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英語式ローマ字

ヘボン式ローマ字のことを単純に英語式だっておもってるひとがおおいかもしれないけど、それは正確じゃない。英語をならううえで、ヘボン式は英語式だから訓令式より役にたつ、な~んてはなしもきくことがあるけど、それだってとうぜんおかしい。英語を勉強するっていう目的だけをかんがえるなら、ヘボン式だろうと訓令式だろうと、むしろ英語のつづりをならう さまたげになるっていえるかもしれない。

ヘボン式が英語式なのは子音のつづりだけで、母音のかきかたは英語式じゃない。母音についてはラテン文字本来のつかいかたをしてて、これはラテン語式ともイタリア語式ともいえるし、ほかのいろんなことばをもちだすこともできる。言語の数からいえば、母音の表記としては、この本来のつかいかたをしてるほうがずっとおおい。英語が特殊なかきかたをしてるだけのことだ。英語のつづりでいちばん問題なのは母音の表記で、子音についてはそれほどたいしたことはない。だから、さすがにヘボン式でも母音を英語式であらわすようにはしなかった(ヘボンの横浜指路教会(ついでにローマ字について)」)。

ヘボン式でとりあえず英語式なのは sh、ch、ts、f、j、それからマ行・バ行・パ行のまえの「ン」を m ってかくことだろう。英語と関係あるのはこの程度のことで、これだってたしかに多少は英語の勉強のたしにはなるだろうけど、これよりはるかに複雑な母音のつづりについてはヘボン式からはなんにもわかんない。っていうか、むしろ誤解をまねく。たとえば u を /ʊ ウ/ ってよむのは英語の発音としては例外で、u の規則的なよみかたは /ʌ ア/ と /juː ユー/ だ(cut、cute は規則的なよみかたで、put は例外)。それにヘボン式の fu の f は英語の /f/ とはちがう「フ」の子音 /ɸ/ をあらわしてるわけだから、これについては、英語の学習のためにも、日本語と英語の発音のちがいがはっきりする訓令式の hu のほうがいいともいえる。

ヘボン式がたんなる英語式じゃないってことは、ヘボン式でかいた日本語の単語を(ひとの名まえでもなんでもいいけど)日本語のことをしらない英語圏のひとにみせてみれば、はっきりする。もちろん、英語式だなんだっていうまえに、英語圏のひとが発音したら、英語ふうの発音になるわけで、どういうつづりにしてもちゃんとした日本語の発音にはならないわけだけど、それはそれとして、たとえば Tokyo はしってるひとがおおいだろうから /ˈtoʊkioʊ トウキオウ/ ってよむだろう。でも Kyoto だったら、京都だって有名だろうけど、この名まえをしらないひとは /kaɪˈoʊtoʊ カイオウトウ/ とかよんだりする(Kyoto の英語としての発音は /ˈkjoʊtoʊ キョウトウ/ か /ki(ː)ˈoʊtoʊ キ(ー)オウトウ/)。

要するに英語式じゃないから、こっちがかんがえてるようにはよんでくれないし、むこうにしてみりゃ、どうよんでいいのかわからない。ただし、いまあげた例は訓令式でもおんなじつづりだから(母音をのばす記号はべつとして)、もっとはっきりしたヘボン式の例をあげることにしよう。

ずいぶんまえのことだけど、日本で「新人類」ってことばがつかわれてたとき、そのことを報道する英語の記事にヘボン式で shinjinrui ってかいてあった(訓令式なら sinzinrui)。このヘボン式ローマ字が英語式だとすれば、このことばの発音をとくに説明する必要はないわけだけど、その記事にはこれをどう発音するかわざわざ英語式のつづりで sheen-jean-rooey っていう注がはいってた。これこそが英語式ローマ字だ。

この ローマ字 とヘボン式のつづりをくらべてみると、英語式の sh と j はどっちもおんなじだけど、母音のつづりがちがう。ヘボン式の母音のつづりが英語式じゃないっていうのはこういうことだ。

sheen-jean-rooey を英語として発音すると(みっつの音節それぞれにアクセントをおくとして)、いかにも英語圏のひとが「新人類」を発音した感じになるだろう。カタカナ英語のばあいに英語の単語を日本語にある音をつかって発音することになるのとおんなじことで、日本語の単語を英語にある音で発音することになる。

旅行者用によく『ナントカ語会話帳』なんていう本があるけど、こういう本を英語で “phrase book” っていってる。日本のこの手の本で外国語の発音がカタカナでかいてあったりするみたいに、“phrase book” にもそれにあたるものがある。そのばあい、おおざっぱにいって、英語式のローマ字のものと、ヘボン式みたいに母音は英語式じゃないローマ字のものにわかれる。

ヘボン式みたいなローマ字だと、母音をどう発音するのか説明する必要がある。でも、いくら説明しても外国語についてなんにもしらないばあいは理解できるとはかぎらない。そういうひとむけっていうか、外国語の知識をまったく前提にしないやりかたでいこうとすると、完全に英語式のローマ字をつかうことになる。

そういう英語式のローマ字の例をすこしみてみよう。

ア イ ウ エ オ
ah ee oo ay aw
サ シ ス セ ソ
sah shee soo say saw
タ チ ツ テ ト
tah chee tsoo tay taw
シャ シュ ショ
shah shoe shaw
チャ チュ チョ
chah chew chaw

ここにあげたのはあくまでも一例で、これ以外のつづりもつかわれる。たとえば「シュ」は shoo、「チュ」は choo でもいいんだけど、ここにあるみたいに1音節の単語でおんなじような発音のものが英語にあるときはそれをそのまんまつかうことがある(shoo、choo っていう単語もないことはないけど)。そのやりかたでいくと、富士は Who-jee、新宿は Sheen-jew-coo ってかける。もちろん Hoo-jee、Sheen-joo-koo ってかいてもおんなじことだ。

