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事実と推測

プラトーンはエピステーメーとドクサを区別した。ギリシャ語のエピステーメー(ἐπιστήμη [epistɛ̌ːmɛː])」は「しってること、知識、学問」で、ドクサ(δόξα [dóksa])」は「(主観的な)かんがえ、おもい、意見、見解、推測」ってことなんだけど、プラトーン関係の本だと、エピステーメーを「学知」、ドクサを「思いなし、憶見」なんて訳してることがおおい。

でも、もともと ふつうのことばだし、エピステーメーとドクサの訳は「知識」と「かんがえ、意見、見解」あたりでいいんじゃないかとおもう。エピステーメーの訳の「学知」っていうのは「学問的知識」ってことなんだろうけど、翻訳語にありがちな漢字2文字の熟語で、おんなじよみのことばは ほかにないかもしれないけど、「がくち」なんていうのは字をみなきゃわかりづらいだろう。

それと「学」っていうのがちょっとひっかかる。これをいまの学問とおんなじつもりでつかってるんなら、ちょっとちがうとおもう。いまの学問に直接つながってるのはプラトーンの弟子のアリストテレースのほうだろう。アリストテレースはいろいろ専門用語をつくりだして、その用語がラテン語に翻訳されて、さらにそれが近代ヨーロッパ語にはいって、いまでもつかわれてる。

科学ってことばは分野にわかれた学問ってことだけど、アリストテレースからそんな感じのものがはじまって、これを「哲学の崩壊」とかいってるひともいるけど、そのあと、いろんな学問分野がヘレニズム時代に発達した。

学問っていうのを、すこしせまい意味で いまみたいな学問にかぎるんなら、プラトーンは、なんていうか、学問以前って感じだろう。だから、そこにこだわると「学知」っていうのはちがうような気がする。だいたいエピステーメーはイデアの知識のことだから、イデアの認識ってことになると はっきり いまの学問とはちがう。

エピステーメーとドクサのちがいは、わりきっていうと、確実な知識と たんなる意見のちがいだけど、そもそも確実な知識は確実な対象についてしかありえないっていうふうにプラトーンはかんがえた。そうなると、確実な対象はイデアしかない。ほかのものは うつりかわってくもので、そのもののまんまにとどまってない。だから、そういうものについては、たんなる意見しかありえない。だいたい こんなようなことなんだけど、プラトーンふうにいうと、いまの学問はぜんぶドクサのほうになっちゃうだろう。

それにしても、プラトーンのたちばはともかくとして、いまの学問がいってることも、おおきく ふたつにわけられるとおもう。これを、知識と意見じゃなくて、ちょっとことばをかえて、事実と推測っていうことにしよう。

たとえば、生物学者がどっかのジャングルにいって、いきものの生態を観察して、それを報告したとする。このばあいは要するに事実をかたってることになる。もちろん、実際の観察にもまちがいはありえるけど、まちがいなんてものは、どんなことにもあるんだから、とりあえずそれは問題にしない。

で、こういう事実の報告に対して、学者がいってることのなかには、たんなる推測もある。

たとえばビッグバンなんかはそうだろう。こむずかしい数学をいじくりまわして いろいろやってるけど、けっきょくは直接観察したわけじゃないんだから、推測なのにかわりはない。

ビッグバンの証拠がみつかった、なんてはなしも ときどきでてくるけど、もちろんこれだって間接的なもので、証拠だっていえるのは、観測した事実をそういうふうに解釈してるからだ。解釈するのにつかってる理論がまちがってたら、それっきりのはなしだし、理論と観測した事実の解釈が循環論になってるばあいもあるんじゃないかな。

それとか、太陽の表面温度が6000度とかいうのだって、実際に太陽までいって はかってきたわけじゃない。太陽が核融合で もえてるとかいうのもそうだ。直接観察してきたわけじゃない。太陽光線のスペクトルなんかを分析したり、ニュートリノを観測したりして、いろいろいってるわけだけど、間接的だってことにかわりはないし、結局はもとになってる説と運命をともにするものだろう。

それに、いまの理論だと宇宙全体におんなじ物理法則が通用するってことになってるけど、たとえば太陽にもほんとに通用するのかどうか、実際にいってたしかめたわけでもない。

もちろん、推測だからって、それだけでまちがってるってことにはならない。ただ事実かどうかわかんないってだけのことだ。でも、とにかく、学者のいってることには、事実と推測のちがいがある。

でもって、推測のほうは、専門家がなんといおうと、そのまんまウノミにする必要はないとおもう。はなしをきくほうとしては、推測のほうは、事実かどうかあくまで保留にしておいたほうがいいだろう。

それに、専門家はシロウトのことを下にみてるかもしれないけど、専門知識がなくても、ものごとの性質として事実か推測かの区別ぐらいはつくはずだ。

そういえば、NHKの科学番組なんかはやたらと「…とかんがえられています」っていってる。ちょっと耳ざわりなんだけど、ちゃんと ものごとの区別をつけてるとはいえるか。

プラトーン:プラトン。 アリストテレース:アリストテレス。

2010.09.29 kakikomi

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