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仏教用語のふりがなの濁点

『般若心経』、これはたぶんお経のなかでいちばん有名だとおもうけど、「はんにゃしんょう」ってよむ。もっとも、なかには「はんにゃしんょう」っていうふうに ふりがなをふってる本もあるみたいだけど、たんなるまちがいなのか、しらないだけなのか、そうじゃなけりゃ、このほうがわかりやすいとおもってかえちゃったんだろう。

それはともかく、経を「ぎょう」ってよむほかの例をあげると、『観音経[かんのんぎょう]』『涅槃経[ねはんぎょう]』『勝鬘経[しょうまんぎょう]』『阿含経[あごんぎょう]』とかがある。『観無量寿経[かんむりょうじゅきょう]』を略した『観経[かんぎょう]』もそうだ。これをみてわかるように、経のまえに「ん」があると「ぎょう」になる。天国、戦国、三国で、国のまえに「ん」があるから「ごく」になってるのとおんなじことだ。先祖の「ぞ」なんていうのもそうだし。

シャカが最初に説法したことを初転法輪[しょてんうりん]っていうけど、ここにも「ん」のあとの濁音がある。伝教大師最澄[でんょうだいし さいちょう]の教が「ん」のあとで濁音になってるのもおんなじことだ。

まえに「ん」があるから濁音になってる仏教用語をほかにもあげておこう(もともと仏教用語だったのもふくめて)。

安心[あんん] 印契[いんい] 引接[いんょう]
印相[いんう] 縁起[えん] 音声[おんょう]
歓喜[かん] 観察[かんつ] 灌頂[かんょう]
勧進[かんん] 観心[かんん] 観世音[かんおん]
観法[かんう] 顕教[けんょう] 現世[げん
権化[ごん] 金色[こんき] 根性[こんょう]
今生[こんょう] 今世[こん] 三界[さんい]
三身[さんん] 三世[さん] 三尊[さんん]
三宝[さんう] 讃歎[さんん] 信心[しんん]
身心[しんん] 神通力[じんうりき] 善根[ぜんん]
禅師[ぜん] 前生[ぜんょう] 先世[せん
前世[ぜん] 尊者[そんゃ] 顛倒[てんう]
人間[にんん] 人天[にんん] 変化[へん
遍照[へんょう] 本覚[ほんく] 本初[ほんょ]
本尊[ほんん] 梵天[ぼんん] 凡夫[ぼん
臨終[りんゅう] 輪宝[りんう] 連声[れんょう]

ただし、このなかには、現代語としては濁音じゃなくなってるものもあるし、そうじゃなくても、仏教の本のなかには、わかりやすいようにってことなのか、濁音じゃないふりがなをふってるのもある。

ほかに「ぎょう」になるお経の例をあげると、『金剛頂経[こんごうちょうぎょう]』っていうのがある。それに、この経典の正式名、っていってもこのお経にはいろいろあるから、たとえば三巻本[さんがんぼん](「ん」のあとの濁音!)っていわれてるものの正式名『金剛頂一切如来真実摂大乗現証大教王経[こんごうちょう いっさいにょらい しんじつしょう だいじょうげんしょう だいきょうおうぎょう]』も「ぎょう」になってる。それから、『仁王経[にんのうぎょう]』もそうだ。経のまえには頂と王があるわけだけど、どうしてこのばあいに濁音になるのか、日本の漢字音からじゃわかりにくい。

でも、もともとの中国の発音をみるとよくわかる。発音を中古音(隋・唐のころの発音)であげると、頂は /teŋ/、王は /ɦɪuaŋ/ で、このふたつはどっちも /-ŋ/ (英語の song とかの -ng、カ行・ガ行のまえのン)でおわってる。つまり、まえの漢字の発音が /-ŋ/ でおわってるとき濁音になる。

これは洪水の「ずい」にもいえることで、洪の中古音は /ɦuŋ/ だった。仏教用語の香水も「こうずい」で洪水とおんなじになる。香の中古音は /hɪaŋ/ で /-ŋ/ でおわってるからだ。ただし、化粧品の香水を「こうすい」ってよむみたいに、こういう発音はだんだんなくなってきた(「ん」のあとのばあいも)。

弘法大師空海[こううだいし くうかい]の弘法、これは「弘法も筆の誤り」の弘法だけど、これも弘の中古音は /ɦuəŋ/ で /-ŋ/ でおわってるから法は「ぼう」になる。それから、興教大師覚鑁[こうょうだいし かくばん]の興は /hɪəŋ/ だから教は「ぎょう」になる。