ところで、はなしをすすめるまえに、ひとつ説明しておかなきゃいけないことがある。英語式の母音のつづりってここでいってるのは、アクセントがある母音のつづりだってことだ。英語のアクセントがない音節の母音はどんなつづりのものでもよわくなって「あいまい母音」とかそれにちかい母音になる。こういう母音で日本語の母音をあらわすわけにはいかないし、つづりとの関係からいっても「あいまい母音」をもちだしてもしょうがないから、英語式の母音のつづりってことで問題になるのはアクセントのある母音だけだ。

で、上のローマ字をみてみると、ぜんぶ英語のながい母音(ay もふくめて)がつかわれてる。ここにある英語式のアイウエオを発音記号であらわせば /ɑː, iː, uː, eɪ, ɔː/ で、oo はみじかい /ʊ/ もあらわすつづりだけど、shoe と chew の母音からすると、oo、soo、tsoo の oo もながい /uː/ をあらわすつづりとしてつかわれてるのがわかる。

日本語の母音をあらわすのに、なんでながい母音がつかわれてるのかっていうと、いくつかおもいあたることがある。まず第一にかんがえられるのは英語のみじかい母音の特徴だ。アクセントがある英語の音節はみじかい母音じゃおわれない。みじかい母音のあとにはかならず子音がくっついてないといけない。アクセントのある音節が母音でおわるばあいには、その母音はかならずながい母音か二重母音だ。

たとえば regular っていう単語を音節にわけると reg-u-lar になる。最初の音節にアクセントがあって、その音節の母音はみじかい /e/ だから、つぎの子音 /ɡ/ はまえの音節に属すことになる。これが regal だったら re-gal で、この e はながい /iː/ だから、/ɡ/ はうしろの音節の子音になる。

日本語の音節は、つまる音「っ」とかがつづくばあいをのぞいて、みんな母音でおわってるから、いくらみじかい母音だっていっても、英語の発音としては、みじかい母音をあてられない。そのために、ながい母音をつかうことになるんだろう。

日本語の「ア」にちかい母音としては英語にはみじかい /ʌ/ があるけど、みじかい母音はつかえないから、ah /ɑː/ であらわすことになる。それに、このあとに説明する理由ともかさなるけど、発音そのものとしても、ちょっと「オ」にちかい /ʌ/ より /ɑː/ のほうがいいともいえる。

「エ」にしても、英語にはみじかい /e/ があるけど、これはつかえないし、かといってながい /eː/ もないから、ay /eɪ/ をあてることになる(英語圏のひとが /e/ をのばして発音しようとすると、意識して外国語としての発音でもするんじゃなけりゃ自然に /eɪ/ になっちゃう)。本によっては、外国語のみじかい「エ」をあらわすのに eh っていうつづりをつかってるのもあって、発音は pet の e だとか説明してるけど、eh っていう感嘆詞なら /eɪ/ っていう発音だ。感嘆詞だから、ふだんの発音にはない音がでてくることもあって、辞書によるとアメリカの発音に /e/ っていうのもあることはあるみたいだから、この発音のつもりなのかもしれないけど、英語の一般的な発音とはいえない。「エ」でおわってる外来語にしても、英語の発音としては /eɪ/ になって、たとえば fiancé (フィアンセ)は /fiˈɑːnseɪ フィアーンセイ/、maté (マテ茶)は /ˈmɑːteɪ マーテイ/ になる(これとはアクセントの位置がちがう発音もある)。ここでしめした発音記号だと最後の音節にはアクセントがないけど、外来語の母音をはっきり発音するために、最後の音節にもある程度の強勢がある(第2アクセントみたいなものがある)。

「オ」についても、イギリス英語なら hot の o /ɒ/ が「オ」にちかいけど、これはつかえないから、aw /ɔː/ であわらすことになる(いまのアメリカ英語だと aw の発音で /ɑː/ っていうのもあるけど)。

さらに、母音の発音そのものも理由のひとつだろう。みじかい /ɪ/ は「エ」にちかい音だから、「イ」をあらわすには /iː/ のほうがいいし、おんなじように、みじかい /ʊ/ はちょっと「オ」にちかいから「ウ」には /uː/ のほうがいい。

それから、英語の母音のながさっていうのがじつはあいまいで、無声子音でおわる音節の母音はみじかめになるし、有声子音でおわる音節の母音はながめになる。だから bad の /æ/ のほうが beat の /iː/ よりながかったりする(もともと /æ/ はながめの母音)。このへんのことも関係あるかもしれない。

こういうやりかたは、なにも日本語の発音をあらわすばあいだけじゃなくて、“phrase book” でほかの外国語の母音をあらわすのにもつかわれてる。

英語のことをかんがえると、こういう ローマ字 はなかなかおもしろいとおもうし、ヘボン式なんかとちがって、ほんとに英語の勉強のたしになるだろう。ひとの名まえでも土地の名まえでもなんでもいいから、ほんとの英語式でいろいろかいてあそんでみるのは英語の勉強にいいかもしれない。

あくまでも英語のことをかんがえればそういうことだけど、日本語のローマ字ってことでいえば、英語の勉強のためにはヘボン式のほうがいいっていってるひとでも、アイウエオを ah ee oo ay aw ってかくようなローマ字がいいとはたぶんおもわないんじゃないかな(英語の勉強のことだけかんがえるならこのほうがいい感じがするけど)。ヘボン式は、じつはごく一部しか英語式じゃないからこそ日本語のローマ字としてつかわれてるわけで、これが母音まで英語式だったら、いまみたいにはつかわれてないだろう。

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2010.05.17 kakikomi; 2010.09.11 kakinaosi

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