感じにそぐわない印象をうける。複合語のきれ目で子音がたくさんつづくのはドイツ語なんかにもあるけど、ドイツ語はもともと子音がおおいし、子音でおわる単語がたくさんあるから、べつにおかしくないんだけど、エスペラント語のばあいそうじゃないからなんかヘンだ。

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 ・エスペラント語の発音のふしぎ
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 ・冠詞
 ・サンスクリット“語”、エスペラント“語”

2010.04.19 kakikomi; 2010.04.22 kakitasi

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