中の中古音は /ɪuŋ/ で、このあとの音は濁音になるから、たとえば中観[ちゅうん]、中間[ちゅうん]、中尊[ちゅうん]なんていうふうになる。ただし中尊は「ちゅうん」ってふりがなもみかける。中尊寺も「ちゅうんじ」だし(固有名詞はいろいろ例外もおおい)。

「ん」のばあいの例としてあげた三身っていうのは、法身[ほっしん]と報身[ほうん]と応身[おうん]のことだけど、応の中古音は /·ɪəŋ/ だから「じん」になるのはいいとして、報は /pau/ だから濁音になる理由はない。応身からの類推でこうなったのかな。

/-ŋ/ のあとで濁音になってる仏教用語をほかにもあげておこう。

往生[おうょう]: 往 /ɦɪuaŋ/
境界[きょうい]: 境 /kɪʌŋ/
行者[ぎょうゃ]: 行 /ɦʌŋ/
恭敬[くょう]: 恭 /kɪoŋ/
功徳[くく]: 功 /kuŋ/
降三世[ごうんぜ]: 降 /ɦɔŋ/
衆生[しゅょう]: 衆 /tʃɪuŋ/
正覚[しょうく]: 正 /tʃɪɛŋ/
聖教[しょうょう]、聖者[しょうゃ]、聖衆[しょうゅ]、聖天[しょうん]: 聖 /ʃɪɛŋ/
生死[しょう]: 生 /ïʌŋ/
僧正[そうょう]、僧都[そう]: 僧 /səŋ/
等覚[とうく]: 等 /təŋ/
平等[びょうう]: 平 /bɪʌŋ/
命終[みょうゅう]: 命 /mɪʌŋ/
亡者[もうゃ]: 亡 /mɪaŋ/
妄想[もうう]: 妄 /mɪuaŋ/
両界[りょうい]: 両 /lɪaŋ/

それにしても、中国の発音で /-ŋ/ でおわってるかどうかは日本の漢字音からはわかりにくい(っていうか、わかんないか)。それだったら、なんで濁音になるのかっていえば、ふるくは日本でも /-ŋ/ を鼻音で発音してたからだろうっていわれてる。つまり、かなで「う」ってかいても、鼻母音として発音されてたんじゃないかってことだ。それか、もしかしたら、そのまんま /-ŋ/ って発音してたけど、かなとしては「う」ってかくしかなかった、ってことかもしれない。

だから、漢字の音よみから判断するのはむずかしいけど、もともと /-ŋ/ だったっていうのがわかるばあいもある(漢音よりあたらしい音よみからわかる末尾の鼻音」)。それは、呉音だと「ょう」、漢音だと「えい」でおわってる漢字だ。うえにあげた『金剛頂経』の頂の音よみは呉音が「ちょう」で漢音が「てい」だから、このことから /-ŋ/ でおわることがわかる。

ほかの例をあげておこう(音よみのひとつめが呉音、ふたつめが漢音)。

経[きょう・けい] /keŋ/
京[きょう・けい] /kɪʌŋ/
境[きょう・けい] /kɪʌŋ/
形[ぎょう・けい] /ɦeŋ/
青[しょう・せい] /tsʻeŋ/
清[しょう・せい] /tsʻiɛŋ/
聖[しょう・せい] /ʃɪɛŋ/
声[しょう・せい] /ʃɪɛŋ/
性[しょう・せい] /siɛŋ/
生[しょう・せい] /ïʌŋ/
正[しょう・せい] /tʃɪɛŋ/
成[じょう・せい] /ʒɪɛŋ/
定[じょう・てい] /deŋ/
丁[ちょう・てい] /teŋ/
平[びょう・へい] /bɪʌŋ/
名[みょう・めい] /miɛŋ/
明[みょう・めい] /mɪʌŋ/
命[みょう・めい] /mɪʌŋ/
霊[りょう・れい] /leŋ/

ちなみに、中国の発音としては藤堂明保編『学研 漢和大字典』(学習研究社)にのってる中古音をあげたけど、現代のペキン語の発音でも /-ŋ/ でおわってることにかわりはない。

「ん」でおわってる漢字には、もとの中国の発音だと天 /tʻen/ みたいに /-n/ だったのと、心 /siəm/ みたいに /-m/ だったのがある(心は現代のペキン語だと xīn になってる)。これと /-ŋ/ の共通点は、要するに鼻音ってことで、鼻音のあとは濁音になったわけだ。だから、そうじゃないばあいは、『理趣経[りしゅきょう]』『阿弥陀経[あみだきょう]』『観無量寿経[かんむりょうじゅきょう]』みたいに「ぎょう」にはならない。

ところで、『維摩経』は「ゆいまぎょう」も「ゆいまきょう」もあるみたいなんだけど、「ん」も /-ŋ/ もないのに「ゆいまぎょう」っていうよみがあるのがどうしてなのかわからない。『勝鬘経』とならび称されることがあるから、これにつられちゃったのかな。たんなる連濁みたいなもんなのかな。

