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『理趣経』の「非勤苦性」

「非勤苦性」は「ひごんくしょう」ってよむ。勤苦ごんくっていうのは、熱心に修行することとか、その苦労のことをいうから、非勤苦性は、苦労しないで修行すること、楽に修行することって意味だ。

『理趣経』っていってもいろいろあるんだけど、「非勤苦性」をといてるのは『理趣広経』っていわれてるもので、真言宗で毎日となえてる『般若理趣経』とはちがう。

『理趣広経』は広経ってぐらいだから『般若理趣経』よりもずっとながい経典で、『般若理趣経』の内容は『広経』にふくまれてるし、『理趣経』関係のいろんな儀軌類をまとめた感じのものなんだけど、この経典でいわれてる「非勤苦性」っていうのはだいたいつぎのようなことだ。

苦労のおおい修行は からだも こころもそこなって、かえって修行をさまたげる。だから、すきなことをして、たべたいものをたべて、おおいに わらって、おおいに かたって、したいだけ修行する。つまり、なんでも やりたいことをして、ありのままでいい。マンダラに はいらなくても、修行のさまたげになるようなことがいろいろあっても、自分は本尊と一体だというだけで、そうなるだろう。

こういう内容だから、この部分は漢文訳の経典には訳されなかった、なんていうはなしがあるみたいだけど、実際に経典をみてみると、そんなことはない。チベット語訳の『理趣広経』に対応する漢文の『七巻理趣経』にはこのことをといてるとこがちゃんとある。

『七巻理趣経』の正式名は『仏説最上根本大楽金剛不空三昧大教王経』で、この第六巻にはこういうことがかいてある(大正新脩大蔵経 Vol. 8、No. 244、p. 819。新字体になおして引用する)。

又復一切適悦相応者。謂一切三昧相応成就故。行人修此法者。当与適悦心相応。何以故若勤苦加行。即於自体而生困苦。由是於法而生散乱。不能専注作諸成就。是故修相応行者。随意随力而於飲食受用。乃至四威儀中戯笑語言。於一切処無復罣礙。設有未入曼拏羅及有諸障悩。但当依本尊相応行修成就法者。於刹那間。皆悉円満此大欲楽三昧自在主諸金剛部王。

それから、最後の第七巻のおわりのほうにも、「非勤苦」ってことばをつかって、おんなじことが詩のかたちで でてくる(大正新脩大蔵経 Vol. 8、No. 244、p. 824)。

所言非勤苦 謂所作成就
而不須加行 随意随処所
随欲随飲食 乃至四威儀
語言及戯笑 但発至誠心
住等引相応 依本尊儀法
如是相応理 速成一切法

最後の最後にこれがあるってことはやっぱり重要な内容なんじゃないかっておもうし、とにかく漢文訳でも「非勤苦性」のとこがカットされてるわけじゃない。

2011.05.04 kakikomi; 2017.02.10 kakinaosi

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