鼻音のあとの濁音はこれぐらいにして、ほかの濁音についてもちょこっとみておこう。

大楽っていうのは本によって「だいらく」だったり「たいらく」だったりする。仏教関係の辞典なんかをみると、みだし語に「だいらく」ってかいてあるんだけど、中村元『広説佛教語大辞典』(東京書籍)には「『たいらく』ともよむ」ってかいてある。実際にそうよませてる本があるんだから、そのとおりなんだけど、これは「だいらく」のほうがいいんじゃないかな。いろんな辞書の判断もそうだとおもうし。

大の音よみは呉音は「だい」で漢音は「たい」。仏教用語はたいてい呉音でよむから、それにあわせるなら「だいらく」だろう。でも、これを「たいらく」ってよませる本があるのは、大楽っていうとまず あたまにうかぶお経として『理趣経』があって、お経としてはめずらしく、となえるとき漢音でよむからだろう。『理趣経』の正式名は『大楽金剛不空真実三摩耶経[だいらく こんごう ふくう しんじつ さんまやきょう]』(「三麼耶」っていうのもみかける)っていうんだけど、読誦[どくじゅ]するときは「たいら きんこう ふこう しんじ さんまやけい」になる。これはたんなる漢音とはちょこっとちがってて、楽が「ら」、実が「じ」になってるわけだけど、とにかく『理趣経』のよみにあわせて大楽を漢音の「たいらく」にしてるんだとおもう。でも、読誦のばあいはべつとして、用語としては「だいらく」でいいんじゃないかな。

ちなみに『日本国語大辞典』(小学館)の第一版には「大楽」はのってなかったけど、第二版には「だいらく【大楽】」っていう項目がある。用例をみてみてると、とくに仏教の用語ってことじゃないみたいだけど。

つぎに、悉地のよみだけど、これに「しっじ」っていうふりがなをつけてる本がある。でも、濁音のまえにちいさい「っ」はふつうあらわれない。いまじゃジャッジなんていう外来語もあるけど、むかしからあることばとしては、このよみは疑問におもう。

『日本国語大辞典』とか『古語大辞典』(小学館)とかをみるとみだし語として「しっち」ってかいてある。これならわかる。それから、『蘇悉地経』のよみは「そしつじきょう」で、こういうふうに地を「じ」ってよむんなら、そのまえの「つ」はちいさい「っ」じゃないはずで、このよみもわかる。

『密教大辞典』(法蔵館)のみだし語には「シツジ」ってかいてある。この本はちいさいカナをつかってないから、これが「シツジ」なのか「シッジ」なのかわからない。

津田眞一訳『和訳 金剛頂経』(東京美術)には「シツジ」っていうカタカナのふりがながついてる。この本はふりがなにちいさいカナもつかってるから、このばあい「ツ」はちいさい「ッ」じゃないのははっきりしてる。

那須政隆『《即身成仏義》の解説』(成田山新勝寺)には「しちぢ」っていうふりがながついてる。これはなんかむかしのよみがついてるわけだけど、「つ」でおわってる音よみのなかにはむかしは「ち」でおわってるものがあった。「仏」は「ぶつ」だけど、中世の本だと「ぶち」になってたりする。悉にも「しち」っていう音があった。それにいまでもつかわれてる音よみでも、一[いち]、日[にち]みたいに「ち」でおわってるのがある。

おんなじ『即身成仏義』の解説書でも、金岡秀友『空海 即身成仏義』(太陽出版)だと、ふりがなは「しっぢ」だ。訓読文のほうのふりがなにはちいさいカナはつかってないけど、翻訳のとこにはちいさいカナをつかってるから、「しつぢ」じゃなくて「しっぢ」なのははっきりしてる。

『日本国語大辞典』の第一版はみだし語が「しっち」になってただけだけど、第二版にはみだし語のあとに「『しっぢ』とも」ってかいてある。これは、実際に「しっじ」とか「しっぢ」とか ふりがながふってある本があるもんだから、それをとりいれたんだろう。

悉地のもとはサンスクリット語の सिद्धि siddhi [スィッディ]で、「成就」って意味だけど、このことから、現代の学者なんかは「しっち」でも「しつじ」でもなくて、もとのことばにちかい「シッジ」にしたくて、そういうふりがなをつかってるんじゃないのかな(それにしても、いまのかなづかいとして「ぢ」はどうかとおもうけど)。でも、もともとは「しちぢ」「しつぢ」「しっち」だったはずだ。

シャカ:釈迦。

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2010.07.26 kakikomi; 2012.03.06 kakinaosi

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